第14話 異世界行商その④:九谷焼(あるいは快眠の指輪)
九谷焼。
明暦元年である1655年頃に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりと言われている。
この時代の焼き物は、暖色系で大和絵を多く取り扱った柿右衛門様式、緻密な作風の鍋島様式、そして寒色系で余白の少ない古九谷様式が有名である。
やがて時代は下って、1873年のウィーン万国博覧会。
津軽塗が有名になったほぼ同時期、
時代が進んで明治20年頃には、九谷焼は日本の輸出陶磁器の中で第一位を占めるようになったという。
彩色金欄手と言えば、赤・緑・紫・群青・黄の五彩(九谷五彩)を基本とするが、ジャパン・クタニとして人気を博したのは赤絵金欄手である。
これは、滲みにくい赤色の絵具の特性を活かして、器全体に細かい紋様の描き込みを施したためである(細描)。
俺が今回取り寄せたカップは、この赤絵金欄手のものだった。
「優美な色絵装飾に滑らかな絵の具の質感、いかがでしょうか?」
「ふむ……」
例のごとく、今回もまた『帝国質屋:
今回は以前と異なって、アルバート氏一人ではなく、娘さんも一緒に立ち会うことになっていた。店の表看板には「休業中」と出されており、俺との商談に邪魔が入らない様に計らっている。
娘さんが番代として店先に立っていれば、普通の客なら捌けるだろうに――と俺は思ったが、向こうはそう考えていないらしい。大商いの場を孫娘に経験させておきたい、という親心だろうか。
店の扉が閉まって、さらに従業員も倉庫掃除や帳簿確認にと体よく追い出されて、今やこの応接間には、俺とゾーヤとアルバート氏と彼の娘さんの四人しかいなかった。
「……見事ですな」
深い感慨を帯びた声色。
釉裏金彩の質感を確かめるように眺めながら、アルバート氏は惚れ惚れしたように嘆息した。
「東方の焼き物で、似たものを見たことがあります。金箔や金泥を使った豪華絢爛な表現。この作品にも似通ったものを感じますな」
「あら?」
あるんだ、と俺は拍子抜けした。
しかし、アルバート氏の発言は、俺の予想を遥かに超えていた。
「ええ、確か皇太后殿下の化粧道具が、同じような朱色と金彩の目立つ絢爛な陶器だったかと」
皇太后殿下の化粧道具。
つまり、皇室で使用されるほど格調高い逸品。
「つまりこれは――!」
「早まってはいけません、ハイネリヒト殿。確かに見事な品ではございますが、これは高値では売れますまい。銘款がありませんゆえ」
銘款がない。
その一言に、俺は目をしばたたかせた。
咄嗟にゾーヤが何か言い澱んだが、それを制するように声が割って入った。アルバート氏の娘、ディケの声である。
「普通、焼き物には銘款があります。焼き物の窯には数に限りがあります。なので複数人の作品を同一窯に入れる際、作品の混同を避けるため、窯名や製作者の名前が入るのです。それが銘款。しかしこの作品にはそれが見当たりません」
見事な説明だった。
ぐうの音も出なかった。
そう、焼き物なのに銘款がないのは変なのだ。大量に工業生産でもしてない限りは普通は銘款が付くものなのだ。
もちろん例外もある。例えば中国の陶芸品は銘款がないものも多かったが――そんなことをこの時代のイルミンスールの人に説明したところで、何になるだろうか。
もうちょっと補足すると、『鑑定書や保証書がない』のと、『鑑定書や保証書もない上に銘款がない』というのは意味合いが違う。
前者は、保証書を無くしたという方便が立つが、後者の銘款がないことに関しては理由が立たない。また、前者は後追いで鑑定書などを作り直すことができるが、後者の銘款に関しては後追いで刻むことは不可能。
なので、江戸切子や津軽塗のときとは少々状況が異なる。無論悪い方向に、だが。
俺はどうしたものかと言葉に悩んだ。
その隙にゾーヤが、俺の代わりに舌戦に参加してくれた。
「……銘款の有無は、絶対という訳ではなかろう。
「ほとんどの焼き物は銘款で価値が左右されます。高名な大家が焼いたものであれば高価になり、逆に無名のものが焼いたものであれば、どれほど見事であってもそれほど高い価値にはなりません」
ディケの声は固い。
緊張でやや声が上ずっているようだった。
それでも彼女は一歩も引く姿勢を見せなかった。
「そんな馬鹿な、工芸品はその美しさと技量の細緻さのみで判断されるべきだ!」
「銘款がないということは、高名な先生の習作を勝手に盗んで焼いたかもしれません。あるいは高名な先生の作品を模倣して作っただけかもしれません。その懸念が払拭されない限りは、この商品に高値を付けることは難しいです」
ゾーヤの抗議もあえなく跳ねのけられる。これもまた正論である。
ちょっと面白くない展開である。確かにこのディケという子の言う通りではあるのだが、論理に一部飛躍があるように見受けられる。
なので俺は、ちょっと意地悪な方向で攻めることにした。
「仮にさ、高名な先生の盗まれた習作なら、それはそれで高値で売れるんじゃないの?」
「は? え、えっと」
「習作ならさ、盗品だって証拠を出せないでしょ? これがもしきちんと作られた正規品で、美術商に鑑定してもらった後の陶器であるならば、鑑定書とかを頼みに盗まれたものかどうか後を辿ることができるけどさ」
呆気に取られて言葉が出ないのか、ディケは狼狽えた。これは幸いとばかりに俺はもう少し踏み込んでみた。
「今のは極端な例だけどさ、じゃあさ、高名な先生の作品を模倣して作っただけって言ってたけど、それでこれほど精緻な作品を作れるかい? 仮にそれが本当だとしたら、その技量の持ち主は、模倣品を作るんじゃなくて、自分自身の焼き物を焼いた方がいいはずだよ。精緻な模倣品を作るのも手間暇かかるんだしさ」
「む……」
こういう言葉遊びは得意である。揚げ足取りとでもいうのか。
実は揚げ足取りには色んなやり方があって、そういう屁理屈をまとめた本を過去に読んだことがあるのだが、まさかこんな場面で役に立つとは思わなかった。
「しかし、盗品や模倣品の可能性だって残ってますよ!」
「仮に盗品や模倣品だとしたら、銘款も模倣するに決まってるんだよ。だってその方が高く売れるんだもの」
「――――――」
はい論破、と心の中でぺろりと舌を出しておいた。
実のところ、銘款を真似するのは作品そのものを真似するより遥かに楽である。
それにしても、年下の女の子を論破するなんて、我ながら大人気ない。だが、鼻っ柱の強そうで賢そうな少女が顔を赤くしてぐぬぬってなってるのは最高に気持ちがいい。
そう、最高に気持ちがいい。
「こ、根拠のない推論です!」
「君の指摘も、根拠のない推論だよ。先に言いがかりをしたのは君の方だよ」
「…………っ」
たまらん。
「ハイネリヒト殿、その辺にしてくだされ」
見かねてか、アルバート氏がやんわりと意見した。
劣勢の娘のために少し動いてやろうということだろう。
「別にこの子の意見は、根拠のない指摘ではないのですよ。そういった可能性があるというだけで、美術品の価値は毀損されうるものなのです」
「でも証拠がないですよ」
「証拠もないが、その証拠となるはずの銘款もないのです。銘款を入れていればそういった疑念が入る余地さえなかったのですが、この品はそうではない」
アルバート氏の口調は丁寧であった。
特段、変なことを言っているわけでもないので、揚げ足取りもできない。
「でも、うちのゾーヤも言いましたが、美術品の価値はその美しさにあって、銘款にはないでしょう?」
「ええ。銘款がなくともお引き受けしましょう。しかし買い手の貴族がこの出自の怪しい品をどう受け取るか、それは覚悟なさいませ」
そう言うやアルバート氏は懐から何かを取り出した。
卓上に出されたのはまたもや金貨。
「金貨二〇枚でいかがでしょう。加護付きの魔道具がよろしければ、そちらでも構いません。お気に召すものがあるのではないかと思って取り揃えておりましたので」
「……なるほど」
これは弱った、と俺は苦笑した。
加護付きの装飾品。
そんなの、喉から手が出るほど欲しい。何となれば、多少割高でも気に入ったものであれば買う心積もりはある。
「はみ出した分の調整は簡単でしょう。こちらからは金貨を、そちらは胡椒と砂糖を供出できますので」
「調整が必要……? それだけ高価な加護付きの魔道具が手に入ったのですか?」
「ええ。ハイネリヒト殿のために用意させていただきました自慢の一品がございます」
そう言って、アルバート氏はまたもや懐から何かを取り出した。
今度は指輪のように見えた。不思議な石を嵌められた、どことなく熱を帯びているように見える指輪――。
「快眠の指輪です。これを付けて眠ると、翌日にはどんな疲れもほとんど消えてなくなります。また、短い時間の睡眠でも全然眠くなりません」
「アッ欲しい」
思わず素で声が出た。
快適な睡眠。そんなの、幾らでも金を出したっていい。人生のおよそ三分の一が快適な時間に変わるのだから、陶磁器一つじゃ物足りないぐらいである。
俺の呆気ない手のひら返しに、ゾーヤが思わず身を乗り出した。
「いや待て
「これは小話ですが、過去には世継ぎを授かるために精を出した王侯貴族がおりましてな、この指輪があれば毎晩励んでもいつも元気だったそうです」
「――どちらかというと冒険者向けの品だが平民であっても疲れを取ることは大事だな、疲れは万病の元、うん、いただこう」
今なんて言った?
と俺が聞き返す暇はなかった。
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