プロローグ

冬の朝

☆☆☆


 この物語は2月22日からはじまる。後から思い返すと、その日付がすでに奇跡だ。なぜならこの日は、知る人ぞ知る猫の日なのである。 猫好きが猫に敬意を表する猫好きのための日。猫の鳴き声を「2(にゃん)」と表し、その「2」が3つ並んでいるからだそうである。そう! この物語は猫にはじまるのだ。

 2月に季節外れの台風が発生した。町外れに住む星読みのケルビンはそのことを予期していた。半人半馬セントールのケルビンは人間よりも自然現象への感覚がはるかに鋭い。温厚で親切なケルビンは、ひと月以上も前から激しい嵐が来ることを町の人々に訴えていた。信じない者が大半だったが、予言通りに暴力的な風はゼルコーヴァの街を直撃した。結果として多くの者が多大な被害を被ることになった。

 さて、この異常気象だけでも十分なニュースだったのだが、台風が去る間際に街の人々は不思議な光景をみる。風がおさまっていく時に、何人かの天使が西の方角に飛んでいくのを、大勢が目撃したのだ。

 この地域には天使信仰がある。今回の嵐の際にも天使が関連づけられ、2通りの異なる解釈が生まれた。1つは天使が台風を引き起こしたという説、もう1つは天使がこの異常気象を沈めたという説である。前者を支持する者はこの出来事を「天使の怒り」と呼び、後者を支持する者は「天使の恵み」と呼んだ。

「猫の妖精亭カフェ・ケットシー」を切り盛りしているエミリア婦人は、どちらの意見にも肩入れしなかった。彼女は安易に人々の噂に流されず、自分の目で見て自分で考えた通りに行動することを信条としている。ちなみにこの店は、台風による被害ほとんどなかった。エミリア夫人がケルビンの忠告を聞き入れた数少ない人物だからであった。ケルビンが予言した嵐の前日に戸を二重にして、板がゆるいところは強化した。おかげで台風一過の夕方から、いつも通りに店を開けることができた。他の店は営業停止に追い込まれていたので、いつもより多くの客で賑わっていた。

 さて、ここからがメインストーリーである。台風が去った翌朝、エミリア婦人が店の外に出ると、「猫の妖精亭」の前に一匹の猫がいた……。


 ☆☆☆


 プリントアウトされた原稿をそこまで読んで、国領渚こくりょうなぎさは一息つく。スマホに表示された時刻をみると8時を回っていた。もう出ないと確実に遅刻だ。なのにまだ着替えてもいない。友人から預かった原稿をカバンにしまい、急いで登校の支度をする。支度しながら頭の中でたくさんの「?」が浮かぶ。なんか最初の文章みたら現代の日本っぽかったけれど、これ一体どこの国のいつの時代の設定? ヨーロッパっぽいけどそこでも猫って「にゃあ」と鳴くの? セントールってなに? 「猫の妖精亭」ってレストランかしら? そもそもあのルビの振り方って普通なの?

 家を飛び出ると、肌を指す冷たい風を浴びて、頭の中の「?」たちは吹き飛んだ。東京多摩地域、調布市の冬の朝のことである。

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