【025】意地と誇りと

「ッ――!?」


 死角から現れた目に見えない何かが空気を切り裂き、イオリ目掛けて襲いかかった。その何かは咄嗟に避けたイオリの左肩スレスレを切り裂くと、近くのメジオブロープに激突する。


 振り返ると、鉄ほど硬いはずのメジオブロープの樹皮に、確かに今まで無かった深い斬撃痕が刻まれていた。


 続けて、先ほどの茂みの方から男の声がした。


「かわしたか。存外、ただの無作法者と言うわけでもなさそうだな」


 状況がわからないまま声のした方に視線を向ければ、現れたのは見覚えある顔だった。その顔を見た瞬間、ナナリーゼが忌々しげに男の名を呼ぶ。


「トルナス・ディルヴィアン……!」


「やあ、ナナリーゼ。調子はどうだい?」


 現れたのはトルナス・ディルヴィアン。相変わらずいけ好かない笑みを浮かべて、にやにやとこちらの様子を伺っていた。


「何のつもりですか。さっきの魔法……あれはあなたの第三階梯でしょう?」


「いや何、聞いていた話では魔力の制御もろくにできないとのことだったのでね。本当かどうか確かめてやろうかと思ったんだが……まさか魔法障壁ゾファリスすらも展開できないとは。逆に驚きだよ」


 トルナスはわざとらしく、右手の人差し指を空に向かって立てた。するとその先に、小さな竜巻のような何かがまとわりつく。どうやらあれがトルナスの魔法らしい。


「では、あれもあなたの仕業ですか」


 何か思い当たったのか、ナナリーゼがちらりと先ほどの魔物の死骸に視線を向ける。


 しかし、一方のトルナスは何のことを言っているのかわからないというように首を軽くひねった。どうやらトルナスの仕業ではないらしい。となると、あの魔物の死骸は――


「さて、ここからが本題だイオリア・クロスフォード。元老院は二年後にどちらが魔王に相応しいか判断するなどと、実に悠長なことを言っているが……二年後と言わず、今この場で決着を付けないか?」


 指を軽く振り、指先にまとわせていた竜巻を消したトルナスは、そのまままっすぐにイオリを見据える。


 彼の目的はあくまでもイオリらしい。


「決着だと……?」


「この前の続き……決闘だ。一対一の、ね」


「こんな時に……何言ってんだお前」


 つい呆れてイオリはそう漏らすが、トルナスは「こんな時だからこそだよ」と笑う。


「ここでなら面倒な教師たちも見ていない。本気を出して止められることもない。それに……もし万が一・・・が起きたとしても……魔物の仕業だと誤魔化せる。そうだろう?」


 その瞬間、トルナスは今まで見たことないほどに残忍な、そして冷酷な笑みを浮かべた。


「お前……!」


「お兄様、行きましょう。こんなたわごとに付き合う必要はありません。それより、調査の方が――」


「いいや、君たちは断らない。断れない・・・・はずだよ」


 トルナスの口にした不穏な言葉に、嫌な予感が背筋を撫でた。その不安を打ち消すためにトルナスの視線を追うと、少し離れたところから彼の取り巻きたちが姿を現した。そしてそこにはもう一人――


「……イオリ、様……」


「ゼラ……!? なんで……!」


 ――トルナスの取り巻き三人に連れられた、ゼラフィーナの姿。制服がズタズタに引き裂かれ、彼女の豊かで真っ白な胸元や、くすみの無い肌、腹や太ももと言った部位があらわになっていた。


 何が起きたのかは一目瞭然だった。


「トルナス……! テメェッ!!」


 今にも掴み掛かろうとするイオリを、ナナリーゼが咄嗟に制す。その一瞬はイオリが冷静さを僅かに取り戻すには十分な時間を生み出した。


 もしこのまま掴みかかれば、ゼラフィーナの身に危険が及ぶ――!


「トルナス、あなた……! 最低の人だとは思っていましたが、とうとうそこまで落ちぶれましたか……!」


 激昂するイオリの代わりとばかりに、忌々しそうに表情を歪めるナナリーゼ。しかしトルナスは涼し気に答える。


「勘違いしないでほしいね。僕はこんな卑しい女に手を出すほど落ちぶれちゃいない。ただ、あんまり暴れるものだから、少しばかり可愛がってやっただけさ」


「こんな事をしてどうなるか、わかっているのでしょうね」


「わかっていないのは君の方だよナナリーゼ。事が片付けば、まとめて全部握りつぶす。僕にはそれが出来る」


「この件を握りつぶすのは、あなたではなくて元老院でしょうに……!」


「くくく。同じ事だよ……元老院の目的も、僕の目的も広義では同じさ。さて……どうするイオリア・クロスフォード。決闘を受けるのか? それとも、この汚らしいハスブルートを見捨てるか?」


 わざとらしく、トルナスはその指をゼラフィーナの頬に充てる。そして頬から顎、顎から首筋、首筋から胸元へと順番にゆっくり、そのなだらかな形をなぞるように這わせていく。


 そこからもう一度、その指をゼラフィーナの首筋に這わせると、彼女の顎を演技がかった所作で持ち上げた。


「安心しろ。ハスブルートが一人傷物になったところで、気に掛ける者は居やしない。ましてやそれが、魔王候補をたぶらかす悪女なら尚更だ。見捨てたところで、誰も君を責めたりしないさ」


 イオリはその瞬間、間を置かずに答えようとしたが、その言葉を遮るように声を発したのはゼラフィーナだった。


「イオリ様! この者の目的はイオリ様を決闘に引きずり出すことです! 言うことを聞いては――」


「チッ、喧しい!」


 その時、甲高い乾いた音が辺りに鳴り響く。それがトルナスがゼラフィーナの頬を叩いた音だと気付くのに時間は必要なかった。


「トルナス! やめろ!!」


 しかしその身を乗り出したイオリを、尚もナナリーゼは制止する。


「ダメですお兄様、挑発に乗ってはいけません。トルナスは卑怯で姑息な男ですが、それでも実力は本物。こと魔法に至っては私を上回ります。私にすら勝てないお兄様では、勝ち目がありません」


「だったらゼラを見捨てろってのか!?」


「今お兄様が魔王候補の座を降りれば、立場を追われるのはお兄様だけではありません。それは当然、彼女も含めてです。戦っても戦わなくても、どの道彼女は犠牲になります。それなら彼女一人と引き換えにして今は――」


「ふざけんな!!」


「お聞き訳下さいお兄様!」


 聞き分けられるはずもなかった。ゼラフィーナ一人を見捨てて、イオリやナナリーゼ、その他の者たちを救う。それはまさに、イオリが嫌う弱者を見捨てる考え方そのものだ。


 かつて自分や母が見捨てられる側にあったイオリにとって、その考えだけはどうしても許容できなかった。


「トルナス、決闘だ! テメェの望み通り付き合ってやる! その代わりゼラを離せ!」


「お兄様!!」


「イオリ様……!」


 ナナリーゼの制止も空しく、イオリはトルナスの申し出を承諾する。その答えに満足げに、しかし慎重にトルナスは答えた。


「離した途端逃げられても困るのでね。勝敗が付いたら解放しよう。何、安心したまえ。彼女を盾にするような真似はしないと誓おう。もっとも、その必要すらないと思うがね」


 狡猾なトルナスらしい、人を一切信用しない慎重な答えだった。


 きっと本当に、イオリが決闘にさえ乗ってくるのであれば人質など取らずともよかったのだろう。


 そして同時に、自分の目的を達成するためならば人質を取ることすら躊躇しないのだ。


 トルナスの狡猾で残忍で、それでいて慎重な性格の一端を垣間見た気がした。


「お兄様、もう一度言います。おやめください。ここでお兄様がトルナスに負ければ、お兄様だけの問題では終わりません。魔王国の今後を左右することにもつながるのです。わかっているのですか?」


 ナナリーゼの隣を抜けるように前へ進み出るイオリ。その背中に尚もナナリーゼの忠告が刺さる。


「勝ちゃ良いんだろ、勝ちゃあ!」


「勝てるわけがないから言っているのです! 魔法もろくに使えないお兄様が、魔力抵抗まで付けて本気で勝てるとお思いですか!?」


 ナナリーゼの言葉は、もうイオリには届かない。イオリの視線はまっすぐ、正面に立つトルナスへと向けられていた。


「……ゼラに手を出せば、容赦しねえぞ」


 トルナスはふん、と一度鼻で笑う。


「何度も言わせるな。あの女はあくまで、お前をこの場に引きずり出すための餌だ。人質なんて真似はしない……しなくても勝てる」


 そして、言いながらトルナスは取り出した真っ黒い手袋を両手にはめた。無地で黒一色の手袋は布よりも薄く、紙よりも柔らかそうだ。一見すると化学繊維のようにも見えるが、恐らくそうではない。


 その証拠に、トルナスが身に着けた途端、その手袋の繊維一本一本が日の光を反射して鮮やかに煌めき始めた。


「さて、それでは……始めようか」


 不敵に笑うトルナスの瞳には、絶対の自信が漲っていた。


 僅かな者たちのみが見守る昏い森の中で、魔王国の未来を決定づける決闘が今まさに始まろうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る