ハードボイルドたぬき探偵Tニキ

ゴオルド

ティーニキの事件簿

 俺はハードボイルドなたぬきだ。

 職業は探偵。

 たぬきには似合わない都会暮らしをしながら、主にあやかし関係の事件を解決して日銭を稼いでいる。


 外見について一応説明しておこうか。そうだな、40前後ぐらいの人間の男で、年のわりに目が若々しく輝き、服装は小洒落た男を想像してもらったらいい。下あごと下っ腹に貫禄を蓄えているが、決して肥満なわけではない。貫禄だ。



 さて、今朝のことだ。

 近所のコンビニで朝食のおにぎりを買うついでに、好物のイチゴオレも買って帰ろうと思い、ジュース売り場に足を向けたときのことだった。

 その俺の目の前で、老婆が売り場のバナナ一房を堂々とニットの上着の中にしまって脇に挟んだのだ。万引きだ。周囲の目をおそれるところのない大胆な犯行だった。


「おい、ばあさん。そいつはちょっといけねえぜ」

 老婆の肩をつかんでこちらを向かせて、はっとした。どろんとした瞳はどこか遠くを見ていた。

「……ばあさん、あんた、この近所に住んでるのか?」

 老婆は何も言わず、ただ突っ立っているだけだった。

 店員が訝しげにこっちを見ている。声を掛けようかどうしようか迷っているふうだ。

「ちょっとそれ、俺に見せてくれよ。ほら、今持ってるやつ」

 上着から半分はみ出た、脇に挟まれたバナナを指さすと、老婆はあっさりとバナナを手放した。

「うまそうなバナナじゃねえか。ばあさん、バナナが好きなのか。俺もフルーツは大好きだぜ」

 しかし、老婆は何も言わない。


 俺はレジに行って、おにぎりとイチゴオレ、バナナ代を払い、老婆の手をひいてコンビニを出た。

「ほら、婆さん。バナナだ、しっかり持ってな。家まで帰るんだろう、送ってくよ」

 老婆はバナナを受け取ると、黙って歩き出した。



 30分ほど歩いたところに老婆の住むアパートはあった。2階建てで1階には3部屋しかない小さなアパートだ。老婆が1階の手前の部屋に入ったので、勝手について入ると、予想どおり中はビニール袋があふれかえり、足の踏み場もないありさまだった。

「おい、婆さん、あんた食事はちゃんとできてるのか」

 問いかけてみたが、そんなことは台所の荒れっぷりを見れば一目瞭然だ。ビニール袋は天井まで積み上がっており、流しまでたどり着くことさえ不可能だった。これでは炊事は無理だろう。

 俺は持っていたおにぎりを老婆に握らせた。これが食い物だってわかってくれるといいが。

「それじゃ、俺は帰るけど、今夜は冷えるらしいからな、あったかくして寝ろよ」

「うん」

 初めて老婆が返事をした。



 アパートを出て、歩きながら果奈に電話を入れた。3コール目で「はい、小森です」という若い女の声がした。


「果奈、俺だ、ティーニキだ。ちょっと相談したい」

「Tニキさん、どうかしましたか」


 果奈は社会福祉協議会というところで働いている精神保健福祉士だ。年齢20代ぐらいのぽんやりした色白の女だ。俺は先ほどの老婆のことを説明した。

「認知症の方かもしれませんね。ひとり暮らしなんですね?」

「あの家の感じだと、多分そうだろうな」

「わかりました。今日中に市職員と一緒に様子を見にいきます」

「ああ。頼む」

 電話を切ろうとしたら、果奈が「あ、済みません、Tニキさん、私もお願いしたいことがあるんです」と言い出した。

「仕事の依頼か?」

 それはつまり、あやかしの事件なのかという質問だ。

「ええ、おそらくは」

 果奈は社協の職員として、市中のボランティア団体や児童・民生委員、町内会などからさまざまな相談を受けている。その中にはあやかし絡みのものがあり、そういった事件を俺に回すことで解決していた。


達木たちき町にお住まいの独身男性が、あやかしに取り憑かれているんじゃないかって、その男性の親族から相談がきています。本当にあやかしかどうか、あやかしなら退治が必要かどうかを調査してほしいんです」

「わかった。様子を見にいってみるよ」

「ありがとうございます。助かります。もしあやかしなら対異形課が退治に向かいますので、Tニキさんは危ないことをせず、確認だけお願いしますね」


 俺は住所を聞くと、電話を切った。イチゴオレのパックにストローを挿し、一口飲む。

「まったく、朝飯ぐらいゆっくり食べさせてほしいもんだ」




 果奈から聞いた男の家は、達木町の住宅街に建つ古いマンションの5階にあったが、エレベーターもオートロックもなかった。おそらく賃貸専用のマンションなのだろう。俺は少々息を切らしながら、経年劣化で黒ずんだ階段をあがった。

 5階に到着すると、冬だというのに額に汗が浮かんだ。運動不足なのかもしれない。決して肥満なわけではない。


 さて、これから消火器にでも化けて男の帰宅を待とうと思った矢先、なぜかターゲットの家のドアが開いた。

 予想外だった。平日の午前10時だ、男は出勤していて家にはいないと思っていた。在宅仕事なのか、たまたま今日は休みだったのか。


 ともかく俺は瞬時にコガネムシに化けて、壁に張り付いた。できれば消火器のほうが良いのだが、とっさだったので虫になってしまった。もし男が虫嫌いだったら丸めた新聞紙などでたたき潰されてしまうおそれがある。

 ひやひやしながら出てくる人物に注目した。しかし、出てきたのは男ではなかった。

「う……重ッ……やっぱゴミ捨てって、まめにやらないとダメだな……いや、ダメだじゃん~みたいな~」

 奇妙なひとりごとをつぶやきながら出てきたのは、若い女だった。特大のゴミ袋を四つも持っている。重みでバランスを取られ、彼女はたたらを踏んだ。するとチェックのミニスカートが揺れて、うさぎのプリントが入ったパンツが丸見えとなった。白シャツの胸元は大きく開けて、大きな胸がこぼれんばかり。首にはチョーカー、手首にはくしゃくしゃの布を巻き付け、腰にはカーディガンを巻いている。長い髪は金色に染めていて、毛先がゆるくカールしていた。


 これは……これはいわゆるJKってやつか。それも平成の漫画に出てくるギャルだ。


 ターゲットのやつ、どういうことだ。独身男性なのではなかったか。まさか未成年をうまく丸め込んで家に連れ込み、性的虐待をしているんじゃないだろうな。あとで果奈に報告するために、しっかり女の容貌を覚えておこうと意識を集中した、そのときに気づいてしまった。


 こいつ、人間じゃない。

 俺は匂いでわかるんだ。この獣臭、人間の匂いとは全然違う。


「おまえ、あやかしだな」

 俺はコガネムシの姿のまま、JKもどきに声をかけた。

「は? 何なのあんた、まじウザイんですけどぉ!」

 女はすぐさま俺に言い返してきた。

「いいか、よく聞け」

「はあ? なんなの?」

「普通、人間のギャルはコガネムシに返事なんかしねえ」

「……そっ、そんなのわかんねえだろ、いや、わからないわよ、ん? いや違う、えっと……、わ、わからねーし! あーしはコガネムシとしゃべるタイプのギャルだし!」

「しゃべり方も適当じゃねえか」

 俺は変化を解いて、いつもの人間の姿になった。自称ギャルは俺の変化へんげをみても、平然としている。

「おまえ、どうしてこの家の独身男に取り憑いているんだ」

「とっ、取り憑いてなんかねーし!」

「じゃあ、何してるんだ」

 えっと……と急に口ごもった。

「ど、同棲してるだけだもん……」

 顔を赤らめるJKもどきは、体をくねくねさせて、「きゃー、言っちゃった」と小さく呟いた。

「あーしたちは愛し合ってんの。だからほっといて」

 俺は鼻をひくつかせた。どこか香ばしい獣臭だった。

「おまえ、キツネだな。においでわかるぞ。変化を解け」

「やだ」

「そうか。なら、俺は見たことをそのまま依頼者に報告する。中年男が未成年を連れ込んでいるから警察の介入が必要だってな」

「なっ、脅すなんて卑怯だぞ」

「じゃあ、変化を解け。俺に本性を見せてみろ」

「……ちくしょう、わかったよ。でもここじゃ目立つ。部屋の中で……」


 案内された部屋は、2DKタイプのマンションで、外から見たら古ぼけていたが、中は案外しゃんとしていた。

 リビングには丸いラグが敷かれ、その上にローテーブルとクッションが乗っている。キッチンにはひとり向けの家電が揃い、ベランダの物干しにはタオルと靴下が掛けられ、風に揺れていた。ベッドサイドの小さな棚には写真立てが立てかけられ、JKもどきと中年のおっさんが笑顔で並んでいた。

 いかにも平凡な人間が生活している巣穴といった感じだった。


「……で、おまえはなんでJKギャルなんかに化けてるんだ」

 俺は床に座り、目の前に座った男を睨んだ。やたら前髪が長くて、目の細い、面長の若い男だった。

「人間の男を騙して、どうしようっていうんだ」

「別にどうこうしようなんて思ってねえし……」

 キツネ男は、細い目をさらに細くして、居心地悪そうに肩を丸めてそっぽを向いた。

「相手の男は、おまえの正体に気づいてるのか?」

「それは秘密にしてる」

 俺は思わず溜息をついた。

「一体何が狙いだ」

「狙いっていうかさ……」

 キツネ男は頬を染めた。

「好きっていう感じ、かな……」

「つまり人間の男に惚れてしまったから、女に化けて家に上がり込んだのか。まったく呆れたやつだな。バレたら地獄だぞ」

「バレないように、うまくやるし……」

「何言ってんだ、俺が調査依頼を受けている時点で、周囲にはもうバレかかってるじゃねえか」

「そうだった……」

 キツネはうなだれた。

「手紙を書け」

「なんの?」

「お別れの手紙だよ。ほかに好きな人ができました。さようならって書いて、家を出ろ」

「い、いやだ!」

 キツネ男は立ち上がって、俺をにらみつけた。

「俺は、あのおっさんが好きなんだ。絶対に離れたりなんかしねえし」

「おっさんを騙して一緒に暮らしても、そんなのは幸せって呼べねえだろう」

「うるさい、たぬきなんかに何がわかる!」

 キツネはこぶしを震わせている。

「落ち着けよ。なんでそんなにおっさんに入れあげてるんだ。あの写真のおっさんだろ、どこがいいんだ」

 どこからどうみても平凡なおっさんだった。

「あの人は、昔俺に騙されたのに、俺を責めず、おなかを撫でてくれたんだ」

「……それだけか?」

「ああそうだよ、それだけだよ! 悪いかよ! でも、それだけだけど……その手はとっても……あったかかったんだ……!」

 キツネは床につっぷして、わんわんと泣いた。

「そんなに好きなら、本性を見せて交際を申し込め。それが正しいやり方ってもんだろう」

「おっさんはノンケなんだ……ノンケのギャル好きなんだ……俺が俺のままでそばにいたって、一生こっちを見てくれないにきまってる……」

 まったく。やっかいな依頼を受けたもんだ。俺は一体どうすりゃいいんだ。

「おい。キツネ。おまえ、おっさんを騙して悪さをしようと思ってないって、誓って言えるか?」

「言える」

 涙声ではあったが、はっきりとキツネは言い切った。

「おっさんを決して悲しませないと誓えるか?」

「誓える!」

「本当かよ、まったく……」

 俺は立ち上がった。

「きょうのところは帰る。だが、もしおっさんに何かあったら……わかってるな」

「た、たぬき……おまえ、俺を見逃してくれるのか?」

「俺じゃないだろう、あーしだろ」

「あっ、へへっ、そうだった。あーしだ」

「あと、俺の名はTニキだ。覚えておけ」

「ありがとう、Tニキ!」



 マンションを出て、果奈に報告の電話を入れると、「Tニキさん、冗談でしょう。キツネのあやかしにまんまと丸め込まれちゃってるじゃないですか」と、案の定叱られてしまった。

「まあ、そう怒るなよ。きっとキツネも悪いことはしねえさ」

「そんなのわからないです。……私、決めました。今度、被害者の男性と面会させていただくことにします。何か問題がありそうだと判断したら、キツネのことを対異形課に通報して退治してもらうことにしますから。被害者との面談はTニキさんも同席してくださいね」

 面倒なことになってきた。




 翌週の日曜日の午後。俺と果奈はファミレスのソファに並んで座り、目の前のおっさんと一緒にメニューを見ていた。

「山盛りポテトを注文してもいいでしょうか」

「果奈、遊びじゃねえんだ。ドリンクだけにしとけ」

「えー、何か食べるものがあったほうが、リラックスして会話できるんですよ」

「山盛りポテトなら、ちょうどクーポン持ってますよ」

 おっさんは半額クーポンを財布から取り出した。倹約家なのだろうか。

「えっと、それで社会福祉協議会の方が、俺にお話とは?」

 ポテトを注文すると、おっさんは早速質問してきた。呼び出されたときからきっと気になって仕方がなかったのだろう。

「実はあやかしが……」

 果奈がそこまで言っただけで、おっさんは血相を変えた。

「うちの嫁は良いあやかしですから! 退治しないでください!」

「うん? あやかし? おたくの嫁さんはあやかしなのか?」

 我ながらしらじらしいと思いながら尋ねると、おっさんは目を伏せて頷いた。

「良くないことだとはわかっています。でも違法ではないですよね」

「まあ、法律で禁止はされてませんけど……」

 果奈も戸惑っているようだ。

「でも、そうでしたか……。彼女があやかしだってお気づきで、それでも通報せずに一緒に暮らしてらっしゃるんですね。騙されているわけではないというのでしたら、私どもも何も言いません」

「良かった……!」

 おっさんは心底ほっとしたように笑った。

「でも、よくあやかしだって気づいたな。人間にはわかりづらいと思うんだが」

「さすがにわかりますよ。あいつ体臭きつすぎて獣臭だし、ベッドは細かい毛だらけだし、ギャルっていう割りには流行とかおしゃれとか全然知らないし、言葉遣いも変だし。そもそも戸籍もないっていうし。多分キツネのあやかしですよね」

 バレバレじゃないか。何やってんだ、あいつは。

「でも、不器用だけど一生懸命演じてるのが可愛くてたまらないんです」

 何が男心にヒットするかわからないもんだ。

「あいつ、俺がギャルが好きだからって、ギャルに化けてるんだと思うんです。俺好みになろうとして一生懸命なんです。もしかしたら本当はブスの女狐……あるいはオバサンのキツネってこともあるかもしれない。でも、いいんです、あいつの本性が何であれ俺はあの不器用なギャルを一生愛する覚悟です」

 ブスでもオバサンでもなく、本性はにーちゃんだが、その秘密だけは守られているようだ。


 もし男が酷い目に遭っているのなら介入する気まんまんだった果奈は、すっかり肩の荷がおりたようで、気の抜けたぽんやり顔に戻ってポテトをつまみ始めた。

「帰るぞ、果奈」

 皿いっぱいに盛られたポテトを名残惜しそうに見つめる果奈を引っ張って、俺はファミレスを出ることにした。

 会計を済ませた後、振り返ると、席に残っている男が液晶の割れたスマホを操作しながら会釈してきたので、俺も会釈を返した。きっとキツネをここに呼んで、一緒にポテトを食うのだろう。



 外は雪が降っていた。

「うう、寒。果奈は車で来てるんだろう? 送ってくれ」

「はい、おまかせあれ。この辺で待っててください」

 果奈が車を回すのを待っている間、ファミレスの出入り口付近の生け垣のそばに立ち、歩道をぼんやりと眺めていたら、ひとりで歩いている老婆が目に付いた。

「あれは……」

 以前、コンビニでバナナを万引きした老婆だ。ここは老婆の家から離れている。まさか徘徊というやつだろうか。

 俺が一歩前に踏み出したときだった。

「持田さん、待って」

 水色のジャージを着た女性が老婆にかけより、肩に手を置いた。二人はなにやら会話を交わし、笑い合うと、そのまま手をつないで歩いていった。


「Tニキさん、お待たせ」

 声を掛けられ、目の前に停まった車の助手席に乗り込む。

「どうかしました?」

「何が」

 果奈は眉毛をにゅんにゅんと上下に素早く動かした。

「何か良いことがあったっていう顔をしてますよ」

「そうか? 気のせいじゃないか。俺はハードボイルドなたぬきだぜ。いつだってポーカーフェイス、そうだろ?」

「はいはい。あ、そうだ、Tニキさん、ドリンクバーで遠慮してたでしょう。オレンジジュース1杯しか飲んでなかったですよね。帰りにコンビニに寄ってイチゴジュース買ってあげますね」

「きゅーん」

 おっと、たぬきの姿に戻ってしまった。



 俺はハードボイルドなたぬき、Tニキだ。

 職業は探偵。

 嬉しいことが重なると変化が解けて、たぬきの姿に戻ってしまう。もちろん果奈には秘密だ。だってそんなのハードボイルドには似合わないだろう? あやかし絡みの事件なら、なんだってクールに解決してみせる、俺はそういう男なのさ。


 <おわり>

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