【024】不穏な森の中
それからしばらくしてナナリーゼが戻り、到着からきっかり一時間経った頃。広場に集まる傭兵たちの前に、ユニオンの責任者らしき人物がキリキリと歩み出た。
生真面目そうなその人物は、簡単な挨拶と参加者への謝意を伝え、今回の作戦の概要を口にする。
「今我々がいる大陸の西、ピュスリア空港から、大きく三つに班を分けます。そしてそれぞれの目的地に到達した時点で、お配りしたこちらの信号弾を打ち上げてください」
そう言ってユニオン職員が掲げたのは太い杖に似た、発炎筒のような緑色の棒だった。先ほどナナリーゼが同じような棒を受け取っていたことを思い出す。どうやらあれは信号弾だったらしい。
「そしてもし、道中で対処困難な危険や異常が発生した場合にはこちらの信号弾を。この信号弾が見えた場合は即座に支援部隊が向かいますが、空から降りるのは困難ですから到着には時間がかかります。ですから傭兵間でもお互いに助け合うよう、お願いします」
今度は赤色の棒が掲げられる。色合い的にいよいよ発炎筒のようだと思った。
そしてどんな合図になるのか実演するために、ユニオン職員が信号弾を空に打ち上げた。
すると甲高い音と共に空に昇った赤い球が、背の高い森の木々を悠々と飛び越えた辺りで爆発し、空に花火のような赤い花弁が広がった。
独特な音と大きな光だ。まさに救難信号弾と言ったところ。確かにこれなら木々に覆われた森の中でも見逃すことはないだろう。
「説明は以上です。作戦終了時には青の信号弾が上がりますので、各自解散してください。その他、質問があれば随時受け付けます」
そこまで言い切ると、その職員は「では、作戦を開始します」とだけ告げて、傭兵たちも各々動き出した。
「私たちも行きましょう」
傭兵たちに続き、ナナリーゼも森を目指して進み出した。これからあの薄暗く不気味な森に入ろうと言うのに、随分と淡白な始まりだった。
或いは、この程度は彼らにとって日常の一コマでしかないと言うことだろうか。
ナナリーゼの後をイオリも追う。
森に続く道は、道とは思えないほどに草木が生い茂っていた。それはもはや道ではなく、木と木の間の通れる場所を無理やり踏み固めようとした痕跡が残る、ただの茂みだ。
その印象を裏切ることなく整備は殆どされておらず、一歩踏み込むだけでツタや草木が足に絡まっていく。
これほど草木が邪魔だと感じたのは初めてだ。今までイオリが想像していた森は、それでも充分人の手が入ったものだったらしい。
魔力で身体能力が向上していなかったなら、こうして歩くことすら難しかっただろう。
イオリはやがて会話すら忘れ、ただ足元だけを見つめて黙々と歩いた。
遠くで人の気配がする。イオリ達と同じように、森の中を傭兵たちが進んでいるらしい。
身体能力が向上しているとはいえ、辺りを警戒しながらの探索は思いの外体力を蝕んでいく。確かにこんな場所の調査は、今回のように大人数で一気に行うのが正解かもしれない。
それから三人は特に会話もないまま、黙々と森の奥へ進んでいった。
一番前はこの中で最も幼く、そして最も強いナナリーゼ。一番後ろは年長者であり戦いにも慣れているマテュー。残るイオリは二人の間。明らかに初心者向けの立ち位置だ。
しかしそれに文句を言えるだけの余裕も、そして実力もないことは肌で感じていた。イオリよりずっと歩幅が小さいはずのナナリーゼは、少し目を離すと見失いそうなほどにスタスタと進んでいく。
そうして何本目かわからないメジオブロープの大きな根っこを踏み越えて、額に滲む汗を拭っていた頃だった。
「……おかしいですね」
先頭を歩いていたナナリーゼが、緑の濃い森の真ん中で辺りを見渡しながら歩みを止めた。
彼女は神妙な面持ちで辺りの木々に視線を巡らせる。その視線を追ってイオリも周りを見渡してみるが、何がおかしいのかはさっぱりわからない。
精々、深い深い緑の森が空を覆いつくそうかと言うほどに生い茂り、昼間だというのに薄暗いことが気になる程度だ。
そしてその薄暗ささえも、魔力で強化されているイオリの視力をもってすれば何の障害にもなりはしない。
「どうしたんだよ急に」
怪訝な顔をしながらナナリーゼの背中に声をかけるも、彼女はすぐさま「マテュー?」と最後尾のマテューに声をかけた。
「はい。少々静かすぎます」
一方で、声をかけられたマテューもすぐさまそう返事する。それにナナリーゼが頷いて返したあたり、どうやら二人は同じことを考えていたらしい。
「恐らく、ユニオンの言っていた異変に関係しているのでしょうね」
訳知り顔で二人は言葉を交わすが、イオリには何もわからない。
試しに耳を澄ませてみるも、風が木々を薙ぐ音やイオリたちが落ち葉の床を踏みしめる音、どこか遠くで川がせせらぐ音が聞こえるばかりで、彼女たちの言うおかしさが全く理解できなかった。
一体何が静かすぎるというのだろうか。
「なぁ、俺にもわかるように説明してくれよ」
やがて辺りを調べ出した二人の背中に、しびれを切らしたイオリが声をかける。すると、すっかり忘れていたと言わんばかりに「あぁ」と声を漏らして、ナナリーゼが振り返った。
「鳥ですよ。鳥の声が全くしないでしょう。それに、動物は人間との接触を嫌いますが、魔物はむしろ積極的に出てきます。彼らにとって人間は食料でしかありません。なのにここまで来て、魔物の姿も一切ない。異常ですよ」
言われてみて確かに、と頷く。耳を澄ませてみても聞こえるのは森の音ばかりで、動物の声が一切しない。
それに森に入る前はあれほど魔物とやらが襲ってくると脅かされた割に、しばらく歩いてなお一度も見かけていない。
なるほど、確かに何か起きているらしい。
「姫様、こちらを」
少し離れたところで茂みを探っていたマテューが、厳しい表情を浮かべてナナリーゼを呼んだ。
ナナリーゼがマテューの元へ小走りで駆け寄る。その後ろにイオリが続くと、ナナリーゼの視線の先にあったのは赤黒い何かだった。
「うわッ……! くさっ……!?」
それを認識した瞬間、何かが腐ったような、息が詰まる悪臭がイオリの鼻を刺した。
茂みの中にあったのはズタズタに引き裂かれた肉塊――否、何かの死骸だった。思わず顔を背けたものの、その一瞬でも視界に映ったむき出しの骨や内臓は、いやでも脳裏に残ってしまう。
「見ない方が良いですよ。あまり気持ちのいい物ではありませんから」
涼しい顔でそう告げるナナリーゼの言う通り、辺りにはハエのような羽虫まで飛び交っていて、あまり気持ちの良い光景ではなかった。何かの動物の死体のように思えたが……
「この辺りに住まう魔物の死骸ですね」
イオリとは反対に慣れた様子で、死骸を見つめるマテューが呟く。そしてナナリーゼは一度頷いて彼に続く。
「それにこの傷跡、鋭利な何かで腹を何度も切り裂かれています。だというのに死体は食い荒らされていない……」
「捕食のために殺したわけではない、と言うことですか」
「それだけではありません。普通、死骸が放置されれば肉食獣が食い荒らしますが、この死骸は放置されてしばらく経っている……肉食獣ですら近づけないような何かが、この魔物を殺したのでしょう」
「何か、とは……?」
マテューの問いに、ナナリーゼは静かに首を横に振る。誰がやったのかまではわからない、と言うことだろう。
「二人とも、いざと言う時にはすぐに離脱できるよう心構えをお願いします。これをやったのが学園への侵入者なら、恐らく相当の腕です。この魔物を一人で倒すには、少なくともユニオンランクⅥ以上の腕が必要ですから」
相変わらず淡々とした口調でそう告げるナナリーゼだったが、その表情には険しさが宿る。
イオリにはわからないことも知る彼女のことだ。恐らく、何か不気味なものを感じ取っているのだろう。
竜籠の中で魔女の遺産のことを話していた時のような、緩んだ雰囲気はもうとっくに消え失せていた。三人の間の空気は張り詰め、さざめく風の音が不気味な魔物の唸り声に聞こえた。
護身用に持たされた、腰のナイフに思わず指を伸ばす。無いよりはマシ程度だとナナリーゼは言っていたが、存外バカにならない程度には気持ちが落ち着くものだった。
そうしてイオリが一息ついた、まさにその時だった。少し離れた場所にある茂みが、がさりと音を立てたのは。
「ッ!」
掛け声すらなく、ナナリーゼとマテューはすぐさま戦闘態勢に入って位置に付く。一方のイオリは反応が遅れ、悠長にもその場で音のした方へ振り向いてしまった。その直後。
「危ない!」
ナナリーゼの叫びも虚しく、イオリを目掛けて一陣の刃が舞う。
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