アルバイト

明日和 鰊

アルバイト

 山の中を一台の車が進んでいる。

 舗装された道路を過ぎて既に一時間、細かい石や枯れ葉が落ちている細い道を、車はスピード落とすことなくのぼっている。

 辺りを見渡しても、木と土と川、そして時折現れる野生動物しかない景色をやっと抜けると、山の中に人工的に切り開かれた小さな集落があった。


 高品がその山奥の村を訪れたのは、大学時代の先輩からの電話がきっかけだった。

 六年ぶりに聞いた先輩の声は以前とは違い、張りがないように高品には思えた。

「いや良かったよ、番号が変わってなくて」

「畑中先輩ですよね?どうしたんですかいきなり。それにこの局番、どこから掛けてきてるんですか」

「ちょっとスマホの使えない田舎の方に来てるんだ。それより、最近景気はどうだ。お前大学卒業しても就職できず、バイトで食いつないでいただろ」

「良くないです。少し前まで派遣で働いてたんですけど超ブラックで、辞めてから今は職探し中です」

「良かった」


 畑中が小さな声で喜んでいるのを、高品が聞きとがめる。

「どういう意味です、良かったって」

「あっ、いや。お前、アルバイトをする気はないか」

「何ですか急に。ヤバい話じゃないですよね」

 高品の声に警戒の色が帯びる。

「ば、バカ。俺がライターをしてるのは知ってるだろ。取材先の村で世話になった人に頼まれたんだよ、過疎化する村を食い止めたいから、若い人に住んでもらって、動画配信で村に人が集まるようにしてもらいたいって」

「でも俺、動画編集なんてやったことないですよ」

「それはこっちの人間がやってくれるから大丈夫だ。おまえは一軒家に住んで、時々村の仕事を手伝って、その様子や風景の感想を交えて動画を撮ってくれれば、家賃と食費はタダで、月二十五万は出すって村の人は言ってる。今のお前には悪くない条件だろ」

「う~ん、悪くはないけど」

「場所が少し辺鄙なところにあって、条件が一年間だから、時間に余裕がある奴じゃないと頼めないんだ。俺の顔を立てると思って頼むよ」

 大学当時、水商売の女性のヒモで羽振りの良かった畑中に散々奢ってもらっていた高品は、その頼みを無下に断ることも出来無かった。

 それに貯金を切り崩しての生活も限界を迎え始めていたから、そもそも選択の余地が少ないということも決め手になった。

「分かりました、この部屋引き払って一年間お世話になります」

「出来れば二週間以内に終わらせてくれ。電話を借りてるから二週間後にまたこっちから連絡する」


 そして二週間後、畑中が指定したのは○○県の無人駅だった。

 無人駅といっても、○○県の地方都市から二駅程度で、スマホも通じている。

「確かに田舎だけど、辺鄙って程じゃないよなあ」

 畑中の話のイメージとは違う駅のホームから見える風景に、高品は少し肩透かしを食らった気分だった。


 駅に降りてしばらくすると高品のスマホに、畑中のスマホから電話が掛かかってきた。

「あ、先輩。今着きました」

「駐車場の近くで待っているので、来てください」

 相手はそれだけ告げると、通話を切ってしまった。

声の主は畑中ではなかった。

 高品が不思議に思いながらも駐車場の近くを歩き回ると、二十代前半といった見知らぬ男が運転席の横に立っていた。

 開いたドアから、高品は助手席に乗り込む。

「あの、先輩は?」

「俺は頼まれただけなんで」

 男はそう答えると、見えている村とは反対の方に車を走らせた。

(やっぱり、ここじゃないんだ)


 走行中の車内は静かだった。

 村から遠ざかっていき都市の方に車が向かっても、話しかけづらい男の雰囲気にのまれて高品は何も聞くことが出来無かったが、さすがに××県内に入った時には思わず声をだした。

「○○県じゃないんですか?」

「××県のビルの前まで送ってくれとしか聞いてないんで。あ、あそこですね」

 細い路地に入っていき、雑居ビルの駐車場で車は止まった。

 駐車場では大きなボックスカーの横に、髪の毛の無い中年男とがたいのいい若者が立っていた。

(また先輩じゃない)

 高品は少し不安になってきた。


 高品を乗せてきた車は、運転席の男が封筒を受け取り中身の金額を確認すると、スマホを返却してすぐに走り去ってしまった。

 車を降りた高品は、恐る恐る中年の男に声を掛ける。

「あの、先輩は?」

「畑中さんなら体調崩して村で休んでます、よろしくとおっしゃってました。それより、ようこそいらっしゃってくださいました、村民一同歓迎いたします。わたくし△△村の村長、谷中部と言います、この子は近藤です」

 人なつっこい笑顔を浮かべ、谷中部はアクセントに訛りの混じった奇妙な標準語を早口でまくし立てた。

 紹介された近藤も、丁寧に深々と頭を下げる。


 緊張していた高品も、テレビのローカルタレントを思い浮かべ、つい笑ってしまう。

「あれ~、都会の人にはおかしく聞こえますかねえ」

 谷中部が困惑したような顔をしたので、高品は急いで頭を下げる。

「すいません、そういう訳じゃないんです。まさか村長さんが迎えに来てくれるとは思わなかったから、驚いてしまって」

「高品さんは、我が村の大事な大事なお客様。村長のわたくしが迎えに行くのは当然のことだと思ってます」

 谷中部はぐっと身体を近づけ、高品の右手を両手で強く握る。

「あの、そんな期待されても、俺に応えられるかどうか」

「都会に住むあなたに、村のいいところを見つけてもらって、発信してもらうことが大事なんです。わたくし達には当たり前の風景ですから、どこを紹介したら村に人が集まるか、まったく見当がつかなくて」

 高品の不安は、谷中部の人柄にふれて完全に払拭されていた。

「思いに応えられるように頑張ります」

 高品は両手で谷中部の手を強く握り返し、顔を見て微笑んだ

「ありがとうございます」


 ワンボックスカーの後部座席のドアが開くと、別のがたいのいい若者が先に座っていた。

「すいません。町に来るついでに入り用の買い物を済ませてきたもので、こんな人数で」

 運転席の谷中部が謝ると、近藤も後部座席に乗り込んできた。

 窮屈ではないが、大柄の男二人に挟まれた高品は少し居心地が悪かった。

 最後に助手席に初老の男が乗り込み、車はやっと動き出した。


 細い路地を抜ける頃、フロントガラス以外の窓と、運転席のすぐ後ろについていたカーテンが下ろされる。

 高品の後ろの座席も荷物が置いてあり、後部座席に光が入らなくなると、代わりに車内灯が点灯した。

「すいませんが、しばらくこの状態で走らせてもらいます。運転の方は後ろにカメラがついていますから、安心してください」

 カーテン越しに運転席の谷中部が、申し訳なさそうに高品に声を掛ける。

「わたくしが言うのも何ですが、田舎の風景は田んぼや山がほとんどです。通り道で変わり映えしない風景をずーっと見続ければ、都会の人はすぐ見飽きてしまうと思いまして。高品さんには、わたくし達の村を新鮮な気持ちで見て頂きたい。ふぁーすといんぷれっしょんが大事というやつです」

(第一印象か、確かにそうだな)

「わかりました、村に着くのを楽しみにしたいと思います」


 谷中部は礼を言い、世間話を始める。

「村の名物を使った煎餅と飲み物を用意してありますので、良かったらどうぞ」

 隣の近藤が座席に置かれたリュックから、袋とペットボトルを取り出し高品に渡す。

「おいしい、これもいい紹介が出来そうです」

「本当ですか、いや~良かった」

 二人はしばらく会話をつづけていたがぷつりと途切れ、後部座席から高品の寝息が聞こえるようになった。


「高品さん、着きましたよ」

 高品が谷中部の声で目を覚ましたのは、村に着いてからだった

「あ、すいません。寝てしまっていたようで」

「いえいえ、これから新しい生活が始まるのです。緊張で疲れていたのでしょう」

 頭にもやが掛かったような状態の高品は、寝ぼけまなこをこすりながら車を出て、周りを見渡す。

 ワンボックスカーが止まっていたのは、崖の上にある広い野原だった。

 切り立った崖の下は、遙か下方に幅の広い川が流れ、向かい側には同じく切り立った崖と、いくつもの連なった山がそびえ立っている。

 この場所からは△△村以外の人家も見えず、聞こえる音も鳥のさえずりや風が木を揺らす音など、人工的ではないものがそのほとんどだった。

 壮大な大自然を前に高品は、思わずため息をつく。

「すごい景色ですね、村は山の中にあったんですか」

「はい、素晴らしいでしょう」

「こんな眺めがあれば、それだけで観光資源になりますよ」

 谷中部は微笑むと、村に向かって歩き出す。

 近藤らは無言で後をついて行き、高品も重い頭で急いで後を追う。


 村に入ると、昔ながらのかやぶき屋根と木材で作られた家が建ち並んでいた。

 しかし家の中からは人の声が聞こえてこない。

(本当に住人が減っているんだ)

 高品がそんなことを考えながら村を見回していると、すでに谷中部達は遙か先に進んでおり、いつの間にか後ろについていた近藤が高品を睨んでいた。

 高品はあわてて走って、谷中部に追いつく。

「この村はある尊い一族が移り住んだことから始まりました」

 谷中部は後ろの高品を振り返ることなく、前を向いたまま歩きながら、村の由来を話し出した。

「戦ばかりの世を嘆いたご先祖様は、この地に理想郷を作ろうと自ら先頭に立ってこの地を切り開きました。それが約千年前のことになります」

「平家の落ち武者、ってやつですか?」

 突然、高品の肩が強い力で掴まれる。

 怒りの形相で高品の肩を掴んでいる近藤を、谷中部は手で諫めると質問に答える。

「あなた方の住む下界ではそのように教えているようですが、それは違います。ご先祖様は争いの絶えない下界に見切りをつけて、自らの意志でこの地に赴いたのです」

 高品は村に着いてから感じていた違和感の正体に気付いた。

 谷中部の言葉が村に入ってから、流暢でキレイな標準語になっていたのだ。 

 それだけでなく、早口でまくし立てるような喋り方から、落ち着いて威厳のある喋り方に変わっている。

 高品は、先程まで谷中部に感じていた親しみやすさが失われ、壁一枚隔てて話しかけている気分だった。

「それから千年余り、この村は自給自足で暮らしており、その間この地を戦の火が覆うことはなく、まさにご先祖様の目指した理想郷が実現されておりました。しかし」

 谷中部はそこで言葉を切り、深いため息をつく。

「飛行機がこの山の上を飛ぶようになると、この村も下界に見つかり暴力によって組み込まれることに……」

 話は続いていたが、高品には谷中部の言葉がまるで頭に入ってこなかった。

 同じ日本語のはずなのに、単語そのものは理解できても、文章として頭の中で形を作ることが出来無かったのだ。


「着きましたよ」

 混乱した頭で遅れないよう、黙って必死に谷中部達の後をついて行くと、小さな家の前で畑中が待っていた。

「せんぱい」

 畑中は高品の顔を見ると走りだし、勢いそのままに飛びついた。

「よくきてくれた、本当によく来てくれた」

「大袈裟ですよ、せんぱい」

 畑中の目からは涙があふれ出し、高品の服の襟を濡らした。

 高品の方も、見知らぬ場所で知った顔を見つけた安堵もあり、つられて涙を流す。

「ありがとう、本当に本当に。これで俺は助かった」

「えっ?」

 畑中は高品から離れ、谷中部の前に膝をつく。

「代わりを用意したから、俺はこの村から出られるんですよね」

 高品は何が起きているか理解できず、呆然と立ち尽くしていた。

「おめでとう、これであなたはこの村の住人として受け入れられた。あなたがこの村で愛しあっていた女を、妻として娶る事を許可します」

「話が違う、生け贄の儀式を受ける代わりに別の人間を連れてくれば、俺の願いを聞き入れてくれるって言ったじゃないか」


 立ち上がって谷中部に掴み掛かろうとした畑中を、いつの間にか各家から出てきていた男たちが地面に押さえつける。

「もし、どうしてもこの山を出たいのであれば、やはり生け贄の儀式によってその資格があるか否か、山に選んでもらいましょう」

「い、いやだ、何が儀式だ。崖から突き落とすなんて、生き残れるわけないだろ。あんなのただの処刑じゃないか!」

「この村の住人をさらに増やしてもらえれば、あなたには二人目の妻を娶ることを許可しましょう。よくお考えなさい、人にとって幸福とは何か」 

 もがいていた畑中は、男たちに腕を掴まれたまま無理矢理引き起こされて、小さな家の中に連れ込まれていった。

「谷中部さん?」

「あなたも他の人を代わりにしたいなら、早いほうが良いですよ。儀式は三日後に行われますから」

 そう言うと谷中部は、村で最も広い屋敷に向かって歩いて行く。

 そして高品も、村人達に力尽くで別の家に引きずられていった。

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