転がる石

ムラサキハルカ

さざれ石

 ※


 ほんの出来心だった。

 中学の修学旅行を仮病で休んだ。なぜか、と聞かれると返答に困る。実のところよく覚えていない。それでも朧げな記憶を辿るかぎり、なんとなく親友と気まずくなっていたような気がする。とにもかくにも些細な理由だったのは間違いない。

 その些細な理由というやつが、運命の分かれ目だった。


 /


 バスジャック。両親がさっさと仕事にいってしまったのをいいことに居間でぼんやりとさほど興味がない旅番組を見ている最中、無機質なテロップがそう告げた。

 そんなこと本当にあるんだな、なんて他人事みたいに思ったあと、詳細を知るためにチャンネルを回していった。

 そして知る。ジャックされているのは、俺が乗る予定だったバスだったと。

 居ても立っても居られずテレビに齧りつく。画面内で目に入るのはバスの横っ腹と緊迫した様子のニュースキャスターの正面顔で、車内の様子はなにもわからない。拳銃を携帯しているらしい犯人からの要求は、入ってきたら人質を殺す、だけらしく、その他はなにも言ってこないらしかった

 だが、実のところ犯人のことなどどうでもよかった。気になるのは、乗っているはずの親友やその他の友人、さして親しくないクラスメートや担任教師たちの安否だった。報道内では、死者が出たという話は出てこない。しかしながら、今後もそうであると保障するわけではない。

 どうにか、犯人が捕まって、みんなが無事でありますように。ただただ祈った。しかし、その願いは、爆音よって遮られた。

 目を凝らせばバスが燃え盛っていた。


 車内にいた人間は、犯人を含め、誰一人助からなかった。

 爆発から数時間後、さも無念そうな中年男性キャスターの声音を虚ろな気持ちで耳にする。

 助かった。そんな言葉が真っ先に頭に浮かんだのに、自己嫌悪が膨らむ。

 そうじゃない。なんで、助かってしまったんだ。お前もあそこで一緒にいなくなるはずだったのに。

 尚も念仏のごとく垂れ流される事件の情報を聞きたくなくて、テレビを消して、布団に包まる。全てを忘れて眠ってしまいたかったが目は冴えたままだった。

 なぜ、お前はあそこにいなかったんだ。そんな問いが、何度も何度も耳元で繰り返された。


 /


 ここからしばらく、記憶は途切れる。

 おそらく、皆の葬式があったんだろうし、ただ一人の生き残りとして弔辞のようなことを口にした覚えもあるし、テレビ局や週刊誌の記者にマイクを向けられたり追いかけられたりもしたのだろう。しかし、全ては他人事じみたかたちで過ぎ去った。

 意識はおおむね、内側に向けられた。

 後悔。

 なぜ、あそこにいなかったのか?

 潔く、巻きこまれて死ななかったのか?

 一人だけ生き残るなんて、なんて汚いやつだ。

 第一、生き残ってどうなるというんだ。

 いいから、さっさと死ね。

 こんな調子の言葉が、頭蓋の中に響き続けて、現実は遥か遠くに切り離されていた。現実逃避だったんだろう、と今は思う。自覚していた通り、生き汚かったのだと。


 /


 他のクラスに編入されたあと、最低限の付き合いを済ませ、残りの中学生活を過ごした。目的もなく、人生の方針自体もあやふやだったため、親の勧めにしたがって、県外の高校を受験し、特に苦も無く合格したあと、進学と同時に寮に入った。

 初めての親元を離れた集団生活には、誰ともかかわっていないながらも、心細さはなく、多分な空虚をはらんだ気楽さがあった。

 まだまだ頭の片隅には、燃えたバスと同級生たちの記憶がべったり張りついたままだったものの、日常生活程度であれば送れるようになっていた。

 君には、あの子の分まで生きて欲しい。

 ぼんやりと浮かんだのは、親友の母親に告げられたとおぼしき一言。おそらく、葬式の時に聞いたのだろう言の葉の連なりは、友の遺族のものというのもあって、それなりの重さを持ち合わせていた。ゆえに、生きる、とぼんやり思っていたものの、どう生きるか、というのは一向に見当もつかなかった。ただただ、いたずらに時ばかりが過ぎていった。


 /


 一年後。

 お久しぶりです。

 どこか見覚えのある下級生の少女の言葉に首を捻った。彼女は苦笑したあと、親友の名を出して、妹です、と口にした。

 そう言えば、遊びに行った時に何度か顔を合わせていたな、と思い出す。

 すぐに思い出せなかったことを、謝罪すれば、親友の妹は、いえいえ、と応じたあと、どうしても会いたかったんです、と告げた。

 なぜ、と尋ねれば、少女は、兄の話がしたかったので、と静かに口にする。そのために、こちらの親族から居場所を聞きだし入学したのだと。

 強い信念に気圧される。しかしながら、応じる気にはなれず、悪いけど、と首を横に振った。

 そこを曲げてくれませんか? 少女の願いに、背を向ける。あのクラスのただ一人の生き残りとして話す義務があるだろう、という自覚はあったものの、話せばなにかが溢れだしてきそうでならなかった。

 お願いします。背後からは何度もそんな声がかけられたが、無視した。


 /

 

 しかしながら、親友の妹は思った以上にしつこかった。廊下で出くわす度に、

 今日はお時間ありませんか?

 と尋ねてくる。周りに彼女の友人らしい人間がいる時もかまわず、がんがんに話しかけてくる。返す答えも決まっていて、悪いけど、の一言。断ったあとは、そこをなんとか、とか、なんでもしますから、などと告げてくるが、応じないとわかれば、引き下がる。それも一時の話で、また会えば、同じことを頼みこんでくる。

 しつこいという印象を持つのに、さほど時間はかからなかった。とはいえ、彼女は友人の妹。無下にもできない。だからこそ、毎度毎度、お断りの返事をするほかなかった。


 とはいえ、数も積み重なっていけば、段々とこちらと親友の妹だけの問題というわけにもいかなくなってくる。正確にいえば二者間だけの話であるのは変わらないはずであるのだが、周りで話を聞いている外野が顔を出してくる。とりわけ、彼女は知り合いもいない他県の高校に進学したにしては、知り合いが多い。そうなると、詳しいことまではわからないまでも、知り合いの女の子が困っている、という認知を持つわけで。

 なんだかわからないが、話くらいしてあげたらどうなんだ?

 先輩もわがままばっかり言ってないで、あの娘と話してあげてくださいよ。

 君みたいな暗いやつが、あの娘にかかわってもらえるだけでもありがたいと思わないと。

 などとずけずけと踏み込んでくる外野は増えていく。最初は、色々あるんで、だとか、今度ね、といった風にごまかしていたが、学生寮の寮長が、

 話してあげてくれないかな。

 頼みこんできた時には、さすがに折れた。周りに心配をかけるというのは本意ではなかったから。同時に、かまわず人を巻き込む親友の妹をより煩わしく感じもしたのだが。


 /


 それで、何が聞きたいんだ。

 開口一番にそう尋ねた。夕方の閑散とした裏庭に響く自らの声の反射を耳にしながら、少女の返答を待つ。

 前にも言いましたが、兄の話です。きっと、私の知らないことも多いと思うので。

 答えは漠然としていて、なるべく思い出したくない身としては、迷惑なことこのうえなかった。とはいえ、話すと決めたからには、なるべく要求には応じねばならない、と重い口を開く。

 出会いは小学生の低学年で、給食のプリンを巡って揉めた時に初めて喋ったこと。それからもことあるごとに、駆けっこだとか、消しピンだとか、あそこの大きさだとか、どうでもいい小競り合いを繰り返したこと。毎年、決まったように同じクラスだったから喧嘩するのに困らなかったこと。

 親友の妹は楽し気に、

 全然仲良くなりませんね。

 と応じた。

 こうして初めから振り返ってみれば、印象最悪のまま、数年ともにいたことになる。では、親友をいつ親友と呼べるほどの仲になったのだろうか? 頭の中をさらっていくが、これといった転換点が見当たらない。というよりも、死ぬ前までしょっちゅう喧嘩していた気がした。

 喧嘩するほど仲が良いってやつですかね。

 少女の言葉に、そんな単純な話じゃない、と応じたくなったが、起こっている出来事を振り返れば、そう言い表すしかないのは明らかだった。あるいは、自然に親友を親友と認めていたというか、なんというか。


 の朝、なんですけどね。

 唐突に、親友の妹は切り出す。

 お兄ちゃんが笑いながら言ってたんですよ。あんにゃろうに目に物見せてやるって。私は、また喧嘩してるんだ、って呆れてたんですけど、ちょっとだけいいなぁ、って思ったんですよ。そんな人がいるお兄ちゃんを羨ましいって。

 少女の上目遣いは、どことなく虚ろだった。

 そんなお兄ちゃんは帰ってこなかったけど、あなたは生きていました。その時に思ったんです。なんで、あなたが死んで、お兄ちゃんが生きてなかったんだろうって。

 親友の妹の言葉は、俺の頭の中に常に付き纏っている事柄と同じだった。なぜ、俺が死ななかったんだろう、と。

 だから、あなたが生き残ったのが正しかったのか見極めるために、この高校にやってきました。その結果が……なんですか、あなたは。

 彼女の目にあったのは、はっきりとした怒りだった。

 何に対しても無気力で、いつでも自分は被害者ですみたいな顔して、さも不幸ですみたいな空気をまき散らして。こんな人が生きてて、お兄ちゃんやたくさんの人たちが死んだなんて、あんまりです。

 憤りとともに流された涙は、どことなく血の色合いに見えた。

 背筋を伸ばしてください。そうしないなら、死んでください。

 そう告げるや否や、少女は踵を返してその場を後にする。振り返りはしなかった。俺は呆然とするほかなく、ぼんやりと夕空の下に身を置いたままでいる。

 死ぬには……いい綺麗さかもしれない。
















 ※


 …………まあ、死ななかったんだが。


 /

 

「先輩は今日も不景気そうな面してますね。さっさと死んでくれませんか?」

 仕事帰りの居酒屋。俺に蔑むような眼を向けてくる女の後輩は、対面に座りながらそう告げたあと、可愛らしい外面を作ってハイボールを注文した。

「めんどい」

「うっわ、かっこ悪。その面、見てるだけで腹が立ってくるんですけど」

「だったら、来なきゃいいだろ。頼んじゃいない」

 ぞんざいに返せば、女は呆れたように天を仰ぐ。

「こんなに可愛らしい後輩が、わざわざ先輩みたいな不景気な男の顔を見に来てあげてるのに、なんですかその物言いは。ありがたがってください」

 厚かましいな、こいつ、と思いながら、ホッピーを一口飲む。

「ああ、なんですかその顔。先輩の癖に生意気ですよ」

「お前、ただ単におごり目当てだろ」

 指摘すれば、女は悪びれた様子もなく、

「日々、先輩からかけられる心的負担に対する迷惑料です」

 などと宣う。やっぱり、図々しいなこいつ。

「だったら、尚更払う義理はないな。お前が勝手に来てるだけだし」

「今月ピンチなんです」

「俺の懐に余裕があるとでも?」

 尋ねれば、

「あるわけありませんよね!」

 なぜだか、女は楽し気に笑いだす。こいつ、まじ最悪だな、と思いながら、ホッピーをグイっとする。

 ぼんやりとしている思考の端っこ。燃えるバスと親友の遺影が浮かびあがる。遺影は今、目の前で笑っている女の顔と重なる。そっくりだな、などとちょっとだけ懐かしく思う。

「今日だけは奢ってやる」

「ほんとですか! やっぱり、先輩はできる男だって思ったんですよ」

 途端に顔を輝かせた女は、ちょうどハイボールを持ってきた店員に、

「厚焼き玉子に塩辛、ナンコツにポテトサラダ、唐揚げに焼きそば、石焼ピザと刺身の盛り合わせと、それからそれから……」

 片っ端から注文していく。

「俺もそんなに余裕がないって言ってんだろ!」

「やっぱり、肝っ玉がちっさいですね。払え! さもなきゃ死ね!」

「理不尽すぎだろ!」

 ギャーギャー叫び合う。そこに懐かしさを感じつつも、どっちかといえば勘弁してくれと、いう気持ちでいっぱいだった。

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転がる石 ムラサキハルカ @harukamurasaki

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