第9話 願いと迷い ~エルザ~
ラウルは口数が少ないが、しっかりとした考えや武器や戦術に深い知識を持っていた。独特な発想も多く新しい視点を知ることができ、ラウルとの会話は思っていたよりもずっと楽しかった。
ラウルが髪留めをじっと見ていることに気づいて、エルザはどうしたのかと尋ねる。
「妹が似たようなものを持っていたように思う」
兵士の中には孤児から貴族まで様々な環境の者が集う。生まれによる待遇の差を生じさせないためにも、家族について語ることは多くない。ラウルにそんなつもりはないかもしれないが、心を開いてくれているかのようで心が弾んだ。
年下の兄弟がいるという共通点にも喜びを感じる。
「妹さんがいるの?意外…、いえ言われてみればラウルはお兄ちゃん向きな気もするわね」
だが返ってきた言葉に思わず耳を疑った。
「そうなのかな?でも妹は僕のこと嫌っていたから、彼女にしてみれば兄である僕の存在は迷惑だったと思うよ」
兄妹だからと言って無条件に仲が良いわけではないし、現にエルザも最近は弟に避けられている。ラウルが気にしていないことが逆に悲しかった。
「よく睨まれていたし、おかしいとか気持ち悪いとか言われたから。十年近く会ってないから、もう僕のこと覚えてないんじゃないかな?」
ラウルの言葉に弟から言われた科白が頭に響いた。
『もう帰ってこないでください。姉上の不名誉な呼び名のせいで家族に迷惑が掛かっているんです』
一ヶ月ほど前、怪我の療養を兼ねて実家への帰宅が許された。
名目上はそうだったが、進退を考える上で家族と相談するようにという上官の配慮だった。上官自身はエルザ自身の能力を買ってくれているが、戦場で役に立たない兵士は必要ない。
帰宅当日は両親から労わりの言葉を掛けられたが、弟はよそよそしい態度を見せていた。久しぶりだしもう子供ではないのだからと思っていたのに、翌日顔を合わせた時に弟が自分の存在を迷惑に思っていることを知ったのだ。
考えてみれば当然の話で自分が甘かっただけだ。
武人の血筋でありながら、実績を上げられず『敗北の女神』という呼び名を付けられている。そんな自分や家族を周囲がどう見ているか、非難や嘲笑の的になることは明らかだった。
休暇はまだ残っていたが、その日に家を出て宿を取った。
決められた日数を消化するまで滞在し、実家に再び顔を出すこともなく拠点に戻った。悲しくはあったが、それでも弟を嫌いになることはできなかった。
そんな感傷からラウルに妹をどう思っているかと尋ねた。嫌いではないとの返答に安堵する。
「人の心は時間や環境によって変わるものよ。だから今は違うかもしれないわね」
それはエルザの願いでもあった。
「敗北の女神ちゃん、ちょっといいか?」
そう呼びかけられて、一瞬反応が遅れた。
振り返って声を掛けた人物を見て言葉を失う。
へらへらとした表情なのに瞳は冬の湖のように冷え切っている。その場から逃げ出したくなるような威圧感に嫌な予感がした。
エルザの内心を感じ取ったかのように、ギルバートがにやりと笑うと先ほどまで空気が少し緩む。油断のならない相手だとエルザは警戒を高めた。
「どういったご用件でしょうか」
「うちの優秀な駒の様子が最近おかしいらしくてな。心当たりはないか?」
心当たりも何もエルザに直接聞いてくるぐらいだから、分かっているのだろう。うぬぼれているわけではないが、自分はラウルに少なからず影響を与えている。
「分かりません」
「無知は罪だとよくいったものだ」
あからさまな挑発だったが、黙って受け流す。
「もう人形で遊ぶ年齢でもないだろう。余計なことを教えられても邪魔なんだ。それともそれが目的かな?」
「どういう、意味ですか?」
この場から立ち去りたい気持ちを抑えてエルザは尋ねた。
「自分の行動を鑑みれば分からないはずはないだろう。戦場で役に立つことがあれの存在意義だ。あまり困らせてくれるなよ?」
そう言うとギルバートはその場から立ち去った。姿が見えなくなってようやくエルザは大きく息をついた。
(……あの人は苦手だわ)
ふざけたような言動なのに思考や感情を完全に悟らせないよう徹底しているし、こちらの心の内を見透かすような怖い目をしていた。
「余計なこと、ね」
ラウルが感情を見せてくれることに、エルザは喜びを感じていた。他人の感情を理解するには共感することが大切だからだ。
幼子が周囲の人間から表現を学ぶように、今のラウルはエルザと交流することによって学ぼうとしている。そんなラウルが好ましいと思っていた。
だけど自分の行動について指摘された時、一瞬怯んだのは確かだった。無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
ラウルが戦場に身を投じる時に、感情豊かになることで生じる不利益はないのだろうか。
現に仲間を見捨てることができない自分は戦場で足掻き、息苦しさや喪失感に苦痛を覚えている。
エルザの中に迷いが生じた。
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