11-1 崇暁 A

「……確かに私達のような若人が戦死することは、今の覇國では『散華』の美しさに例えられるほどの栄誉です。しかし、あなたはそれ以上に一人の、ましてその戦力は折り紙つきです……」

 戦闘後、回復してからすぐに上官の部屋に連れてこられた僕は、そこでめっぽう叱られた。僕の命の重さ、その価値についてひたすら続く隊長の説教は、ある一点を除いては頷けなくもなかった。その一点とは、僕の命の価値の基準が戦争であることだ。

「わかってます。僕だって、まだ終わりたくない」

 長い尋問をこの言葉で切り捨て、そこで話は終わった。背中合わせの状態でお互いに溜息をつき、彼女は部屋に残り、僕はそそくさと出ていった。

 終わりたくない。この言葉はついさっき自分から出た言葉なのに、いやに響いてくる。他人から、それも僕にとって好意も興味も持つに値しない人達から心の慰みものにされる感情はたまったものじゃない。戦いが終わったら、彼らはどんな顔をして僕らを迎え入れるのだろうか。

 誰もいない廊下を渡り、階段を降りて、兵舎の一階へ向かう。階段を挟んで隣にある医療室の扉を開け、俯いた顔の方へそっと歩み寄る。

「ラプラ、調子はどう」

 びっくりさせないよう、声を抑えて彼女の名を呼んだ。ラプラの顔が上がると、痩せた頬と青白い肌、窪んだ目の隈を浮かべた姿に心が痛んだ。


 ラプラは初陣の後、間もなく別の前線で侵攻作戦の魔人部隊として派遣された。そこは数個の集落を跨いだ冬枯れの戦場で、敵味方が入り乱れる凄惨な戦いだったという。数日に及ぶ戦いで民間人も巻き添えになった。あまりにも血生臭い光景は、並の少年少女には到底耐えられるものじゃない。魔人部隊を率いてなお戦いが長引いたのも、彼らの動揺ゆえだろう。その心労はおおよそ察せた。察する必要があった。そんな混戦の末に、何とかハーフブルス軍は勝利し、兵站の要地を得た。

 その帰途、ラプラは一人雪道を歩く子供を見たらしい。ラプラもその時は一人だった。それは多くの仲間が犠牲になってしまったからでもあり、誰かと打ち解けられないがためでもあった。身も心も疲弊する中で、ラプラは一人ぼっちの子供を見過ごさなかった。

「きみ、どうしたの? そんなところにいたら、兵隊さんに捕まっちゃうよ……」

「兵隊……? お姉さんも兵隊じゃないの?」

「……そうだよ。私も、怖いよね……」

 ラプラの半分くらいの歳の男の子は、目に涙を浮かべぐずりながら答えた。

「こわかった。こわくて泣いてた」

「いいんだよ。泣いてもいい」

「だけど泣いたらみんな怒ってた。どならないけど、みんなぼくの方を向いて、泣く子は出ていけ、お前のおかげでみんな死ぬんだ、って言うんだ。みんなはあそこにいる」

 子供は白雪にぽっかりと空いた黒い穴を指差した。

「いいの……? 私に教えて」

「泣いたら、連れてかれた。どうすればいいの」

 切実な目だった。本当はラプラも分からなかった。だが、不思議と心の中で答えは分かっている気がした。

「あそこには行かない。それでいい?」

 意を決して、だけどそれがバレないように尋ねる。心の底で最悪な予想が渦巻いたが、それはすぐにかき消した。

「うん。殺さないで。あそこには僕の母さんもいる。母さんと仲良しの人もいる。だから殺さないで」

「……うん」

 今にもまた泣きそうな彼の頭を撫でながら、せめて彼の悲しみを拭えるようにふるまった。

 私は、笑えているだろうか。

 どこにも信頼できる人がいない以上、ひとまずこうしてなだめる必要がある。その上で、ラプラはブレスの入った竜人の血液袋――非常時に飲用して一時的に魔力を高めるための支給品――を洞窟近くの黒岩にぶちまけ、「ここで敵を始末した」と誤解させた。あの中にいる人達が無事であることを願いながら。


 ラプラは駐屯地に着くなりうずくまり、身体をこわばらせて泣いた。背負ってきた重荷に耐えられなかったのだろう。魔人を監視する兵士はこれを『戦況の過剰適応』と判断した。結果として兵舎に戻され、ここにいる。

 彼女の焦がした琥珀を嵌めたような瞳は光を宿しておらず、かじかむように震えていた。兵士になる前から一緒だったはずの僕を揺れる眼差しで一瞥して、また俯く。

 ラプラは僕にも恐怖を抱いていた。僕も戦いに『適応』してしまったのだろうか? そう思うと、こちらにも感情が伝播するような錯覚がした。

「ヘルク。よかった、生きてて。久しぶり。私は元気だよ」

「ちゃんと休めてる? まだ顔色が――」

「大丈夫、大丈夫。それに、戦わなくて済むっていうのは正直嫌だから」

 ラプラはぎこちない作り笑いを浮かべた。

 ラプラは雪原の初戦で凄まじい爆発の魔法で焼き尽くした『戦果』がある。戦果のおかげで彼女は噂され、同じく表彰された僕と共に配給される料理の献立も一つ増えた(味に関してはここでは話さない)。

「だよね。ここだけの話、早く終わってほしい。終わればまた料理を作れる」

「うん……そうだね」

 ラプラも兵士としての戦力は決して低くなく、だから同年代の魔人兵に一目置かれる。それが辛かったんだろう。兵士扱いされることがだ。そして僕も、少しずつその空気に馴染んでいっている。

 人の命を奪った手で作る料理か。作れないな、こんなに汚れてる手じゃ。

「だから、頑張るよ、僕。ラプラと、クラプスの分まで。早く終わらせよう。だから、無理しなくていいよ」

「ヘルク……うん」

 ラプラの緊張が次第に解けていく。口角が殆ど上がっていなくても、それは安堵の微笑みだと理解した。

「ところで、その本……」

 桜色の表紙の小さな記録帳だった。その表紙には『崇暁教記録』と書かれている。古代語とは違う大きさと画数を備えた字は近年より以前のがもたらしたもので、彼らが匿われた後にとして改良されている。その文字体系は複数かつ複雑で、一つの文字体系だけの古代語とは数も文法の相違点も限りない。

 そんなことより気になるのは、という文字だ。

「この『漢字』……なんて読むの?」

「スウギョウキョウ。君は……知らなかった?」

「ああ、これってこういう字なんだ」

 名前に関してはマギがよく言っていたから覚えている。あまり教えてはくれなかったが、元々は古い教団だったと語っていた。

「古い宗教の話なの?」

「古い宗教……確かにそうだったね。でもこれは違う。名前を借りた別の集団だよ」

 ラプラは膝の上に薄赤の帳を置く。それを見る視線が深刻なものに変わった。

「昔と今は違うの。これは叔母さんが一応持っておきな、って言われて受け取ったもので、『今の崇暁教」について書かれてる」

「崇暁教はハーフブルスが最近認めた国教だよね。何があったの?」

 尋ねると、ラプラは言い淀んだ。

「それは話すと長くなる。ちょうど今夜ツチノヤが食事当番なの。そこで作戦会議をするとこ」

「ツチノヤ? でもあいつ、ゴリゴリの言語おた――」

「細かいことはいいの。確かに彼は古代語の扱いについて厳しいけど、話は分かる人だから」

 ラプラはにこりとはにかむ。他人が彼女を兵士として羨むことに悩みはしても、ツチノヤと話が合うなど完全には孤独じゃないんだろう。だとすれば、心配になるのはクラプスの方だ。まだ『手術』は進行中なのだろうか?

「真夜中の消灯前三十分、食堂で落ち合いましょう」

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