SS・『秘密』

夢美瑠瑠

 谷崎潤一郎の初期の名作である「秘密」は、語り手が女装して、”夜鷹”、つまり街娼に扮して、夜道を歩くというそれだけの話で、(だったよな?)当時としては斬新だったのかもしれぬが、現在の読み手としては物足りない感じもある。


それほど世界の文学とかに通暁しているわけでもないですが、変質的な性欲を描いたものなら、マルキドサドとか、サッフォー、マゾッホ?、O嬢の物語等々のもっと露骨で激烈な感じのもありそうです。


 「秘密」+文学=セックス、と、こういう図式は普遍的な発想かと思う。


 フロイトが「性」に着眼したのも、タブーとしての性、精神的葛藤の源泉としてのセックスで、秘密、禁忌ゆえのアンビバレンツなこだわりが神経症状につながるという発見が出発点だと思う。


 文学は、つまり人間的な「真実」を描き出すもので、良質のそれは、鮮血の滲み出るような言葉で紡ぎだされる作者の渾身の人間観の結晶というか?叡智人の無窮の理知の嚆矢たる、「言語」というものの可能性を極限まで追求した、最も人間的な芸術かと思います。


 森鷗外の「ヰタ・セクスアリス」は、「わが性的生活」の意で、なんとなく読んだことあるけど、やはり印象的でセンセーショナルでもあって、明治時代にこういう作物を書けたのは文豪ならではと思わせます。


 三島由紀夫氏の「仮面の告白」でも性的な「秘密」には大部が割かれている。

 「聖セバスチャンの殉教」という宗教画に痛烈なマゾヒスティックな興奮を覚える…そうして、おとぎ話の竜退治の騎士が、敗北して食べられてしまう、という風に、わざと空想の中で読み替えて、そこにも被虐的なエロティシズムを見出す…

 そうした性愛という秘儀の中にさらに奥深く秘められた人間性に根差す「秘密」。


 文学という”究極の芸術”がそれを語らずして何を語ろうというのか!


  ここから延々と語られる予定の?個人的な「わが性的生活ヰタ・セクスアリス」をすっとばして、結語のみを述べると、つまりセックスは人間性の陰画、パラドクシカルな”メビウスの帯”、”クラインの壺”のごときアンビバレントであいまいで不可思議な次元に存在する、それでいて人間を人間たらしめる中心的なゆえんであるところの、最も人間的な至上のものではないか?


 そこからすべてのドラマやストーリーが生まれ、栄枯盛衰して、…

 マンカインドの、アルティミットなゴールにしてレゾンデトル。

 だがしかし、それはあからさまに言及すらはばかられる大いなる禁忌タブー

 

…つまり「秘密」。


「何でかって…アレほど楽しいことあんまりないよね?秘密だから楽しいのかなあ?」


 今のところの乾坤一擲の、私のセックスと人間への讃嘆辞である。 


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