月の裏側
@rona_615
第1話
アイドルというのは月に似ていると思う。
月は自転も公転も同じ27.32日周期。だから地球からは片方の面しか見ることが出来ない。物心がついて以来幾度も眺めた天体だけれども自分はその裏側を知らないのだ。
テレビやライブで何度も見ているアイドルだって同じ。アイドルとしての表側だけしか知ることはできない。
既に四つの国が月面へ探査機を送っているように見えないものを見たいというのは人類の原始的な欲望なんだろう。程度も民度も低いが週刊誌なんかがアイドルを追いかけ回すのも根本的な動機は同じ。
アイドルなら月ほど距離が遠くないから自分で裏側を探ることだって可能だ。Xに上げられた写真を拡大してみたり移動に使う新幹線を予想したり。
見えない部分まで全て知りたい。その上で何もかもが好きだと言いたい。
誕生日も身長も足のサイズも血液型も今の住所も本籍地も小学生の頃の成績表も中学の卒業アルバムも何もかもを調べて。
大体そこで飽きがくる。
知りたいことがなくなるまでがリミット。それを超えたら興味がなくなる。
相手が月であればそう易々と秘密を暴くことはできないだろうに。
それでも次ことはとターゲットを探してしまう。自分が好きなのはアイドルではなく秘事を暴くことではないのかと疑問に思いながら。
建築学科の垣灘さんを知ったのは偶然だった。斜め後ろの女子学生たちが「秘密主義だよね」と名指しで批判的に口にしていたのだ。
「バイトしてるって言いながら何なのか教えてくれないし」
「飲み会も来ないしね」
「単なる雑談なんだから出身地くらい言って良くない?」
ドイツ語の授業で隣の席に座っているから顔と名前と声は知っている。授業中ずっと頬杖をついていることも使っているシャーペンの色も。鼻が少し大きめだけど色素の薄い瞳が綺麗。80年代アイドルみたいな野暮ったいボブスタイルだけどそれが似合ってる。
それしか知らない。スマホを取り出して調べてみたけれどSNSはやってないようだし直ぐには情報が手に入らない。
知りたい。
ちょうど夢中だったアイドルに飽き始めていたところだし。
ほんの少しだけ。他の同級生より詳しくなったら止めるから。
ストレートな願望と雑多な言い訳を胸に私は計画を練り始めたのだった。
授業の予習を口実に話しかけてみたものの本人からは大した情報は得られなかった。ノートの罫線いっぱいに字を書く癖を知ったくらいか。
水曜の朝と土日にはパン屋でバイトしていることだとか下宿の場所だとかは二週間も後を付ければ明らかになった。家族らしき人からの荷物が岡山から届いていたのでたぶん出身は岡山。実家の住所が分かれば小中学校の候補も絞れる。SNSを検索して同級生らしき人も特定。芋蔓式に高校時代の写真まで見つかった。
わざわざ隠しているくらいだから何か問題があるのではと期待していたけれど平凡で幸せな大学生にしか見えない。
だからこそ余計気になった。
しょっちゅう顔を合わせる女子相手に反感を買うような真似をするのは自分の不利益にしかならない。私ですら女子同士の暗黙のアレコレには気を遣っているのに。
語学の授業の後は一緒に昼食を取るようになったし得ていた情報を利用して仲良くもなった。けれどそれだけがどうしても分からないままで私は彼女に飽きるタイミングを失いつつあった。
そうして十五年が過ぎた。
同性婚が認められていないから配偶者とは呼べないけれど七年前から彼女は私のパートナーだ。結婚記念日はないけれど一緒に住み始めた日には毎年ちょっとだけご馳走を作る。
「こんなに続くなんて驚いてる」
恒例行事のように私はそう口にする。あんなに飽きっぽい自分が一人の人間にここまで執着できるとは思っていなかった。私以外には何もかもを隠そうとする癖は変わらないままで。その理由を知りたくてここまで来たような気がする。
いつもは頷くだけの彼女が今日は右目をすっと細め「秘密があれば見捨てないでくれるでしょ」と呟いた。
月の裏側 @rona_615
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます