第10話 喧嘩と問いかけ

気を付けようとラウルが思った矢先の出来事だった。


演習を終えて、ラウルは銃器の点検と手入れを行っていた。自分が使った武器は自分が手入れするのが基本だけど手入れが雑だったり、破損に気づかなかったりすると事故に繋がる。

だから確認する者が必要で、隊の中では割り振られることの多い業務の一つだ。


銃器庫の裏手から人の声が聞こえた。いつもなら気にしないが、その声の一つがエルザだと気づいて、ラウルは作業の手を止め外に出た。


「……、まだ死にたくない。あんたが出なきゃいいだけの話だろ!」


小声で話していたようだが、感情の昂りのせいか声が大きい。これでは庫内にいても会話が聞こえただろう。


「私は任務を遂行する。不服であればクラッセン上官に上申すればいいわ」


対照的に凛として落ち着いたエルザの声。


「アンバー国のスパイって噂、本当なんだろ?あんたがいるといつも負けるし、バディだって本当はあんたが――」


ぱん、鋭い音がして男の声が止まった。


「……はっ、暴力行為は禁じられている。これじゃあ外されても仕方ないよな」


勝ち誇ったような男の声に、不快感を覚えてラウルは足を踏み出した。


「ラウル…」


急に現れたラウルにエルザは僅かに驚いた様子を見せる。

固く握られた手が彼女の悔しさを表しているかのようで、思わず目を逸らした。代わりに男に目を向けると、以前エルザを敗北の女神と称していた兵士だった。


(……確か、ニックと呼ばれていたっけ)


「その程度の暴力行為で外されるほど、彼女の能力は低くない。むしろ軽はずみな言動で煽り和を乱そうとした君のほうが、協調性なしと見なされて外される可能性が高いだろう」


わずかに赤くなったニックの右頬だったが、怒りのため全体的に赤くなった。


「っ、お前には関係ないだろう!」


思い切り肩を押され、バランスを崩す。後ろに倒れそうになるが、ニックの右腕を掴み態勢を入れ替えた結果、仰向けに倒れたニックの上にのしかかる形になった。


「え…?」


状況が把握できないのか、呆気に取られた表情のニックの首元に手をおいた。


「戦場なら死んでたね」


屈辱に顔を歪ませ、飛びかかろうとするニックに備えようとした時――。


「そこ、何をしている!」


通りがかった教官により殴り合いは免れたものの、上官に呼び出されることになった。




「ラウル、お前が喧嘩なんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」


にやけた顔つきで楽しそうに声を掛けるギルバートを見て、危険信号が灯る。機嫌が良さそうな時ほど不機嫌な場合のほうが多い、とこれまでの経験から分かっている。この顔に騙されてより重い懲罰を与えられた者も多い。


「すみません。肩を押されたので、倒れないように手を伸ばしたら巻き込んでしまいました」


通用しないとは思いつつ、とりあえず言い逃れができそうな事象だけ伝える。


「んん?俺が聞いた話だとお前が首を絞めようとしていたらしいんだけど?」

「確かに右手を首元に置いていましたが、力を入れていませんしその意思はありませんでした」

「ははっ、まあお前が本当にやろうとしたんなら絞殺なんて手間のかかることしないよな。……じゃあ、何でそんなことになった?」


理由を問う声と空気が一瞬に冷ややかなものに変わった。


「銃器の手入れをしていたら、言い争う声が聞こえました。様子を見に行ったこところ、興奮した様子だったため間に入ったため、そのような結果になりました」


嘘はついてない。間に入ったのが宥めるためでなく、挑発しエルザの行為を帳消しにするためだったことを言わないだけだ。


「お前がわざわざ間に入ったのは、あの敗北の女神ちゃんだったからだろう」


質問の形でなく、断言するように言われてしまえば沈黙するしかない。ギルバートはわざとらしくため息をつくと、頬杖をついて小首をかしげた。


「なあラウル、俺はいつも言ってただろう?お前は他人を愛してはいけないって。上官の言うことを守れないなら懲罰対象だぞ?」


困ったような表情と優しげな口調は、まるで駄々をこねる子供を諭すかのようだ。


「僕は……彼女を愛しているのでしょうか?」


それが懲罰対象になるのなら甘んじて受けようと思う。それよりも自分に芽生えたものが愛と呼べるものなのか、教えてほしい気持ちのほうが勝った。


上官は何度か瞬きをして、何故か痛みをこらえるような表情を浮かべた。それはほんの一瞬のことで見間違いだったのかもしれない。

すぐにいつもの、つまらなそうな表情でギルバートは言った。


「……さあな。お前自身が分からないことが俺に分かるわけがない。しかしそれでは懲罰を与えるわけにはいかないな」


姿勢を正して続きを待っていると、諦めたようなため息を漏らした。


「もう下がっていい。……だけど、他人を愛したり大切な存在を作るな。それだけは徹底しろ」


いつもの言葉だったが、何故か苦しそうな響きが感じられた。そんな思いを抱きながらも黙って一礼して、ラウルは上官室を後にした。

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