第3話 異世界行商で大金が出来たら綺麗な女傭兵を雇うに決まってるんだよなぁ!

 異世界に来て次に考えたことは、護衛を雇うことだった。


(何せ、今の俺は軟弱な小僧。毛むくじゃらの獣人とか、巨体の魔物とかに襲われたらひとたまりもないからな)


 人間、何事も身の安全が一番大事である。

 一歩外を歩けば安全を保障してくれるものは何もない。ましてやここは剣と魔法の幻想世界。自分の身を守ってくれる護衛を雇うのは急務であった。


 そこで目を付けたのが剣闘奴隷。

 どうやらこの世界では、剣闘士たちが闘技場で己の技術を競い合って日夜戦っているらしかった。


 この辺りは、元居た世界の史実も同じようなものである。

 人と人の真剣な戦いというものは、観客を熱狂させる娯楽なのだ。


 古代ローマにおける闘技場コロッセオ、中世ヨーロッパにおける乗馬試合ジョスト、日本における相撲、現代におけるボクシングや総合格闘技――。

 時代を経てもなお、『真剣勝負を見たい』という民衆の娯楽は継承され続けてきた。


 剣闘士はその中でもひときわ古い歴史をもつ。


 史実では、古代ローマ時代、それも紀元前から剣闘士たちが戦ってきた記録が残っているが、正確な起源は不明らしい。

 加えて言うと、古い時代の剣闘士たちの戦いは、故人の哀悼のための儀式的な意味を持った興行だったとも言われている。それが時代を経て、民衆の娯楽としての見世物の性格が強くなっていった。


 剣闘士の出自も様々である。戦争奴隷や犯罪奴隷だけでなく、自由市民すら剣闘士に志願することもあったと言われており、腕っぷしに自信がある奴らが望んで身を落したとも、炭鉱奴隷になるのは嫌だからと渋々剣闘士になったとも言われている。






 果たして、この世界の剣闘士はどのような存在なのだろうか。


(正直、剣闘奴隷を雇えるというのは知らなかったな。全ては興行師ラニスタとの交渉次第か……)


 剣闘士にも二種類ある。


 興行師ラニスタが所有する剣闘士団ファミリア・グラディアートリアに所有され、その剣闘士養成所ルドゥスで長期にわたって訓練を施されてから闘技会に出場する、正規の剣闘士。


 犯罪奴隷として捕らわれ、ろくな訓練もされずに試合に放り出され、防具なしで戦い、見世物として裁きを受ける"負け役"の剣闘士。


 今回俺が雇入れを申し出たのは、前者の"正規の剣闘士"の方である。






「別に犯罪奴隷でも変わらんのだがね。契約書に名前を書いてお互いの血で捺印するだろ。そうすると、契約魔術にしたがって魂の一部に楔が打ち込まれる。契約を違えると魂がむしばまれる。そりゃあもう、言葉に表せないほどの激痛だ」


 剣闘の興行師ラニスタの老人は、親切にも俺のために丁寧に説明してくれた。

 契約魔術。要するに犯罪奴隷でも、主人の俺に逆らえなくなるということらしい。どういう原理なのかは不明だが、そういった魔術があるということだけは分かった。


「契約魔術には名前を使う。親に付けてもらった名前、精霊様の御前で洗礼を受けたときに授かった名前、これらは魂に刻まれるものだ。それを己の血で縛るのだから、何人たりともそれに背くことは出来んよ。先祖代々受け継いできた血脈がそれを許さぬ」

「なるほど」


 なるほどと言ってみたが、正直よく分からなかった。

 魂とか血を信じてないからだろうか。半信半疑ではあったが、話半分に老人の会話に頷いておく。

 老人の説明は、ついに剣闘奴隷の獣人に向かった。


「……。この娘は卑しい獣人の子だ。聡明だが、不遜にも帝国正教たる四大精霊様を信仰しておらぬ。夜の月の異教神を崇めておる。故に、宗教的罪人でもある」

「はあ、なるほど。で、それ以外の犯罪は?」

「本人は、神に誓って犯しておらぬと言い張っておる。真偽は分からんがな」


 宗教的罪人がどの程度の犯罪に当たるのかは分からない。

 言葉の響きから察するに、とんでもない存在なのかもしれない。

 だがこの獣人の剣闘士の娘は肌の血色が悪いというわけではなさそうで、やや痩せ気味の痣だらけの身体ではあったものの、変な病気を患っているようには見えなかった。


「名前は?」

「ゾーヤ。古代北方語で《生命》という意味らしい」


 興行師ラニスタの老人が首輪を持ってくる。

 契約魔術の二重化、念には念をということらしい。ゾーヤと呼ばれた若い獣人の娘は、特に抵抗する素振りもせずに首輪を受け入れていた。


「小切手なら金貨一〇〇枚だが、即金なら金貨八五枚だ。出せるかね?」

「ええ、喜んで」


 俺がどういった身分の出自なのか、下手に詮索してくれないのがありがたかった。

 推察するに、急ぎで剣闘士を調達する必要があるような身分なんぞ、詳しく詮索するほうが危ないのかもしれない。あるいは厄介ごとに関わりたくないからだろうか。

 いずれにせよこの興行師ラニスタは、金さえもらえるなら細かいことは気にしない様子であった。


 そもそも犯罪奴隷を扱うような阿漕な商売をしている以上、興行師ラニスタたちの中にも後ろ暗い事情を抱えている者もいるであろう。これで俺がもし、王家筋の隠し子だとか、やんどころない血筋の道楽貴族だとかだったりしてみれば、連中の方が参ってしまうはずだ。


 彼らにとって重要なのは金貨だけ。分かりやすいことだ。


 かくして俺は、黒い毛並みの狼の獣人の娘、ゾーヤを護衛として雇い入れることになったのだった。






 ◇◇◇






 剣闘士には階級がいくつかある。それぞれ、新参者チロ準師範級パルス・セクンドゥス師範級パルス・プリムス、となる。

 最も上の師範級パルス・プリムスともなれば、剣闘士団ファミリア・グラディアートリアの看板闘士になるわけで、興行師ラニスタに望み通りの住環境を注文することができるぐらいの待遇を受けられる。


 そして、ゾーヤは準師範級パルス・セクンドゥスという、中堅以上の実力を持つ女性剣闘士であった。


主殿あるじどのは……その、黒い毛並みの獣人族セリアンスロープを不吉の証とは思わないのか?」


 道すがら、ゾーヤは遠慮がちにそう尋ねてきた。

 彼女は俺とほぼ同じぐらいの背丈もあったが、どこか萎縮しているようにも見えた。どうでもいいことだが、この世界の人達は、少しばかり小柄で痩せがちな体型が多かった。栄養状態の違いだろうか。

 流石に鬼人族や半巨人の連中は俺よりも大きかったが――この世界批准では俺やゾーヤは背丈がある方になる。


「不吉……?」

普人族コモニーの一部には、黒い獣は“死者の国の使い”を連想させて不吉だとする考えがある。私はそう習ってきた。だから、その」


 なるほど、と俺は思った。

 先程からどことなくゾーヤが引け目を感じている理由が分かった。

 生真面目な性格なのか、彼女はそんなどうでもいいことを気にかけていたようである。


「あまり気にしたことないな。俺の毛も黒いし。その分ちゃんと働いてくれたらいいよ」

「……あ、ああ。不慣れでも良ければ」


 急に返事がしどろもどろになった。頬を染めて狼狽えている。

 何か変なことでも言っただろうか、と思い返してみたが特に思いつかない。ここはあえて、綺麗な黒い毛並みじゃないかとか褒めとけばよかっただろうか。


「ゾーヤ、契約内容の確認だが」


 羊皮紙で綴られた契約書は、とても細かな取り決めまで交わしてあった。興行師ラニスタの老人が用意してくれたものだ。魔力を帯びているためか、赤い蝋を固めた印影が常にほんのり暖かい。

 契約内容は、ざっくりと言えば主従契約のようなもので、いわば身の回りを世話してくれる従者兼護衛というのがゾーヤの仕事であった。


「俺の身分や俺の行動、俺にまつわること全てに守秘義務がある。いいね?」

「心得た。ハイネリヒト殿は私の庇護者、私の主殿、私の第三の父親パトレス、血と魂にかけて夜の月の神ヤリーロに誓う」


 父親って表現になるんだ、とちょっと新鮮な驚きがあったが、顔には出さなかった。

 まあそういう言い回しなのだろう。俺は何をすればいいのか良くわからなかったので、うむうむと鷹揚に頷いておいた。


「……ただ、その、先程も言った通り、夜伽は初めてで不慣れなので……あまり期待しないでもらえると」

「え、そんな話だったっけ?」


 夜伽なんて言葉を聞いて、思わず目が飛び出た。

 ゾーヤにどう話が伝わっているのか全然わからなかったが、あらぬ誤解を招いている気がする。

 確かに俺は『護衛がほしい、腕が立つ若い女で身の回りの世話・・・・・・・も頼みたい』という注文をしたが――。


(……。なるほど、そういうことだったのか)


 確かにゾーヤは、若くて均整の取れた身体付きの獣人であった。俺の注文をそういう方向に解釈されたのだとしたら納得がいく。

 古代ローマの剣闘士は皮下脂肪たっぷりの者が多かった――太っていると斬撃を受けて出血しても重傷になりにくく戦いを継続できるからである――といわれているが、ゾーヤはどちらかと言うとしなやかな筋肉質の身体をしている。

 獣人族ということで、手の甲まで毛が生えていたりと俺よりも数段毛深いが、ヘレニズム的肉体美が宿っている。やはり鍛えている身体は見ていて気持ちがいい。


(そういう女関係の話は、金儲けがうまく軌道に乗ってから、異世界じゃなくて日本で済ませようと思ってたんだけどなあ)


 ともあれ、新しく雇い入れた俺の護衛が、妙に生真面目なことだけは分かった。あまり気負いしすぎないようにするのが俺の務めでもある。


 まずはご飯にしよう、と提案すると、ゾーヤも素直に頷いてくれた。

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