本編

なぜ我々は知的な生物なのに人の命を奪う必要があるのだろうか?

人間は自然界で生きるために知性をつけたと私は思う。


それなのになぜ殺人をするのか?


なぜわかっていても、殺人は起きるのか?


おそらくは『生物の運命』によって起きると思われる。

生物学的な話だが、生物は強い生き物が集団の中で生き残る。

弱い生物は死ぬ。

人間以外に、同族で殺し合う生き物は意外にも多い。

ベタと言う熱帯魚も同族で殺し合う。

かなりの生き物が同族で殺し合うのだが...


しかし我々は、超えれる。

生物としての運命を破壊する事ができる生き物だ。


そのためにも知性という物が与えれたのだ。

人間の構造は初期からあまり形を変えずに、生活はどんどんと変わっている。

それが知性だ。人間は体と言う物を知性によって乗り越えた。

それでも殺人は起きるのだ。


もしあなたが、殺人をしてしまった時。それは生物の自然行為であって。

人としては最低な行為になる。どんな事があっても人を殺した傷は一生残る。

隠すことはあるが、一生治らない傷だ。どんな理由があっても。

それが苦しいならば、生物として人間として生きるのがいいだろう。

自然界で生きる方が気楽だろう。


読者には、たびたびよく言うが私の哲学は


 『時に、人らしく 時に、人間らしく』


人は、社会を作り出し。生物と言う自然界を脱却した。

その間で我々は常に生きている。

社会に出ると言うのは人になる事だと思う。

大人になると言うのは、社会として人として生きる事だと。


毎日、朝から起き、苦しい世界に入り混んで、日々感謝して

家に帰っても一人で夜を明かす。


これが人だと私は思う。

また生物に時々戻って息抜きした方がいい。


集団で人間と話したり、娯楽を求めにいく、旅などなどだ。


ただし、ずっと生物ではいては行けない。

ずっと生物になっていると本当に生物になる。

猿のように叫び、世間では腫れ物になってしまう。


だからあなたの人生をメトロノームで少しの動きをしてほしい。


そのバランスさえ殺人は一瞬で壊れる。

どんな理由があっても、殺人は殺人だ。


本当に殺人を考えている方がいるのらば真剣に考えてほしい。

あなたは一生生物の方が生きやすい生き物で脱却しにくい

社会に戻るのか?日本では過去の歴史をよく見る。


どんな理由があっても、殺人した者は信用されにくい。

それを自慢することでは決していけないと私は思う。

どんな背景があっても、どんな事があっても殺人だけは良くないと。


人を殺すのは、あなたを殺す事になります。









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ブッ殺すと言うのはどうなのか? 水鐘・哲華 @tatsnootosig0

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