17.巻き込まれ体質
同じ頃、飛田がレオ、リュウ、楓の地域文化研究部員三人を連れてカフェ「武蔵野亭」を訪れていた。若葉校長からここを紹介してもらっていたのである。
「私の娘がこの街でカフェを経営している。そこのカフェに広くはないがイベント用のスペースがある。部室ほど自由には使えないだろうができる範囲で協力はしてくれると言っていた。注文が入っていない時は、コーヒーも自由にいれてもらって構わないそうだ。一度、直接娘と話してみてくれ」
そういうわけで、店の定休日である水曜日に飛田と3人の部員は武蔵野亭にやってきた。
「ここだな」
「あ、こういう雰囲気好きかも」
楓の声は弾んでいる。飛田もこういう日本家屋のカフェは趣があって好きだ。
出迎えてくれた遥は、飛田より四歳年上だと聞いている。
「なんか突然ご無理を言って申し訳ないです」
我ながら固くなっているのが分かる。気さくな人に見えるけれど、校長の娘なのだ。
「いえいえ、今日は特に出かける予定もなかったので……。あれ?」
遥の視線は自分を通り越して後ろの生徒たちに注がれている。
「こんにちは」
振り返ると、レオとリュウが遥に目礼をした。
「うちの部員をご存知ですか?」
「ええ」
遥が笑顔になる。レオとリュウとの接点を話したことで、三月末の神社での出来事は飛田も知るところなった。楓は改めてレオや聖の活躍に興奮しているが、飛田は違うことを考えていた。火災が起きた時も、カラスがたくさん飛び立っていったと聞いている。これは単なる偶然だろうか。
一同が遥との挨拶を済ませ、店に関する話を聞いたあと、レオが持参した豆を使ってコーヒーをいれはじめた。部員たちがいつもコーヒーをいれていることを聞いて「せっかくだから、仙川くんのコーヒーを飲んでみたい」と遥がオーダーしたからだ。
地域文化研究部員は、店が定休日である水曜の放課後はイベント用スペースを自由に使っていいと言われた。また資料置き場として、お店の奥にある一画も使って良いとのことだった。
「あとは、キッチンや調理器具も、お客さんがいない時は自由に使ってくれていいから。もちろんコーヒー関連のものもね」
いたれりつくせりである。
「だってせっかくここ使うならコーヒーも自由に入れたいでしょ。特に仙川くんは使い方慣れているみたいだから、後片付けさえしてくれれば問題ないわ」
コーヒー豆は持参するか、お金を払ってくれればお店にあるものを使って良いとのことだった。
代わりの条件として部員は週に一日以上、武蔵野亭でスタッフとして働くことになった。こちらは無休のボランティアになるが、地域文化研究部は「地域の活性化につながる活動」をする部活だ。これも部活動の一環ということもできる。
レオのコーヒーで一同がくつろいでいるところで、店のドアが開いた。遥が席を立って様子を見に行く。
「あれ、今日って何かあったっけ?」
入り口の方から少年が遥に質問する声がした。定休日なのに店から談笑が聞こえてきたからだろう。すぐに声の主が姿を現した。
そういえば、ここに多摩北高校に通う彼女の甥っ子が下宿していると聞いていた。ということは、この小柄な少年が棒切れで華麗にカラスを撃退した柴崎聖か。飛田はレオみたいな体躯の青年を想像していたが、この少年から強そうな気配はまったく感じられない。それに覇気がない、というか表情が暗い。世界の終わりのような顔をしているではないか。「ヒーローは見た目も逞しいもの」というマッチョな考えは古いと理解してはいるが、それにしてもこの少年が聞いたような活躍をする様が想像できない。
「こんにちは」
挨拶をする少年の声も表情も強張っており、初対面が得意ではないことを全身でアピールしている。けれど飛田の後ろにいるレオの姿を認めると、にわかに表情が明るくなった。
「あ、あの時の。仙川……先輩ですよね?」
「やあ。同じ高校だったんだね」
「あの時は、助けていただきありがとうございました。ロクにお礼も言えずすみませんでした」
少年は、ハキハキと喋りはじめた。遥の方をみると、彼女も甥っ子の様子に意外そうな顔をしている。
「いやいや。お礼なら国領さんからすでにことづかったし、俺ほとんど何もしてないからね。えーと名前、聖くんだっけ」
「はい、柴崎聖です」
「ほとんど聖くんが撃退したようなものだったから。そんなに丁寧にお礼言われると恐縮しちゃうよ」
そうやって謙遜する様子すら聖には先輩の余裕に見える。飛田と遥と楓はこの一幕をなんだか尊いもののように見ている。リュウだけは「そんなにキラキラした目で俺を見ないでくれ!」というレオの心の声を洞察している。
「あの、今度ちょっと相談したいことがあるんですけどいいですか?」
「相談? なんだろう?」
「今度、整理して話します。今はちょっと頭の中がぐちゃぐちゃで」
「普通に連絡先交換すればいいじゃん」
楓が助け舟を出す。
「あと、私たち毎週水曜日にこのカフェに来ることになったんだ。部室が使えなくなっちゃったんだけど、ご好意でここ使わせてもらえることになって。だからしばらくは学校以外でもちょくちょく会えるよ」
聖はホッとしたような表情を浮かべている。念のため連絡先も交換した。
「まあなんかあったら何でも言ってくれ。できることだったら何でもするから」
「ありがとうございます!」
大船に乗ったつもりでいたまえ、と言わんばかりの堂々とした態度(リュウ以外にはそう見えた)に、聖は頼もしさしか感じていないだろう。数日後にレオは、安易に請け合ったことを少し後悔することになる。
多摩北高校地域文化研究部の三人が帰った後、「武蔵野亭」で遥と聖は簡単な夕食を済ませた。高幡はまだ帰ってきていない。
「仙川くんが淹れてくれたコーヒー美味しかったー。運動神経もいいし、爽やかだし、人当たりいいし、あんな高校生いたのね」
と遥が褒めちぎる。
「勉強の成績もいいらしいよ」
「完璧じゃない!」
こんなにはしゃぐ叔母を見るのは初めてである。やっぱり女の人はいくつになっても素敵な男の子にときめくものなのだろうか。
「あ、コーヒー飲む? 天狗ブレンドで良ければ入れるわよ」
天狗、という言葉を聞いた瞬間に気分が沈む。
「今日はいいや」
「そう? じゃあ私はそろそろ帰るね」
「そういや、漱石は?」
「そういえば昼はいたのに生徒さんたちがきてから見なくなったね。賑やかなのがすきな人懐っこい猫なのに」
たしかに漱石はそういう猫だ。
「帰ってくるかも知れないから、もう少しドア開けとこうか?」
「いや、雨降ってるから閉めようよ。前から思ってたけど、猫用の入り口、作れないかな」
「そうねえ、ちょっと考えようか」
聖だって漱石をいつでも出入り自由にしておきたいとは思っている。自分がここに越してくる前に、漱石がカラスに襲われたという話も聞いている。だから心配ではあるのだが、今日は戸締りをしないと聖自身が不安で仕方ない。どうしてもドアの隙間からカラスが入ってくる光景を想像してしまう。
遥を見送り、部屋に戻った後で、聖は千歳という男との会合を反芻する。もし今日レオに会えなかったら、本当に神経衰弱になってしまったかも知れない。今やレオへの信頼は揺るぎないものになっていた。
問題は彼にどう相談するかだ。ありのままをいきなり話してもさすがに信じてくれないだろう。正気を疑われる可能性もある。作戦を立てなくては。
寝る支度をしていると階下で音がした。一瞬ビクッとしたが、帰宅した高幡のようだ。不思議なものでしばらく一緒に過ごしているとその人がたてる音で感覚的に誰だか識別できるようになる。今日は同じ家に大人がいることが心強く感じられた。
雨は止む気配はない。風がガタガタ窓を叩く。この時期にこう雨が続くのは異常かもしれない。千鳥という謎の男は「この街に危機が迫っている」と言っていた。漠然と不安を感じずにはいられない。
ふと、机の下から小さな何かが姿を現した。
「あれ、漱石そんなところにいたのか」
小さな黒猫が甘えるように「にゃあ」と鳴いて、聖に擦り寄る。漱石に触れて聖の不安と緊張が少し減った。ベッドに入ると漱石が寄ってきた。今夜はここで寝るようだ。
「僕が不安だから、付き添ってくれるのか?」
子猫は何も言わずに目を細めて頬を擦り寄せてくる。こいつがいてくれて良かった……。
この時の聖は知る由もなかった。これが漱石と一緒に眠る最後の夜になることを。
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