第2話 異世界行商その①:江戸切子

 帝国質屋:てんびん座Libraの店内は、雑多なものを取り扱うような雑貨商の様相を見せていた。

 色染めされた衣服から、真珠をあつらった装飾品まで。店頭に並んでいる様々な品々を見る限りだと、『多少高価な工芸品でもここなら取り扱ってもらえそう』という期待感があった。


「ハイネリヒト様? でよろしかったでしょうか。奥の準備ができましたのでどうぞ入って下さい」

「あ、はい、そうです」


 店に入っていの一番に、俺は番代の少女に相談を持ち掛けた。

 これを質に入れたい、何とかならないか、と。


 番代の少女は当惑していた。やはり俺の持ち込んだシロモノは非常に高価なものだったらしい。目論見通り、この世界では希少だったらしい。

 ご丁寧に奥の部屋に案内されるや否や、今度は老紳士が待っていた。

 かくして商談が始まったわけである。


「今回売りたいと思っているのは、私の祖父の遺品です。いくつか物珍しいものがございましたので、こちらのお店に持ち込ませていただきました」

「なるほど……それで私共の商会に足を運ばれたわけですな」


 老紳士は極めて穏やかな口調でそう答えた。

 この帝国質屋リブラの商人、名をアルバート氏と言った。物腰柔らかく、温和そうな人だと思った。


「"エドキリコ"と仰っておりましたな。非常にきれいな見栄えの硝子細工でございますな。少なくとも私の人生の中でも、ほとんど見たことがないような透明で繊細な……ため息の出るような美しさですな」


 手袋をしたアルバート氏は、光にすかしながらグラスを検分していた。

 俺は微笑みを浮かべながら、なるほどそういうものか、と心の中で納得していた。


 最初に選んだ交易品。

 それは『江戸切子えどきりこ』のグラスである。


(人類学のゼミで、ガラス細工は昔、相当な高級品だったと聞いたことがある)


 ――江戸切子えどきりこ

 江戸時代後期(天保時代 1834年頃)から現在まで、江戸(東京都)で生産されている、切子加工をされたガラス製品。

 1985年に東京都指定伝統工芸品に指定され、2002年には経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定されたことのある江戸切子は、薩摩切子と並ぶガラス工芸となっている。


 そもそもの話をすると。

 人類の歴史を紐解くと、かつてガラス細工は高価な芸術品だった。ガラスの見た目が綺麗であることに加え、ガラスを着色して加工する手法そのものが高度な職人技術だったからである。

 それこそ一級品のガラス細工であれば、宝石細工とも劣らぬほどの価値を有していたとされる。

 最も分かりやすい例で言うと、遣唐使が持ってきたガラス細工が、正倉院の宝物庫に保存されていることから示されている通りである。交易品としても当然ながら、貴族会の蒐集物、家宝としても珍重されてきた。


 この老紳士の反応も、むべなるかな。

 色味の均等さといい、切子細工の端麗さといい、この世界では信じられないぐらいの職人技術であろう。


 なにせ目の前に出てきたのは、令和の時代に作られたガラス細工なのだから――。


(この世界における硝子細工の技術は、概ねヴェネチアグラス~ボヘミアグラスあたりだと見ていいだろう。であれば、切子細工の硝子が出ても技術的に変ではない・・・・・・・・・。江戸切子の深い大胆なカットと繊細な模様は、きっと新鮮で衝撃的なはずだ)


 江戸切子の歴史も段階がある。

 薩摩切子の職人が江戸に渡ってきて色被せガラスの技術を伝えてから、一層華やかなガラスが作られるようになったとされている。

 持ち込んだこの江戸切子は、当然の色被せガラス。


 特に現代のガラス工芸ともなれば、表面の光沢を出す『磨き』工程の高度化がすさまじく、フッ酸などを使って薬品処理を行い、毛ブラシ盤や布盤なる円盤で磨く『仕上げ磨き』を行うものだから、つやと光沢が段違いである。


 光を当てれば、万華鏡を思わせるような、複雑で繊細な影模様。

 瑞々しさとつややかさ。


 俺は内心で勝利を確信していた。

 きっとこの商談は上手く行くと。

 だがしかし――。


「一つだけ確認したいことがございます」


 そっと切子細工が卓に置かれる。

 老紳士は、極めて静かに切りだした。


「こちらの品、盗品ではないと信じておりますが、どこで手に入れたのかが気になります。保証書がないかお探しいただいてもよろしいですかな。非常に希少なものとお見受けしますが、保証書がないと大幅に安い値段を付けざるをえません」

「あー……」


 氏の指摘は、盲点だった。

 確かに、怪しい物品であれば高価な買取は難しいだろう。

 とはいえこのガラス細工の保証書なんて出せるわけがない。現代の日本の大手デパートで買ってきましたなんて言えるはずがないのだ。


 あまり弱った表情を見せてはいけないと思った俺は、努めて平静を装って、平坦な声で返した。


「他の質屋を経由したと聞いております。いわゆる流れ物でして……。保証書がないか探してみますが、実は金子きんすの物入りでこちらに参ったものですから……その……できれば早めに手付金が欲しいのです」

「ふむ……」


 少し考えて、アルバート氏は算盤のようなものをゆっくり弾いていた。


「……うちの番代役、失礼を働きませんでしたかな? こんな飛び切り高価な商談になるとは思っておらず、きっとあの娘もしどろもどろだったでしょう」

「ああ、いえ、むしろ右も左も分からない田舎者の私に、とても親切にしてくださって助かりましたよ。アルバートさんの娘さん、いやお孫さんでしょうか?」


 算盤を一通りいじり終わった老紳士が、眼鏡をもう一度かけ直して、何かしらの走り書きを作っていた。

 どんな計算を書いていたのか、どんな内容のメモ書きなのか、短い時間だったので読み取ることはできなかった。

 少なくとも分かったのは、俺の持ち込んだ商談が少々厄介な話だったということぐらいであろう。


「私の娘です。年の離れた子だけに、あの子には一層期待しておりましてね」

「なるほど、これからも懇意にしたいですね」


 一体何の話だろうか、と俺は思ったが、適当な合いの手を入れて話を合わせておいた。

 アルバート氏は急に小声になった。


「……質入れではなくこの場で買取であれば、即決価格でこの程度をお約束いたしましょう」


 差し出された袋には、金貨がじゃらりと入っていた。

 枚数を確認しようとすると、そっと手で止められた。

 これは穏やかではないぞと思った俺だが、どうすればいいのか皆目見当がつかない。


「他にもお手持ちの財貨整理でお困りではございませんかな? 我らリブラ商会はいつでもご相談に乗りましょう」


 アルバート氏の言葉には妙な含みがあった。

 もしかしたら俺は、他にも相当な儲け話を持っていると思われたのかもしれない。目を付けられたとでも言うべきだろうか。


 異世界にきて最初の商談は、もしかしたらもっとずるくやれば大儲けできたのかもしれないが――まずまずの結果を収めることができた。






 ◇◇◇






 異世界転移できるらしいけど、お前らどうする?


 38:1 ID:oThErwOrlDy

 何かガラス製品売ったらクソほど儲かった


 39:名無しの冒険者 ID:********

 >>1

 マジレスするとガラス製品売れないぞ

 ヴェネツィアのガラス技術とかで調べたら分かると思うけど、当時ガラスは希少品だから、職人たちは隔離された

 そんな状況下でガラス製品なんか呑気に売ったら目を付けられるぞ


 41:名無しの冒険者 ID:********

 ガラスはいいね

 現代だと安価に手に入るし


 43:名無しの冒険者 ID:********

 >>1 まだ続いてたんか草


 44:名無しの冒険者 ID:********

 >>39

 言うてガラス製品は市場に出てたわけだから、そんな大層な話じゃ無くね?

 我が家の家宝を売りに来ました、ぐらいの話だと思うけど


 46:名無しの冒険者 ID:********

 >>1

 そろそろ可愛い女の子の写真ほしいんだが






 ◇◇◇






 後できちんと金貨の枚数を調べたところ、江戸切子のグラス三つだけで金貨百枚もの商談になった。

 仕入れ値が五万円も行ってないので、これは大儲けといっていいだろう。


(これは……適正価格なのか? ぼったくられてしまったのか? それとも……割り増しで買ってもらえたのか?)


 考えども答えは出ない。それに深く考えると変なことまで疑ってしまいそうである。

 買取金額に不満があれば、また別の商会に持ち込めばいいだけの話である。

 かくして俺は、異世界に渡って早々の大商いに成功するのであった。

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