しごのせかい
@d-van69
しごのせかい
科学技術の進歩によって、今や人が思いつくことは全て娯楽として体験できる時代になっていた。深海から宇宙に至るまで気軽に旅行が楽しめ、体一つで空を飛んだり、透明人間になったり、過去と未来を簡単に行き来できたりと、ありとあらゆることが可能になっていた。たった一つのことを除いて。
それは死だ。医療技術の目覚しい発展のおかげで、人は死ななくなっていた。遺伝子治療で病気のリスクは事前に排除し、老化や怪我で損傷した組織は再生治療で瞬く間にもとに戻る。死にたくても死ねない時代だ。
〈だからこんな商売が成立するんだ……〉
そんなことを思いながら男はほくそ笑む。彼が雑居ビルの一室で開いた非合法その店は、死を体験できると噂が噂を呼び、客が途絶えることは無かった。
その日も店には一人の女が訪れていた。既にベッドに横たわり、複雑な装置に繋がれている。閉じた瞼越しには、先ほどから激しい眼球運動が確認できた。
やがて女の目がゆっくりと開かれた。男の合図で彼女に繋がれた何本ものコードやチューブを助手が外していく。
「いかがでしたか?臨死体験、ご満足いただけましたでしょうか?」
男の声で女はゆっくり起き上がると、満面の笑みを浮かべた。
「すごいわ。こんなの初めて。最初は暗いトンネルの中を歩いていたの。そのあと急に明るくなって、気がつけば綺麗なお花畑にいたわ。でもね、どこからともなく声が聞こえてきたの。『ここはあなたの来るところじゃない。帰りなさい』って。何度も言ってたわ。それで来た道を戻ったら、ここに。あれは誰だったかしら……」
首をかしげる女に男は微かに笑ってみせた。
「きっと、遠いご先祖様の誰かじゃないですかね。あなたを見守ってくれているんですよ」
その言葉に女は目を潤ませた。
ビルの戸口まで見送りに出た男と助手は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。またのご利用を」
「もちろんです。今度は友だちも誘って来ますね」
興奮気味に言って、女は去っていった。
その後姿を見送りながら、男はつぶやくように言った。
「単純なものだな。夢を見ただけなのに」
「え?そうなんですか?」
驚く助手に「そうさ」と応じてから、
「人は誰しも自分の中で死のイメージが出来上がっているだろ?だから眠らせるだけで、勝手に死後の世界を見たと思い込んでくれるものなのさ。仮に夢を見なくても、死後の世界は無だと教えてやればすむことだ」
「なんだ。僕はまた本当に一度死んでるのかと思ってましたよ」
「そんな危険な真似はできんよ」
苦笑を浮かべた男はすぐに真顔に戻り、助手の鼻先に人差し指を突きつけた。
「あ、言っておくが、これは口外無用だぞ。墓場まで持っていかなきゃならない秘密だからな」
「墓場って……」
助手は逆に男の鼻先に指を突きつける。
「それ、死語ですよ」
男は一本取られたと言う風に自分の頭を叩くと、
「そうだった。持って行こうにも我々が墓に入ることはもうないんだった」
しごのせかい @d-van69
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