彼女の秘密【短編】

陽麻

彼女の秘密

 大学一年生の俺には、いま二つ年上である三年生の彼女がいる。

 彼女は、なんとこの大学のミスコンで一位に輝いた美人だ。

 だから、ってこともないけれど、俺は彼女に一目惚れをした。そして、彼女に猛烈に仕掛けていったのだった。


 彼女に言い寄る男たちに負けず、食事の約束を取り付けたり、一緒に映画を見に行く約束をしたり。

 彼女は試すように数人とデートをしていたようだったが、最終的に俺一人と付き合うようになった。


 なぜ俺なの? と聞けば、大樹くんはきっと大丈夫そうだから、と言われて。

 何が大丈夫なのかと聞いても、それは教えてくれなかった。


 そう、俺は特別勉強が出来るわけでもなく、顔がいいわけでもなく、スポーツができるわけでもなく。ただ、日々を普通に生きている18歳だ。


 その俺の隣には、着飾る必要もないくらい綺麗な彼女が寄り添っていた。

 俺よりも二歳年上だけれど、そんなこと関係ない、可愛い、綺麗な。

 俺は、そんな彼女を持つことができて、鼻の下を伸ばしながら幸せな生活を送っていたのだ。




 そんなある日、彼女が俺の部屋に泊まった。

 当然、俺たちは愛し合い、ベッドの中で一緒に眠った。

 幸せだと思って、次の日の朝は彼女よりも早く目が覚めた。

 愛しい気持ちを込めて隣の彼女をみやる。


 しかし、そこにはいつもの綺麗な彼女ではなく、――こういっては何だが不細工な女が寝ていたのだった。


 俺は嫌な動悸がした。

 昨日は確かに彼女だったのに。

 しかし、彼女の胸元にあったほくろが、この女の同じところにもついている。


 いつもパッチリしていた目はとても小さくて。

 つやつやだった肌もくすんでいる。

 潤っていた唇はいま、かさかさ。

 髪も寝起きのためにぼさぼさで。


 誰なんだ? と思う間に、女が起きた。


「ああ、大樹くん、おはよう」

「おはようございます、水谷先輩」


 いつもの彼女の声に、俺は咄嗟に返事をする。

 緊張して堅くなっている俺に、彼女はケラケラと笑った。


「ああ、化粧が落ちてる? ちょっと鏡みせて」


 長いパーマがかかった髪を手櫛で後ろへ流し、彼女は俺の持ってきた手鏡を覗いた。


「ああ、つけまつげも取れてるし、二重も無くなってるか。シャワーかしてくれる? さっぱりしてから化粧しなおすから」


「あ……はい。どうぞ、使ってください」


 綺麗な先輩という、俺の今までの夢想は、崩れ去った。

 風呂場へ向かう彼女を呆然と見送って、しばらくショックで放心する。

 でも、だからって彼女を嫌いになることも無かった。

 ただただ、化粧の力というものに恐れ入ったのだ。


 化粧、まさに化けてよそおうのだ。


 彼女はいま、俺の知っている彼女の顔ではなかった。

 変わりすぎだろ、と心で彼女にツッコミを入れる。

 どう化粧をすればあんなに変われるんだ。純粋に疑問だ。


 シャワーの音が途切れると、さっぱりした彼女は洗面所で服を着て、頭を拭きながら俺の部屋へと戻ってきた。


 彼女は俺がいつも使っているテーブルについて、バッグから化粧道具と思われるセットを一式取り出す。


「今から化粧するから見ないでね」


 昨日までとは違う顔の彼女が、恥ずかしそうに俺の方を向く。

 俺は好奇心が勝って、彼女に聞いてみた。


「見ててもいいですか?」


 彼女は意表を突かれたように目を丸くする。


「合格」


「? 何がですか?」


 すると、彼女は可笑しそうに笑う。


「大抵の男は、この顔見ると急に冷たくなったり、よそよそしくなったりするんだよね。運が悪いって怒ったりするヤツもいる、騙されたって」


 最後の「騙されたって」と言った彼女の顔は、泣きそうにゆがんだ。


「大樹くん、年下だけど、見どころ大いにあるね。やっぱり私の勘は当たってた」

「見どころ? 勘って」

「大樹くんは私の本当の顔をみても大丈夫な男だって、勘。一緒にご飯食べたり、映画に行ったりしたとき、そう思ったの」


 最初に言っていた『俺ならば大丈夫』ということは、そういうことだったのか。


「私、本当は綺麗じゃない。でもこうして化粧で綺麗になれるなら、綺麗にしていたいじゃない。もとが綺麗じゃない分、頑張ってさ」


 先輩は綺麗じゃないですか、とはとても言えなかった。嘘になるから。それほど、化粧を取った彼女の顔は、化粧をしているときと、かけ離れていた。


「とくに好きな人の前では綺麗でいたいからね」


 彼女は俺を見る。

 泣きそうに笑いながら。


「水谷先輩は、綺麗じゃないけど、可愛いですよ」


 俺は、綺麗じゃない彼女の目を見て、真面目に言った。


「そういうところ、すごく好きです」


 そうだ、俺は彼女の綺麗な顔も好きだったけど、可愛い性格も大好きだった。

 好きな人の前では綺麗でいたいって。 

 なんて健気で可愛いんだろう。


「そう、水谷先輩はかわいい」

「大樹くん……」


 俺は彼女の顔を胸に抱き寄せた。

 彼女は俺の胸の中で安堵の溜息をほうっとはく。俺たちはしばらく抱き合って、彼女は俺の背中に手を回し、俺も抱きしめ返した。


「良かった、彼氏が大樹くんで」


 そう呟いて身体を離すと、彼女は化粧をするためにテーブルへ向かう。


「じゃあ、お化粧するから」

「うん、見ています」


 彼女は少し顔をしかめた。


「それ、恥ずかしいから。見ないで」

「どう変わって行くか、見たい」

「悪趣味」


 水谷先輩は嫌がったけど、俺は彼女が化粧をする様子を見ていた。

 彼女の顔の上を化粧筆が走る。

 滑らかに顔を撫でる筆遣いは、言葉にならないくらいのテクニックだった。

 顔を彩って行く化粧は、もはやアートだ。

 特に目が、化粧をするとものすごく変わる。

 目を二重にし、アイライナーを引いて、アイシャドウを入れていく。

 眉毛はカットしてふわりと、そして自然なつけまつげをつける。

 片方が終わると、半分だけ何時もの彼女の顔になって、無気味で怖かった。


「水谷先輩、顔、怖いですね」

「うん、私もそう思う」


 その顔でほほ笑まれ、俺も苦笑した。

 マジで怖い。


「もうちょっと待ってて、顔、造っちゃうから」


 顔を造る! 彼女の場合はその言葉がベストマッチしていて、笑ってしまう。


「大樹くんは本当に見どころあるね」


 鏡を覗いて化粧筆を動かしながら彼女は俺に言った。


「そうですか? 俺、今の水谷先輩の方が面白くて好きかも」

「変わってる」

「そうでもないですよ」


 きっと俺は彼女の『綺麗さ』よりも、『可愛さ』の方が好きだったんだ。

 なんて今更気が付いた。




 化粧の終わった彼女は、今までどおりのミスコン優勝者の綺麗な彼女になった。


「どう? 綺麗にできたでしょ」

「ええ、綺麗です」

「ふふふ」


 彼女は意味深に笑う。


「私の男を見る目も、確かだったってことかな」


 彼女は悪戯っぽく笑って俺に言った。

 だから俺も苦笑した。


「そうですね。俺、今までよりも水谷先輩に親近感が湧いた気がします」


 化粧の終わった彼女を見て、なんだかちょっとこそばゆい感じになった。

 この下の本当の顔を知っているのは、俺だけ。

 その優越感というか、面白さというか、彼女の可愛さというか。


 そのすべてひっくるめて、俺は彼女が今までよりも大事になった。







「お前、水谷先輩みたいな美人が彼女でいいな」


 彼女に並み居る男たちの声に、俺はいつもこう答える。


「ああ、俺は幸せ者だよ」


 と。

 彼女の秘密を知っているのは、俺だけでいい。


 おわり


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