第3章 強い風で物語は転回する

20.発想の転換

 ☆☆☆


 季節は初夏。緑豊かなゼルコーヴァの街は、例年であれば一番気持ちがいい季節だ。それなのに季節外れの寒風が吹き荒び、あろうことか雪を孕んだ風巻しまきまで頻発している。本来この時期に街を彩るはずのゼラニウムやアイリス、バラといった色とりどりの花々も咲いていない。今年はもう作物の収穫は絶望的だ。どうしてこんなことになっているのか。

 猫の妖精亭カフェ・ケットシーのエミリア婦人が、同盟国のサザンスフィアに住む従兄弟から受け取った頼りによると、あちらではそんな異常気象は起きていないということだった。原因を知るために、おそらく街で唯一の手がかりであるセントールのケルビンを何回か訪ねた。しかし毎回「分からん」の一点張りだった。

「方法がないわけではないが」

「それはどんな方法でしょうか」

 エミリア婦人は思わずケルビンの言葉を遮ってしまった。ケルビンはため息をついて続ける。

「山の向こうに広がる古の森に住む風の精(エアリエル)ならば、天の精霊を沈めてくれるだろう」

「それは無理です。あの山は年中濃い霧が立ち込めていて、半分以上登って帰ってこれた人はほとんどいません。そこを越えて向こう側に行くなんて……。それともケルビンさんなら、何か山を越える手立てを知っていますか?」

「山を越えること自体は無理ではない。私の知り合いの大鴉レイヴンに頼むことができる。大鴉たちは山の両側を行き来している。風の精たちがまだいることも彼らから聞いたのだ」

 エミリア婦人の顔が明るくなる。

「でしたら!」

 興奮するエミリア婦人をケルビンは制する。

「待て。向こう側に行くことはできても風のエアリエルに頼まなければならない。私は彼女たちと敵対しているわけではないが懇意というわけでもない。無償では天界に働きかけてはくれまい。おそらく代償が必要になる」

「代償? どんな代償でしょうか? この街で払えるものならば、皆協力してくれるはずです!」

「子供だよ。存亡の危機に瀕している風の精は、願いを叶える代償として自分たちの一族に加わる人間の子供を要求するはずだ」

 エミリア婦人はこの話を街の役人たちや町長に話した場合のことを想像した。おそらく……、

「これを街の権力者たちに話したら、おそらく乗るだろう。アテネ孤児院の子供たちを差し出して」

 頭をよぎったことを先にケルビンに言われた。

「あなたはそれが正しいことだと思うか?」


 ☆☆☆


 そこまで書きあげて「なんかイマイチ盛り上がらないな〜」と悩む。プロットに既視感がある。ただ気分が乗らない理由はそれだけではなかった。

「あ〜、やっぱり絵がないといまいち楽しくないんだよなあ」

 高井戸楓は小学生の頃からファンタジーと呼ばれるジャンルが好きだった。現実とは違うけれど緻密に構築された世界観と重厚なストーリーの創作物が好きで、いつか自分でもそういうものを自分でもつくってみたいと思っていた。

 高校生になってもその気持ちは持ち続けており、ついに小説を書きはじめた。自分はイラストや映像といった美術的造形よりも言語によって世界を構築することで、ワクワクする物語をつくれると考えていた。けれど実際に書きはじめてみると登場人物や世界観を言葉で表現しようと思っても、頭の中では文章よりも視覚的イメージが先行して現れる。自分は言葉よりも絵や映像で創作物を楽しんでいたことを自覚した。

 自覚したのになぜ小説にとどまっているかというと、絵を描くのが苦手だからである。それを「私は絵よりも濃厚な世界観やストーリーが好きなのだ」と自分に言い聞かせて誤魔化していたのだ。

 多摩北高校には、漫画研究会がある。漫画研究会は漫画だけではなく、アニメやゲーム、それにラノベまで幅広く扱っていると聞いた。そして自分たちで作品をつくってイベントに出店したり賞に応募したりしているという話も。つまり楓が興味あることをやるには、漫画研究会に入るのが近道なのだ。それは分かっている。分かってはいるのだが、そこに入部することは自分の趣味を公にすることであり、それには相当な抵抗があった。

 余計な考えを追い払うように頭をぶんぶんと振って物語の続きを構想する。風の精というのは、果たしてどういう造形であるべきか……。

「パッと思い浮かぶのはやっぱり羽のある人間だよな」

 「羽のある人間」と口に出して、また部室が火事になった夜に見た巨大な黒い鳥を思い出した。あの場にいたレオもリュウも「巨大なカラス」と言っているけれど、羽以外のシルエットは人間だった。2人とも「ありえない」ことを口に出すのが怖くて、無理やり理解できる枠に当てはめて違和感をやり過ごしているんだろうか。

「あー、今夜は全然集中できないな!」

 国領渚から「ちょっと妖怪に関して聞きたいんだけど」と唐突な相談を受けたのはそんな悶々としていた時である。


「カラス天狗?」

 先日、武蔵野亭に千歳という得体の知れない男が訪ねてきた。その時の話を、渚は詳細に楓に話した。説明自体は理解しやすかった。問題は内容そのものが現実離れしていることだ。

「やっぱりどうかしているよね?」

 うん、という言葉をかろうじて飲み込む。

「どうして私に話そうと思ったの?」

「楓だったらこんな話でも聞いてくれると思ったの。というかはっきり言って他に話せる人いなくて。ごめん、迷惑だった?」

 渚は、ちゃんと聞いてもらえるか不安で仕方ない、という感じである。

 渚はストーリーを作るのが得意なタイプではない。どちらかというと起こっている事象を客観的に分析したり事実を追求したりするタイプに見える。小説家かジャーナリストかでいえば後者だ。その渚の作り話にしてはよく出来すぎている。それに楓自身もやはりあの火事の日に見た羽の生えた人型の生物がずっと気になっている。

「迷惑じゃないよ。びっくりはしたけれど」

 電話越しに渚が安堵しているのが分かった。

「つまり、いなくなった武蔵野亭の猫を探せばいいんだよね?」

「そう」

 漱石というその猫を、楓はみていない。楓たち地域文化研究部員が武蔵野亭に来るようになってから、入れ替わるようにいなくなったという。

「うん、わかった。ちょっとすぐには良い方法思いつかないけれど、一緒に考えうよう」

「ありがとー!」


 電話が終わった。さて、どうしようか。渚は真剣だったし、楓の個人的趣向として怪現象には興味がある。試しに乗っかってみるか。渚以外にこの話をしなければいいだけのことだ。

 楓が引っ掛かっているのが、渚と聖が「漱石=怪猫説」を頑なに却下しようとしている点だった。なぜだろう。千歳なる人物の話をひとまず受け入れて、妖怪探しをすることにしたのに、なぜ「漱石がその妖怪である」という部分は受け入れられないのだろうか。いま姿をくらましているのだから、可能性の1つとして考えるのは自然だと思うけれど。

 渚の話を聞くと「あんなに小さくて可愛くて人懐っこいのに!」といった子猫の造形や振る舞いばかりが、漱石を庇う理由として挙げられていた。そういえば以前読んだ小説だかエッセイに猫に心を奪われた男の話が書かれていた。ある男があまりにも猫を溺愛し、猫と戯れる彼の様子に彼の妻だったか恋人だったかは尋常ならざる嫉妬を覚えた、といった物語だ。嘘か本当か分からない話だったが、楓はこの時、猫というものに魔性を感じて恐怖したのを覚えている。

 もし現代社会に本当に妖怪がいたとして、そして千歳が言うように人間との関係性の中に存在するのだとしたら、人間を魅了する姿形をとるのは極めて自然に思える。発想の転換だ。可愛い猫の妖怪がいるのではなく、不定形の妖怪が可愛い猫の姿をとったのだ。猫の姿をとる必然性……。もしかしたらこの事件を解く鍵は、異常気象とは別のところにあるのかも知れない。

 そこまで思考を巡らせて、我に帰った。

 「あ、やば! のめり込みすぎたな。妄想、妄想」

 自分に言い聞かせても、一度芽生えた好奇心は消せない。ニタニタと口元が緩み、楓は無意識に笑っていた。

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