【031】 二日後

「今回の事件による死者は三名、行方不明者は一名。死者二名と行方不明者はユニオンの傭兵で、先行調査中に消息不明となっていた者たちです。残る一名はイオリア・クロスフォードの従者、マテュー・ピエルネ。いずれも死体の損壊が激しく、その場で処理済みとのこと」


 アスクタートが感情のこもらない言葉が、アルドラークの学園長室に冷たく響く。

 彼が語った事件の顛末に耳を傾けていた学園長のメルクラニは、やがて静かに唸った。


「ふうむ……なるほどのう。それで……君は何を見た?」


 メルクラニの横長の瞳がアスクタートの隣に向けられる。そこに立つのは一人の少女だった。右手に巻かれた包帯が未だ痛々しい彼女は、沈痛な面持ちのまま「はい」と静かに答えた。


「……突如現れた強力な魔物との戦闘により、兄や私を始めとして、ゼラフィーナ・エルニエール、トルナス・ディルヴィアン、またその友人ら三名が負傷。兄の付き人のマテュー・ピエルネはその際、私を守るために魔物に襲われて……」


 そこまで語った少女――ナナリーゼは一度目を閉じると、その時の光景を思い出しているのか瞼を震わせた。


 きっと彼女の瞼の裏には、先日の惨劇が未だ色濃く刻まれているのだろう。


 あの事件から早二日。ナナリーゼの姿はメルクラニやアスクタートと共に、アルドラークの学園長室にあった。


 理由はもちろん、ピュスリア森林における正体不明の魔物の襲撃についての聴取のためだ。


 今回の事件は不明点が多く、未だユニオンからは『正体不明の魔物が突然現れ、甚大な被害をもたらした』以上の報告が上げられていなかった。


 これがユニオン側による隠蔽ではなく、本当に何もわからない状態にあることは、彼らから被害に対する仔細説明が未だにないことからも明らかだ。


 アルドラークとユニオン、その双方が今回の事件の顛末を把握しきれていなかった。


 そんな混乱の中でわかっていることと言えば、正体不明の魔物――実際は魔物かもわからない――が突如多数出現したこと。


 その魔物はユニオンランクⅤの傭兵たちが三人がかりでようやく一体倒せるほどに強く、また彼らが負傷するほどの強敵だったこと。


 そうして突如現れた化け物たちはどこかを目指すように歩き出し、やがてその先で大きな爆発が何度も観測されたことだろうか。


 そんな、異次元の強さを持つ化け物たちが複数現れたと言うのに、死者が三名で済んだのは幸運と言っても良い状況だった。


 それ以上口を開かないナナリーゼを見かねてか、再びメルクラニはううむと唸り、手元の報告書をめくった。そこに描かれているのは現れた魔物たちの顛末について。


「魔物はその後、兄との共闘により処理致しましたので、排除済みです」


「そのようだの」


 あの時、突然森中に現れた魔物は、ひとしきりしたところで何故か突然にどこかを目指して歩き出したとの報告が多数上がっていた。


 それらの証言と、それからナナリーゼの報告。この二つを照らし合わせると、彼らが目指していた場所がナナリーゼたちの居た場所だったことが判明した。


 ただし、その理由は未だ不明のまま。


 頷くメルクラニの横から、アスクタートが口を挟む。


「にしては随分と不可解な点が多いのも事実だ。君の元へ魔物が集まったことや、ユニオンの手練れでも苦戦する相手に君たちが勝ったこと。それに、あの場所にゼラフィーナ・エルニエールが居たこと……一体何を隠している?」


 アスクタートの問いかけに、ナナリーゼは静かに返答する。


「隠してなど居ません。ただ……ペルケルズ公との協議の末、"真実"をお話しすることにした、と言うだけのことです」


 その時、アスクタートの眉がピクりと動いた。ペルケルズと言う単語が出たことで、事情を察したのだろう。そしてそれは、これ以上深入りするなと言う牽制でもあった。


 昨日、ナナリーゼは怪我の治療もそこそこに、トルナスの属する排外派、その筆頭であるペルケルズの使者と、今回の件について内密に会合を行った。


 今回の一件――イオリの暴走とそれに伴う周囲への被害については、イオリやイオリを擁する王家と王室派にとって非常に不都合であることは言うまでもない。


 場合によっては退学処分すらありえる失態だ。そしてその場合、間違いなく魔王候補からも外れることになる。


 そのため今回の一件の顛末を何としても事実を隠蔽する必要がある、と言うのが王室派の都合だった。


 その一方で、今回の事件の発端となったトルナス・ディルヴィアンとその生家が属する排外派――事実上の元老院――にとってもまた、今回の一件が不都合だったことは言うまでもない。


 彼らにとっての問題は、トルナスが人質を取るという非道に走ったこと――ではなく。イオリと戦い、そして敗北したと言う事実だ。


 魔王に最も求められる資質は国を豊かにする志だ、とは公に語られる大義名分である。しかし、実際のところはそうではない。


 国民が魔王に求めるのは何より力。最も強く、最も偉大な王であること。そして、そのために魔王に求められる資質は何より他者を圧倒する力。この点において、トルナスは致命的な失態を犯した。


 イオリア・クロスフォードに敗北したという事実は、同時に彼がイオリア・クロスフォードを武力制圧できないという意味にもなる。


 一人の個人が大軍にすら勝るこの世界において、圧倒的力を有する者はそれだけで政治的権力までも有してしまう。


 もし今後、トルナス・ディルヴィアンを魔王に出来たとしても、対立派閥はイオリア・クロスフォードを擁立する動きを見せることだろう。


 そしてその場合、トルナス・ディルヴィアンの政権下にはイオリア・クロスフォードという名の火種が燻り続けることとなる。


 その行き着く先は、国を割った争乱となることは歴史が幾度も証明していた。


 よって今回の顛末は王室派とっても、そしてトルナスを擁する排外派にとっても、非常に都合が悪いものとなったのだった。


 それこそ、下手すればネフェルティア王国の存亡にすら関わりかねないほどに。


 だからこそ、両派閥は今回の一件を『もみ消す』ことで合意した。


 お互いの喉元に刃を突き立て、どちらかが動けば共倒れとなる状況で、空いたもう片方の手で握手することを選んだのだった。


 ナナリーゼの口にしたペルケルズ、という単語には、それだけの意味が込められていた。


 両者の間に、冷たく長い沈黙が横たわる。やがて気を逸したように視線を逸らしたアスクタートに大して、二人の前に腰掛ける学園長が口を開いた。


「良いではないか、アスクタート先生」

 

 偉大なるアルドラーク学園の学園長にして、この浮遊都市クーディレリカを事実上治める無冠の王は、窓の外で傾く夕日を眺めながら続ける。


「彼女は我々が最も信頼を置く守護階級アズラ・ベルトの一人。その彼女が問題無しというのだから、問題ないのであろう」


「……学園長は、今回の一件を不問にすると?」


「不問も何も、一切問題がないからのう。ピュスリアの森を調査し、正体不明の魔物が現れたがそれも討伐済み。今日の昼間に行われた事後調査でも、異常は見られなかった……つまり全てはもう片付いたということじゃ」


 そうしてゆっくり振り返り、アスクタートの顔を覗き込む彼は、「それに」と続ける。


「もし何か問題があったとしても、賢い彼女がそれを伏せると言うことは我々が知る必要はないと言うこと。ならばわしは、彼女のその判断を信じよう」


「……」


 不服そうなアスクタートではあったが、学園長が認めた以上は言葉もない。不服そうに鼻を鳴らしてそれ以上何も口にしなかった。


「それで……正体不明の魔物とやらについてじゃが……この報告書にある内容は事実かね?」


 そして、メルクラニがまとう空気が一変する。どうやら本題はここかららしい。ナナリーゼはその問いに頷いて答えた。


「はい……あくまで憶測でしかなく、私一個人の見解、と言う前提を加えておきますが……昔目にした本に、酷似した存在が記載されていたことを覚えています」


「それは?」


 言葉を選ぶように視線をさ迷わせた後、ナナリーゼは静かに語る。


「魔女の、指先」


 その単語を耳にした途端、アスクタートの表情が凍り付く。


「バカな、そのようなもの――」


「アスクタート先生。……ナナリーゼ・クロスフォード。その言葉の意味、わかっておろうな。今一度君に問う。事実、なのだね?」


 即座に否定したアスクタートを制し、メルクラニは再び問いかける。その問いにナナリーゼは、今度は視線をまっすぐ見据えて頷いた。


 アスクタートは険しい表情のまま呟いた。まるで自身の認識が合っているか、二人と共有するかのように。


「かつて世界を手にするため、その圧倒的な力で世界を戦乱に巻き込んだとされる黒の魔女。彼女が世界と戦うために使ったのは、命無き兵士たち……魔女の指先。禁忌たる黒色コルザの断片であること以外、全てが謎に包まれた魔女の秘術――」


 その説明を肯定するように、続けてメルクラニが言葉を紡ぐ。


「もし、その秘術が本当に使われたのならば、考えうる可能性は二つ。何者かが魔女の秘術を解き明かしたか、或いは……」


 最後にナナリーゼが、核心に触れる。


「……魔女の、復活」


 部屋に沈黙が充満する。魔女の復活。その言葉の意味することを、この場にいる三人は重々理解していた。


 沈黙を払うように、アスクタートは冷たく告げる。


「かつて三英雄によって肉体を討たれた魔女は、その魂を世界の外側へ逃して今もなお彷徨い続けている……故に世界の境界へ干渉する黒色コルザの魔法は、魔女を呼び戻す危険があるため禁忌とする。もし本当に魔女が復活したのなら、何者かがその禁忌に……世界の境界に触れたと言うこと。その罪は死罪では済まされますまい」


 そしてアスクタートはナナリーゼを見下ろすように視線を向けると、「そういえば」とわざとらしく続ける。


「何処かから舞い戻ったばかりの者が一人、おりましたな。それも、十年以上探したにも関わらず見つからなかった、どこに居たのかさえ定かでない者が一人。もしや、その者を呼び戻すために――」


 ナナリーゼが僅かに喉を鳴らす。そこに割って入るようにメルクラニが口を開いた。


「今は、誰が禁忌を冒したかよりも、ことの真偽を確かめるが先じゃ。憶測で物事を進めてはならん」


「――失礼致しました、学園長」


 メルクラニに制されたアスクタートは、そう言って腰を折る。


「とにかく、事態は急を要する。先日の侵入者の件と無関係とも思えぬ。わしは早々に三王との会談を行おう。わかっておるとは思うが、この件くれぐれも口外せぬように。下手すれば要らぬ混乱を生みかねん」


 どうやらこの件がまだ終わりでないことを、その場にいた三人は予感していた。


 そして本当の危機は、これから訪れるのであろうことも。

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