3-1 悪魔 A
何度かの出会いと別れを経て、僕らはやっと目的地に辿り着いた。
エルナの街。劇を観に行ったあの小さな街とは違い、こちらはその何倍も賑やかな都市だ。これでもまだ地方の都市らしく、世界の規模の大きさを感じさせてくれる。うっすら生成りに染まった、みすぼらしい僕らの服とは対照的に、彼らの身に纏う衣装はとても鮮やかだ。赤、黄、緑、紫。それぞれがまるで自然から吸い取ってきたかのようにありありと色づいている。でも、『青は藍より出でて藍より青し』という言葉を教えてもらった身からすると、彼らは自然から『誇張』したがっているのかも。
視線を上げる。すると人々の服の彩りからかけ離れた白い旗が掲げられている。大きな円形の建物は、かつてここで闘技大会が行われていたことを伝えるものだ。その周りにある市場とテントに群がる雑踏は、この闘技場が街の見所の一つであることを雄弁に語っている。
そこで売られているものは食べ物ではなく、過去の戦士の絵が描かれたコインだったり、絵画だったり、彼らをイメージした宝石のブローチだったりした。出店の前には、色鮮やかな服や、ゆったりした丈の長い服に身を包む男女がごった返していた。英雄って、ここまで人を惹きつけるのか。それとも人のいるところに商売人あり、ということなのか。
いずれにせよ、食えない物はどれだけ綺麗でも興味が湧かないことには変わりなかった。そんな物を買える彼らと買えない僕らの間には、どうにも埋め合わせられない溝があると感じた。溝というにはあまりにも違いが遠く離れている気がするが、そのおかげで隣の芝生を気にせずにいられるというもの。関係が近ければ『嫉妬』が生まれる。例えば仕事とか食べ物の量とか、自分へのごほうびとか……
でも、そんなことを気にしない人間が一人いる。彼女を察してライラックが尋ねた。
「お前、エルナのリシ様が好きなんだろ?一つくらい買うか?」
エルナのリシ。この地域で一番愛される英雄の名前だ。僕はあまり興味ない。
「ううん……我慢する……するけど……」
隣でじっとしていたマギは、苦虫代わりに爪を噛みながら悔しさを滲ませた。
「そっか。じゃあリシ様は次来る時までお預けだな」
いなされて無念が混じった唸り声を上げた。威嚇する子犬みたいだった。
エルナのリシ――いや、リシ『様』だ。これをつけるのとつけないのとでマギの態度が違ってくる。彼は世界に通じる武勇を持ちながら故郷に住み続け、各地の闘技場の勢力を示す旗印の中でも、唯一『灰色』の旗を守り続けた男だという。
遠い昔の闘技場には『征服戦』というものがあった。それぞれの闘技場を運営する組織が、それを置く各地の偉い人に地元有数の戦士を選んでチームを組ませ、それぞれで争わせる仕組みだ。各チームには一つの色が当てはめられ、戦いの成績に応じて弱い色は消え、強者の色の旗印がどんどん広がっていく。次第に強く大きな色のチームが睨み合う中で、灰色の旗はリシのいるエルナだけだった。その色を彼は何十年もの間守り続けた。
エルナ周辺の人にとって、リシはまさしく故郷の英雄であり、その故郷への愛着心はエルナの外にも知れ渡っている。強さはもちろん容姿も良かったそうで、そびえ立つ石像も確かに顔が良い。未来の人間であるマギですら彼を崇めているのだから、実際は相当……なんだろう。おまけに魔法も使えたらしい。しかも水の魔法で、よりによって冷気も使える!
ここまで闘技場やリシの説明が長くなってしまったが、これくらい語れる余裕を費やしてようやくマギが諦めの一歩を踏み始めた。彼女の迷いはそれくらい長かった。
溜息をつくマギに内心少しうんざりしてそっぽを向く。すると、大通りを闊歩する鎧の男達が目の前に近づいてきた。
それを見たライラックが目を細める。隣のマギが守るように距離を詰める。
男は僕に一度だけ振り向き、それから興味なさげに前を向き直して通り過ぎた。彼らを見送った後、今度はライラックが小さくため息をついて、
「今のはちと迂闊だったかもな」
とマギをたしなめた。マギが僕を守るように近づいたことが、余計に騎士の気を引かせたかもしれない。事実、後ろ姿が見えなくなるかの所で耳打ちのような動きを見せた。
何故僕らがここまで騎士を警戒するかというと、今の戦争事情にある。形勢逆転の一手として魔人を投入する策があり、見回りを偽って騎士達が魔人をさらうという噂がエルナ地方に広がっていた。
当事者として複雑な問題かと言われると、正直そこまででもない。ただ、自分を拾ってくれたことへの恩を返すことができなくなることを考えると、まだその時じゃないと思った。だから、これまでは魔法を使う前に二人が騎士の存在を確かめ、万一怪しい場合は本調子じゃないなどの適当な理由で時間を置いたりした。それくらいには繊細でいる。
とはいえ、何ヶ月もこの地域限定で奉仕を行う身だ。このままここに留まっていたら見つかるのは時間の問題だろう。見つからずに魔法を使い倒すには、まだまだ時間がある。
大通りの誘惑から抜け出した僕らが向かうべきは、今自分達がいる場所の反対側の郊外。そこに食物が安く買える市場が並んでいる。エルナの中でも治安はあまり良くない方だが、その程度の喧騒なら簡単に我慢できる。
だが、商人の態度は気に食わない。彼が汗水垂らして商品を手に入れ、それらを並べて取引する苦労も推し量れるとはいえ、その努力に踏ん反り返るような心構えには――
「おっ旅人方ぁ、目が合ったなぁ! これは運命だ。何か買ってくれるんだよなあ?」
――わずかな苛立ちを覚える。
「あぁ? 運命に縋らないと物も売れねぇなんて可哀想だなぁ、おい?」
「なんだテメェ、やんのか?」
「馬鹿言え、ここでやる意味ねえだろ。可哀想だから買ってやるって話だ」
互いの口論に、僕は肩をすくめた。買い手がいないと利益が発生しない状況において、売り手の態度はあまりにも軽率だ。そうせざるを得ない理由がここにはあるのか。
良いように言いくるめられた商人は舌打ちをした。ライラックとマギはそれを気に留めず、棚に並べられた野菜や豆類を品定めする。安く仕入れされたものだろうが、多くはエルナ地方の野菜ではないから値段は少し張る。そして当然、エルナ産の物は安い。二人は銭貨の入った袋と品物を交互に睨み、気に入った物を籠に入れていった。
「これでいい。銅貨十五枚で足りるか」
片手に乗せられた銭袋を差し出し、ライラックは店主に問いかけた。先程彼がしていたように、店主が金と品物を交互に見やる。それから鼻で笑った後、
「十分すぎるくらい足りるね。寧ろ不安になる。嬢ちゃんとガキを連れてるにしちゃあ、随分粗末な物を選んだじゃないか」
店主が選び直せ、と言う代わりに籠の食べ物を突き返してくる。見比べてみると確かに色は褪せているが、これくらい綺麗に食べられる。ライラックも同じ意見のようで、かぶりを振って彼の突き出した手を押し返す。
「大方品質によって利益を釣り上げる寸法なんだろ? それくらい分かってる。悪いが、質の良い食い物を自由に選べるほど、俺達は裕福じゃねえんだ」
店主がにわかにたじろいだ。図星だ。ライラックにはこの程度の本心を読み解くくらい朝飯前なんだ。
「……まあいい」
その言葉で動揺を消した店主が、籠と銭袋を同時に受け取る。そして二人が選んだ物のいくつかを棚から取り出し、もう一個ずつ追加する。どれも発色が良かった。
「こいつは俺のやり口を見抜いた褒美――それから、せめてもの気遣いだ。てめえも貧乏ならせめて美味い物を食え。ここはそう言う奴らには優しいからよ」
籠いっぱいになった野菜とお釣りを渡して、店主はほくそ笑んだ。ライラックが鼻で笑い返す。
「ありがたいね。一つ聞くが、さっきの脅し文句は誰にでもそうなのか?」
「別に、金持ってそうな奴にしかやらねえよ。中途半端な守銭奴にね。わざわざ郊外に住みながら洒落た暮らしするような奴がいる。そいつが狙い目なんだ。それに、俺も貧乏だからね」
「へえ、俺は守銭奴なのか」
「ああそうだな。もっとも別の理由でだが」
仲が良いのか悪いのか、よく分からない二人ね、とマギが小言を漏らした。僕もそんな気がして、肩の力を抜いた。
その時、ふわりと髪が揺れる感触と共に、風に仰がれた紙切れの折れる音がした。
マギに話をつけ、紙を拾いに行く。
「盗人注意」。
街道の道案内の下に付け加えられた警告のような文字書きだった。頭の中に一瞬電流が走り、風上の方を見てみた。十字路の周辺で店に並ぶ客、その後ろを通り過ぎる人々、軒先にしゃがんで休んでいるみすぼらしい老人。その多くの人混みが往来する通りの中を、頭巾を被った少年が横切っていく。
その頭巾の中から、一瞬流れ星のように瞬く色彩を見た。
僕は眉をひそめた。彼の目に気付いた周りの人も、わずかに背をのけぞらせ、彼から離れた。
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