星魚追う船(完結・全5話)

天野橋立

#1 ファースト・コンタクト・Ⅰ

 乾いた暗闇が広大に広がるばかりの宇宙空間にも、怪談というものがある。

 代表的なもので言えば「フォボスの舞姫」などは良く知られている。火星の第一衛星であるフォボスの、ジャガイモのように凸凹とした地上に、華やかなキモノをまとった女性が現れるというのである。


 非人間的に孤独な宇宙船での長旅を続けるうちに幻覚が見えたのだろう、などと言われているが、その目撃例は有意に多かった。

 舞い踊る、美しき姫の姿を見るために、わざわざフォボス近辺を経由するコースを取る船まであったほどだ。正体不明の存在が姿を現す恐ろしさよりも、美女への憧れが上回るほどに、宇宙空間は寂しい場所だった。


「フォボスの姫」の真相については、未だに解明されていない。恐らくは、その複雑な地表が作り出す影の形に理由があるのだろう、と考えられてはいたが、それ以上のことは分かっていない。

 一方で、最初は「怪談」同然に扱われていたが、後になってその正体が判明し、人類に衝撃を与えた存在もある。

 それが、「星魚ほしうお」だった。


 人類は、エリダヌス座方向に存在すると推測される、謎の地球外勢力との「宇宙戦争」の最中にあった。

 ちょうど、太陽系外への進出が本格的に進められていた時期。冥王星の無人基地への攻撃から始まったその「戦争」は、相手の正体が未だに不明であることから、まったくその展望が見通せていない状況だった。


 そう、それは全く奇妙な戦いだった。

 攻撃は全て、遠距離からの高速弾体攻撃によって行われた。

 タングステン‐タンタル合金でできた基地のドームを瞬時に蒸発消滅させるという、その攻撃力は深刻な脅威であり、何よりも一方的だった。どのような形で、どこから発射されたかさえ、まだ特定できていなかったのだ。

 幸いなことに、攻撃対象となっていたのは太陽系外縁部の無人基地や探査船のみで、人的被害もまだ出ていない。

 しかし、人類史上初の地球外勢力からの攻撃という事態に、社会には大きな動揺が広がっていた。

 国連宇宙軍UNSAも、この事件を受けて警戒を急速に強めていた。しかし、正体不明の相手に対する反撃のめどなど、まだ少しも立ってはいなかった。


「星魚」と初めて遭遇したのは、その国連宇宙軍UNSA所属のふねだった。

 タイタン軌道第2基地に所属する「ヴィックス」号という三人乗りの小型掃宙艇。外太陽系へ向かう艦艇が通る、「第三指定航路」と呼ばれる宇宙航路の安全を確保することを任務としており、その日は天王星の衛星であるウンブリエルの軌道近辺を航行中だった。


 その存在に最初に気づいたのは、立体レーダーで前方を監視しながら艇を操縦していた、「ヴィックス」号の航宙長、ポトフ大尉だった。

「ロン艇長。レーダー画像をご覧いただけますでしょうか。進路前方に、少々が……」

「『おかしなもの』? 大尉、報告は明瞭簡潔を心がけたまえ」

 艇長、オーファメイ・ロン少佐は、いくぶん顔をしかめながら長い黒髪をかき上げて、コンソール上のスクリーン・ボックスを覗き込んだ。転送投射された立体レーダー像がそこに浮かび上がる。


 前方に浮かぶ物体は長細い砲弾状で、尾部など数か所にひれ《フィン》のような薄っぺらい形状の突起物が見られた。ミサイルに少し似ているが、しかし全体にごつごつとしたその表面はやはり岩石のようで、人工物の滑らかさではない。

 これにそっくりのを、昔どこかで見たことがある、彼女はそう思った。


「こいつは……古代魚というやつによく似ているようだ」

「その通りです。航行補助AIも、そのように判断しています」

 情報システムエンジニアも兼ねている、機関長のゼビウス中尉が、航行システムの自律AIからのサジェスト情報をスクリーンに表示して見せる。

 古代魚「シーラカンス」。ジャパン特別州ヌマヅ市のミュージアムにあるというその標本と、この微小隕石はきわめてそっくりだと自律AI内の仮想委員会は示唆していた。


「さすがは無限の大宇宙だ、こんな偶然が起こるとは」

 ロン艇長は、感心したようにうなずいた。

 もちろん、こんな宇宙空間の真ん中で巨大な魚が泳いでいるなどということは、ファンタジー作品の中でしかあり得ない。当然の判断だ。

「焼き払うのは惜しいが、微小隕石を放置するわけにも行かないな。クリーナーレーザー、スタンバイ」

 指定航路内に入り込んだ隕石を焼き払っておくのは、この艇の重要な任務だ。艇長の判断に迷いはない。


「レーザー・スタンバイ、アイ・サー」

「ああ、そうだ。機関長、このレーダー立体像を、しっかり記録しておけ。宇宙軍広報部がデイリー・コラムの記事で使ってくれるかも知れない」

「アイ・アイ・サー」

 ゼビウス中尉が、すかさず仮想ボタンを叩いて空間録画アプレットを起動した。結果的にこの記録映像が、きわめて重要な意味を持つことになった。


「それでは航宙長、コントロールを渡してくれ」

「コントロール艇長に、アイ」

 スクリーン・ボックス内に、照準に用いる十字線レティクルが浮かび上がった。ロン艇長が手元のジョイ・スティックを操作すると、艇はわずかに向きを変え、魚の形に似た微小隕石に十字線の中央が重なる。

「クリーナーレーザー、照射」

 艇長が宣言して、ジョイ・スティックのボタンを押した。光線が宇宙空間を走り、隕石の中央部に赤い点となって命中する。レーザーによって与えられたエネルギーで赤熱した隕石は、たちまちに溶解蒸散する――はずだった。


「これは、一体どういうことだ」

 艇長が思わず立ち上がる。スクリーン・ボックス内の「魚」は一瞬だけ赤い輝きを見せただけで、レーザー照射後も何の変化もしていなかった。目視で見える距離ではないが、コクピットの正面ガラス越しに、艇長は微小隕石の姿を直接確認しようとしていた。

「馬鹿な……レーザーのエネルギーがすべてキャンセルされました、艇長」

 前方の空間情報をモニターしていたゼビウス機関長が叫んだ。信じられないことだったが、次の瞬間彼らが目撃したのは、もっと信じられない場面だった。


 魚に類似した形態を持つその微小隕石が、くるりと向きを変えたのだ。その両目に見える部分が「ヴィックス」をにらみつけて、さらには口に当たる部分が、かっと開かれる。その姿は、もはや完全に魚そのものだった。

 わたしは夢でも見ているのか、長い宇宙での生活でついに精神に異常をきたしたのか。動揺しながらも、ロン艇長は必死で冷静さを保とうと努力した。

「機関長、現状はしっかり記録しているな?」

「アイ、サー。取得したあらゆる空間情報を保存しています」

「よし、記録データのバックアップを基地内サーバへとパルスレーザー送信。何としてでも、この記録を残すんだ」

 このふねが沈むことを、ロン艇長は覚悟していた。宇宙空間における「理解不能の事態」の発生は、つまりは最悪の結末を意味している。


 次の瞬間、前方の魚形物体は、艇に向かって急速に前進を始めた。

 そして、大きく開かれたその口で、メインエンジンの一つをかじり取って行ったのだった。


(#2「短い休暇」に続く)


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