愛とか、恋とか、時節とか

莉子

New York City


 street kidsの彼に恋をした。

 軽いジョークと気のいいノリで、いつも私を大笑いさせてとびきりの笑顔にしてくれる君に。

 

 Spring Summerのあいだの季節。

 心地よい温度に浮かれていた私は、交差点で危うく事故りそうなっていた。

 歩道で倒れた私におおかぶさる人は、きっと助けてくれたのだろうと呑気のんきにそう思った。

 気が動転していて他になにも考えられなかったのだ。

 ゆっくり体を起こされると、なんども肩を大きく揺さぶられた。

 相手は必死に大丈夫かと聞いてくる。

 その時の顔は今でもよく覚えている。

 そしてなぜそんなにも見知らぬ人間を心配するのかという疑問は、後に分かる事だった。

 勢いに負けた私は首だけなんかいも縦に振った。

 すると男はよかったと安堵あんどのため息を吐いて、立ち上がり去って行こうとした。

 でも私はその人をどこかへ行かせたくなかった。

 袖を控えめに強く掴んで引っ張るように、この場にとどめてしまった。

 おもむろに振り向いた顔は不思議そうにしている。

 どうしたと聞かれた途端、我に帰る。

 自分がとった行動に恥ずかしくなり、あたふたとしてしまう。

 彼はおもしろいやつだなと、私を見て笑った。

 太陽の輝きで光を増した眩しいほどのハニーゴールド、ベニトアイトのように澄んだブルー。

 心が騒がないわけがなかった。

 天使がほほえんでいると思った。


 本当に、あの数分にも満たない時間は忘れられない。

 私たちを心配そうにおもしろそうに眺め行き交う人たち、今とは少し変わったあの町なみ。

 一生に一度かぎりの大切な出会いがあるのだとすれば、それは十六の美しい日々だと信じて疑わなかった。


 彼はAidan Lewis。

 私の二つ上で、十八歳。

 命を救ってくれた日の事を思い返せば色々ある。

 彼はManhattanから用事と遊びをねてこの町、Queensへ来ていた。

 辺りをフラフラと歩いていれば、偶然ぐうぜんにもバカなやつを見つけて思わず走り込んだという。

 そう私、Riley Floresの事である。

 若さの行動力とはすごいもので、天上てんじょうきらめきに、あなたの名前は……と、訪ねずにはいられなかった。

 もしかしたら二度会えないかもしれない、New Yorkのなかでだって、ましてやこの広く大きいAmericaという国で見つける事が叶うかどうか……。


 Aidanとは、なんどか食事やお茶をした。

 顔を合わせた。

 場所はいつも私のいる町でだった。

 会いに来てくれる……それは一見すると嬉しい事に聞こえるが、Aidanは私を自分が暮らす町に来させたくなかったのだ。

 当時のNew Yorkはとても治安が悪かった。

 Queensは比較的に安全と言えるほうだったと思うが、町を区画すると場所によってはひどい所もあったのだろう。

 ManhattanでもBrooklynでも共に同じようなものだろうと、私は考えていた。

 ニュースなどで流れる危険な事象じしょうのほとんどは、South BronxやHarlemの名前が聞こえてきていた。

 私が彼の町へ行けない理由……うっすらと思い浮かばない事もなかった。 

 けれど直接聞いた所でうまくかわされる。

 連絡先も教えてくれない、私が教えるだけ。

 それでも不満はなかった、楽しさのほうが勝っていたから。

 今はこれでいいんだ、なにも考えずに幸せに身をゆだねていた。


 一年もつと、私たちはすっかり仲のよい友達となっていた。

 とてもとても、穏やかだった。


 例年より気候が安定しないSpring Summer。

 急にAidanからの連絡はなくなった。

 いつも頭の片隅かたすみで彼を考えた。

 眠る時だって心配でどうしようもなかった。

 あと何日、何週間、何ヶ月……私はなにもせず石のように頑固にじっとして、状態を膠着こうちゃくさせておくのだろう。

 そんな事を毎日考えた。

 でもある日、やっと決心が着く時が来る。

 暖かな柔らかい日差しが、私の胸を苦しくさせた日。

 覚えのあるときに触れたかった、戻りたかったと強く思った。

 Manhattanへは、バスで行った。

 地下鉄は乗らない。

 知らない土地で人を探す手段なんて、顔写真を見せて聞き込みをするくらいしか分からなかった。

 全力で、たとえムダな事だったとしても私はあきらめずに走った。

 三日の期限。

 自分の中で区切りをつける数字を決めていた。

 三日経ってもAidanを見つけられなかった時はそれまでだと。

 

 そして最終日。

 私はガラの悪い連中に絡まれた。

 Aidanを聞き回ってなにをしていると。

 数日の成果がかんばしくなかったため、私は彼を知っているのかと、思わず喜び舞い上がってしまった。

 しかし相手は私に彼を合わせる気はないらしかった。

 むしろ攻撃性をき出しに、今にも襲い掛かる勢いがあった。

 身の危険を感じた私はすぐさま逃げた。

 自分が死んではAidanに会えない、元も子もないと。

 私は大通りを死に物狂いで走りに走った。

 いくらか来た所でいきなり横から腕を掴まれて引きずりこまれた。

 細い通路をどんどん進んで行く。

 もはや闇しかなかった。

 黒く染まる視界に不安がつのる。

 しかし怖くて腕を振り解く事もできない。

 一体どこまで連れて行くのかと思っていれば、隠れ家のような所に出た。

 気づけば追ってもいない。

 パーカーを深く被った誰かは、ゆっくりとフードを下ろしながらこっちを見た。

 ずっとずっと会いたくて仕方なかったAidanだった。

 嬉しくて嬉しくて早く声を掛けたくて口を開いたとたん、太い怒号どごうが響いた。

 聞いた事がない声だった。

 なんでここに来た!! ものすごい剣幕けんまくにらまれた。

 頭が心がなにかを考える前に、反射的に目から大粒の涙が溢れた。

 子供のように大泣きした。

 その時口にした言葉は覚えていない。

 ただごめんなさいと謝り続けた事だけは分かっている。

 そして強く優しく抱きしめられた事も、忘れられない記憶だった。


 初めてAidan Lewisという人物を知った。

 彼はstreet kidsのボスだった。

 自分たちの庭で、日々の平穏を守っていた。

 時には軽いいさかいや、私のような人間には想像もできない大きな事柄ことがらまで色々あるようだった。

 私がこの町に来れない理由は明白だった。

 Aidan本人と、彼を取り巻く環境。

 彼は私に、明日帰れと言った。

 一緒にいられない事は、じゅうぶん分かっていた。

 逆にどうしたら一緒にいられるのか、全くもって未知な話しだった。

 覇気もなく頷く私にAidanは、今日はいていいからと頭を労るように撫でた。

 

 裏の世界、闇で動くAidanは私の知らないAidanだった。

 常に冷静に、それでもって冷酷にあたる。

 彼はまさにもう一人のAidanだと思った。

 最初は知らない誰かを見ているようで怖かった。

 でもここで暮らす彼も私の友達のAidanの一部だと思うとすんなり受け入れられて、愛おしくさえ感じた。

 多くの仲間からも慕われていた。

 危険を伴った毎日があるけれど、それ以上にかけがえのない宝物に囲まれているのだと思うと、羨ましくもあった。


 美しい夕日と美しい朝日、同じ景色を隣で観てしまうとなかなかに渋ってしまう。

 Aidanと離れたくなくて、ずっと足が地面から離れずにいる。

 子供のようにぐずった。

 彼はそんな私に多少呆れたのだろう。

 言い聞かせるようにこう言った。

 今はムリな状態が続くかもしれない、不安定で一定しないそんなやり取りが。でも世界が変われば運命も変わる、またたくさん会える時がきっとやってくる。それまで待っていて、と。

 彼が生きてきた時間に深入りはしなかった、できなかった。

 だからなおさら、どうしてこんなふうに生きる世界が違うのかと、どうしてどうしてなぜだと行き場のない思いが胸につかえた。

 私が彼の胸で泣いて言った言葉は一つ、必ず生きていて、それだけだった。

 自分の町に帰ってきてからふと思った事がある。

 Aidanは自分が危ない存在だと分かっているはずなのに、なぜ私と会い続けてくれたのかと。

 それは後に、友が恋に変わる瞬間に私たちは気づく事だった。


 時と共に、世の中は移ろって行った。

 Aidanの言葉通り、ニューヨークの治安は回復傾向にあった。

 そして三十になった私の前に、Aidanは現れた。

 あの頃の青年はもっと大人びて、面影おもかげを探さなければ誰か分からないほどだった。

 一部のstreet kidsは解散した。

 みんな思い思いに旅立ったと聞く。

 Aidanは私の住む町に腰を落ち着けた。

 彼と穏やかに過ごせる安寧あんねいを信じなかったわけじゃない。

 でも希望も薄いとどこかで感じてしまっていた。 

 しかし、夢のような願いは結ばれたのだ。


 いま私の膝で眠る夫は、薄くひげたくわえた五十の素敵な紳士になっている。

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

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