四つ目の噂

家達あん

クズ

「……はい」

『もしもし!? ああやっと出た。大倉おおくらくん、君今まで何してたんだ?』

「……別に」

『別に? ちっ、反省すらもないのか。とりあえず君クビだから。こんなに無断欠勤続いてたら当たり前だよね」

「……そうっすね」


 野太い声。バイト先の店長はまだずっと喋っているが、聴いていられず俺は通話を切った。


 スマホを放り投げて俺は部屋の天井を眺めた。どれくらい仰向けで寝転んでいただろうか。気がつけば部屋は真っ暗になっていた。


冬海ふゆみ〜電気点けてくれ」


 返事はない。


「冬海〜?」


 顔を上げて冬海を見るが、冬海は俺のベッドを占領して呑気に寝ていた。


「くそったれ!」


 重い身体を持ち上げて、部屋の電気のスイッチを押す。

 数秒のタイムラグの後に部屋に明かりが点いた。


 ぼろいアパートの一室でひとり暮らし……いや、ほぼ居候いそうろうになっている彼女の『清水きよみず冬海』とふたり暮らしをして2ヶ月が経った。大学はほとんど行っていない。家族からも見放され仕送りも今月から無くなった。そしてたった今バイトもクビになった。まあ無断欠勤していたから仕方はないが。大家からは「部屋の臭いが酷いからどうにかしろ」と言われた。一体いつからゴミを捨てに行っていないだろうか。

 言われるまでもない。今の俺は相当酷い有り様だ。


 用を足してから、俺は寝ている冬海を抱きしめた。


「なぁ冬海。俺ってクズなのか?」


 もちろん返事はない。

 昔から冬海は睡眠が深い。一度寝たら耳元で爆竹を鳴らしてもきっと起きないだろう。


「はあ、明日は大学行くか」


 決意表明の為、俺は声に出してそう独りごちた。

 深いため息はまるで自分のものではないほどに大きく聞こえた。



 翌朝、俺は久しぶりに大学に向かった。

 無駄に広い敷地のこの大学は俺にはあまりにも場違いで、行くたびに周りからの視線が気になっていた。実際には俺を見ているわけではないだろうが、どうもあのあからさまな大人ぶった奴らの姿が鼻について仕方がない。


秋都あきと!?」


 俺の名前を呼ぶこの聞き慣れた声の正体は紛れもなくあいつだ。


春夏はるか

「秋都じゃん! まじかよ!」


 興奮気味に俺に抱きついてくるこいつは『遠藤えんどう春夏』。

 俺が大学に進学した初日に知り合った男だ。女みたいな名前だが、正真正銘男である。ブラウンのトレーナーにブラウンのズボン、茶髪でボサボサの髪と、相変わらず全身真っ茶色な春夏は、細い目を更に細くして俺の肩をポンポンと叩く。


「ほんと何年ぶりだ?」

「2ヶ月ぶりだわ」

「え、そんなもんか」


 春夏は好奇心が旺盛で、気になることがあれば初対面の人とでも気軽に話し出す変わり者だ。だからこそ俺みたいな人間とでも気にせず話せるのだろう。


「今まで何してたんだ?」


 春夏の問いに少しだけ迷い、何気ない返しをした。


「別に、ただ大学行くのが面倒臭かっただけだよ」

「ふーん、そっか」


 深くまで訊かない距離感も俺には有り難かった。

 かと思いきや、珍しく春夏は深くまで訊いてきた。


「彼女とはどうなったんだ? 確か浮気されたとかなんとか言ってたよな」


 そう、俺は冬海の浮気現場をたまたまおさえてしまい、それを春夏に相談していたのだ。眉をひそめ複雑そうな表情を見せる春夏に、複雑な表情で俺は応えた。


「あれなぁ、直接あいつに訊いてみたら、あの時一緒にいたのは従兄弟いとこだったらしい」

「従兄弟、なるほどなぁ」

「飛んだ勘違いだった。恥ずい」


 再び肩をポンポンと叩き、春夏は「浮気じゃなくて良かったじゃん」と目を細めた。

 いい奴だ、ほんと。


 そして話が途切れる直後に、春夏は「あっ」と何かを思い出したように声を上げた。


「なんだよびっくりした」

「お前に頼みたいことがあったんだよ」

「頼みたいこと?」


 ああ、嫌な予感しかしない。


「とりあえず暗室あんしつに来てくれ」


 ため息を洩らす俺に気づかず……いや多分気づいているだろうが、春夏は暗室へと向かっていく。


 因みに暗室とは、写真現像の為の暗い部屋……ではなく、春夏が所属しているオカルトサークルの部室で、『暗黒の地に染まりし王室』の略称である。一体誰が名付けたのやら。厨二病すぎてこっちが恥ずかしい。


 春夏が頼みたいことというとサークル関連のことでしかない。それもオカルトに関する何か。「心霊スポットに行ってほしい」とか「とある呪物を見つけに行ってほしい」とか無茶な頼みを平気でするのだ。もちろん不可能なことははっきりと断るし、それに対して春夏も無理強いはしないところはちゃんとしている。

 だが、断るたびに泣きそうな表情をする春夏を見るのはどうも胸が痛い、というよりはたから見ればこっちが悪いように見えかねないから断りづらいのだ。


 大学の北の方に3棟並ぶサークル棟があり、その内1棟の一番奥、窓に黒い画用紙が貼り付けられた部屋こそが『暗黒の地に染まりし王室』通称、暗室である。


「悪いなぁ、講義さぼらせて」

「さぼったところで今更何も変わらないよ」

「それもそうか」


 ハハハと笑う春夏は鞄から骸骨のキーホルダーがついた鍵を取り出し、暗室を開けた。

 中は言うまでもなく真っ暗で、機器さえ揃えば写真現像もできるのではないだろうか。春夏は入口の壁をまさぐり、電気を点けた。


「相変わらず、変なものだらけだな」


 狭い部屋の至る所に変なものが無造作に置かれていた。変な石ころ、変な紙切れ、変な絵画、変な写真。王室とは名ばかりのただの汚い部屋だ。


「あ、適当に座ってくれ。今は講義中だから他の奴らは来ないから」


 俺は近くにあった理科室にあるような木製の椅子に腰を下ろした。

 春夏は立ったまま、「さてと」と一呼吸して俺に向き直る。


「この街の山奥にとあるホテルがあって、そこはもう随分前に潰れたんだけど、廃墟になった今そのホテルでは色んな噂が立っているんだ」

「あーなんか聞いたことあるかも。ラブホテルだったところだろ?」

「そうそう!」


 春夏は興奮気味に俺に人差し指を差してくる。


「結構有名な心霊スポットかもな」

「けど噂はあんま聞いたことない。どんな噂があるんだ?」


 春夏は俺に向けていた人差し指をそのまま上に向けて「まずひとつ目の噂は……」と続ける。


「女性のすすり泣く声が聞こえる」


 追加で中指を立て、


「ふたつ目は、フロントにある電話が鳴り、受話器を取った時に声を聞くと死ぬ」


 薬指を立てる。


「そして三つ目、202号室に男の人の足が歩いている」


 沈黙を終わりと判断し、俺は疑問を述べた。


「女性のすすり泣く声っていうのはどこから聞こえてくるんだ?」


 他の噂は場所が明確に指定されているが、その噂だけが場所が指示されていない。


「あー噂では1階で聞こえたっていう人もいれば、3階で聞こえた人もいるから場所までは特定できなかったんだ」

「なるほどなぁ。じゃあふたつ目の噂はこれはどういう意味だ? 実際に声を聞いて死んだ人がいるのか?」


 春夏は罰が悪そうに目を逸らした。


「秋都よ、噂ってのは大抵そんなもんだよ」


 つまりはよく聞く「〇〇すると死ぬ」とか、そういうただの噂あるあるの文句のひとつでしかないだけなのだろう。詮索しすぎるのもよくないか。

 じゃあ最後の噂は……。


「男の足が歩いてるっていうのはどういう意味だ?」

「これは言葉通り、男の人の足が歩いているらしい」

「なるほど」


 あくまで噂。なんの信ぴょう性もないただの噂でしかないが、春夏の所属するオカルトサークルではこういう噂を地道に調査していくようなところなのだ。

 ではなぜ自分で行くのではなく、わざわざ俺に頼むのか。春夏自身は怖いものが苦手ではないし、むしろよくホラー映画とかを観るような奴だ。ただ俺と春夏の違いは……。


「じゃあ今回も俺が調査しに行けばいいんだな?」


 俺と春夏との違い、それは視えるか視えないかの違いだ。

 昔から俺は人には視えないものが視えていた。俺の祖母も昔は視えていたらしいが、大人になって視えなくなったという。俺もそうなるのだろうと思っていたが、大人になった今でもずっと視えている。

 だからこそ春夏は俺に心霊スポットに行ってほしいと頼み込むのだ。


 ただ、今回の頼みはそれだけが理由ではないようで、春夏は眉をひそめる。


「どうかしたのか?」


 春夏は親指を曲げててのひらを見せてきた。


「実はあのホテルにはもうひとつ、四つ目の噂があるんだ」

「四つ目の噂?」

「ああ。あのホテルは403号室だけが鍵が掛かっていて開かずの間になっているんだ。ただ……」


 そこで春夏は口をつぐむ。


「ただ、なんだ?」


 訊ねると、春夏は俺の目をじっと見つめた。


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