【008】魔王子の目覚め、再び
「ゔ……ぐ……」
体中を駆け巡る軋むような痛みで、イオリはまたしても不快な目覚めを迎えることになった。
デジャヴとはこのことか。イオリの視界に広がる、見覚えある天井とベッド。滑らかな布団の肌触りと、酷い頭痛。
どれもこれも既視感ばかりで思わず額を抑えていると、やはり聞き覚えのある声がした。
「イオリ様……! 良かった、お加減はいかがですか? 痛む場所はございませんか?」
彫刻のように整った顔立ちの、全身
「……ゼラ」
「はい、ゼラフィーナです。良かったです、ご無事で……」
目に涙をいっぱいに貯めて、それでも柔らかく笑うゼラフィーナ。どうやらデジャヴというわけではないらしい。
「俺は……どのくらい寝てた?」
「三時間ほどです。お医者様は軽症だと。ただ、魔力が安定するまでには時間がかかるとも……」
三時間と言うのが向こうの世界と同じ長さなのかはわからないが、確かに感覚的にそのくらい寝ていたような気がした。そして、彼女と言葉を交わす中でおぼろげだった記憶も鮮明に蘇ってきた。
「俺は……負けたのか、アイツに」
父、という言葉は意地でも使いたくなかった。
一方的と言う表現でしか言い表せないほどの惨敗。まるで虫でも払うかのような手軽な一撃によって、イオリの意識は呆気なく刈り取られた。
魔法に詳しくないイオリにでさえ、今のままでは到底太刀打ちできないことがわかるほどに圧倒的な力量差。
イオリは、魔王に敗北したのだ。
母が居なくなってからというもの、一人で生きていけるよう心も体も強くなった気でいた。だが、それは思い上がりだと思い知らされた気分だった。
「陛下は、史上唯一の第七階梯級……歴代最強の魔人と謳われる方です。負けたとしても、恥じることでは……」
沈痛な面持ちで告げるゼラフィーナ。それが慰めにもならないことをわかっていたからこそ、彼女もまた視線を落としたのだろう。
そして彼女の考え通り、イオリの心が晴れることはなかった。当然だ。あそこまで母を蔑ろにされたと言うのに、一矢すら報いる事ができなかったのだから。
人のことを利用できるコマ程度にしか思っていなさそうな魔王の、冷淡な表情が蘇る。あの男は始めから、イオリや母のことなどどうでも良いと思っていたに違いない。
そう思うと、腹の底から酷い怒りが湧きあがった。
「……何で俺を呼び戻したんだよ」
そして気付けば、イオリは怒りに任せてそんな言葉を漏らしていた。
「えっ……」
驚くゼラフィーナに対して、イオリは更に怒りを叩きつける。
「何で俺を呼んだのかって聞いたんだ! アイツの指示か? 何が目的だ! 何が……何が家族だからだよ……!」
家族だから連れ戻した。そんな言葉に多少なりとも胸が熱くなった自分がバカらしかった。
始めから利用することが目的だったのだ。きっとあの男は、イオリのことを家族とも、そもそも息子とも思っていないだろう。
天涯孤独になってから、いくら友人を作っても家族が居ない孤独だけは埋めることが出来なかった。
だからこそ嬉しかった。父が自分を待っていたということが。
その気持ちを裏切られた現実は、酷くイオリを落胆させ、同時に怒らせた。八つ当たりだとわかっていても、ゼラフィーナに当たらずには居られないほどに。
「イオリ様……」
「どいつもこいつもふざけやがって! クソッ!!」
怒りのあまり怒鳴り散らすイオリ。その時、部屋の入り口から少女の声がした。
「家族だから、と言うのは嘘ではありません。もちろん、それだけが目的だったわけでもありませんが」
不意を突かれ、思わずそちらに視線が取られる。そこには紫色のウェーブがかった豊かな髪が目立つ少女の姿。
「お前は……」
そこにいたのは、イオリの腹違いの妹だと名乗った少女。名前は確か――
「ナナリーゼです、お兄様」
イオリが名前を思い出すより先に、彼女はそう訂正してベッドの傍までやってきていた。
イオリの様子を伺うように足の先から頭のてっぺんまで一通り観察して、ナナリーゼは先ほどの続きを口にする。
「陛下は、お兄様を魔王候補の選定戦に参加させるおつもりなのです」
「魔王候補の……選定戦?」
「はい。本来、魔王位の継承権は嫡男たるお兄様にありましたが、お兄様が行方不明となったことで継承権の問題が発生しました。濃さこそ違えど、ネフェルティアの貴族には王家の血が流れている者も多いですから、誰が後を継ぐかで揉めたようです」
ベッドの傍へ椅子を動かし、腰掛けたナナリーゼ。身長が足りていないためか、彼女の両足がぷらぷらと揺れている。
「そこで、王室派と元老院は次の魔王に相応しい者を選ぶために選定戦を始めました。ちょうど都合よく、後妻に子供が――つまり私が出来ましたから、選定戦を勝ち抜いた者を次の魔王とし、私と婚約させると言う条件付きで」
随分淡々とした口調だと思った。ナナリーゼの婚約者を本人の気持ちとは関係なく、選定戦と言う謎の戦いで決めようとしているというのに。
当の本人であるナナリーゼは相変わらず淡白に「そして元老院からは三名の候補者が選ばれました」と話を続けた。
「元老院とて一枚岩ではありませんから、主要な派閥がそれぞれ代表を選んだ形です。対して王家は――」
「……私が、その候補でした」
そう答えたのは、今まで静かに話を聞いていたゼラフィーナだった。
「ゼラが?」
イオリが問い返すと、代わりにナナリーゼが頷く。
「彼女はお兄様の婚約者であり、陛下の養女でもありますから。まぁそれ以上に、王室派に人材が居なかったと言う内情もありますが……とは言え、貴族たちからの風当たりが強かったのは事実です。支持者も少なく、名前を連ねていただけと言うのが実情でした」
突き放すような冷たい言い方だったが、ゼラフィーナはその言葉を否定する素振りすら見せなかった。恐らくはそれほどまでに厳しい立場だったのだろう。しかし、これでようやく話が見えてきた。
「俺を選定戦に、ってのはそういうことか」
「はい。ペルケルズ公はお兄様が長らく行方不明であったことを理由に、選定戦の続行を陛下に願い出ました。必要な知識が足りていないことを懸念している様ですが……実際はお兄様に台頭されると困る、と言ったところでしょう」
「……」
「それに対して、陛下はお兄様を選定戦に加えることを条件に承諾しました。結果、選定戦は彼女の代わりに、お兄様を加えて続けることになったわけです」
「何だよそれ、何も聞いてねえぞ。何勝手に決めてんだよ」
「どの道、お兄様には拒否できませんよ。選定戦に参加しない場合、王室派の貴族はお兄様を見限ります。そうなればお兄様には味方も、後ろ盾も無くなります。王位継承権を失った魔王の息子。そんな立場の人間を自由にできるとお思いですか?」
「政治って奴か? 知ったことかよ。選定戦だか何だか知らねえが、あの
それはイオリの紛れもない本心だった。これ以上、魔法だとか魔王だとか勇者だとか選定戦だとか訳の分からないことに巻き込まれて、訳の分からないことをさせられるのはこりごりだった。
ただでさえ自分の頭に角が生えた現実を受け入れられていないというのに、それ以上に色々聞かされれば当然嫌にもなる。
だったらそんなこと始めから知らなかったことにして、今までの日常に帰る方がよっぽどマシだ。
だというのに。
「元の世界って……まさか、まだ説明していなかったのですか?」
ナナリーゼの非難するような視線がゼラフィーナに向けられる。一方でゼラフィーナは、バツが悪そうに視線を逸らした。
嫌な沈黙だった。一連のやり取りに、酷く嫌な予感がした。
そして、状況を察したらしいナナリーゼが溜息を一つ付いて、「いずれわかることですから」とイオリを見据えたとき、イオリはその嫌な予感が的中したことを知る。
「現状、お兄様を元居た場所に帰す
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