夜が明けるまでに
小紫-こむらさきー
真夜中
「
薄い木製の扉は、勢い良く開いたせい大袈裟な音を深夜の安アパートに響き渡らせた。
勝利の美酒も少しだけ飲んで、ほろ酔いで良い気分での帰宅だった。
「……おう、おかえり」
都心部ならどこにでもある1Kの狭いアパートには万年床が敷いてあって、床に直起きされたデスクトップパソコンとモニターがある。
シンクの前で立っているあいつの雑に一つにまとめた黒髪が目に入ってきて、それから少し遅れて異物へと視線が向かう。
見慣れた
「まさひろ、俺、やってもうたわ」
あっけらかんとそう言い放った
「これ、俺のおとん」
短く刈り上げた総白髪のおっさんの顔は血まみれでよく見えないが、さすがのこいつも人を殺して冗談をいうわけはないだろう。
もう遅いかもしれないが、とにかく慌てて玄関の扉を閉めて、それから両腕に抱えていたパチンコの景品を靴箱の上に置いた。
見開かれた目のまま硬直している死体を跨いで、血まみれの手でタバコに火を付けている
「朝になる前の方がいい」
「は?」
とにかく、死体を片付けないといけない。
車ならいつものパーキングに停めてある。今の時間なら、きっと目撃者も少ないはずだ。
血がなるべく車に付かない方が良い。ドラマでみたことがある。ビニールシート……はなさそうだからゴミ袋を代わりにして……。
「なにいっとんねんお前」
コンロの下の収納に入っているゴミ袋を取るために立ち上がって、
「だってこれ。片付けた方がいいだろ?」
乾いた笑いを浮かべた
細長い首の割に大きな喉仏がゆっくりと動き、うすい唇がわずかに開く。オレはこいつがタバコを吸うのを見るのが好きだった。
「お前、ほんまにアホやな」
少しの間、見とれていたら溜め息と共に紫煙が吐き出された。煙はふわふわと漂って回されっぱなしの換気扇の方へゆったりと運ばれていく。
「通報するって発想はないんか」
「そうしたら、
自分でも、その言葉を口にしたことに驚いていたけれど、
普段は眠たげにしている目を丸く見開いてこちらを見てから、フッと息を漏らすようにあいつは笑った。
「ゴミ袋とガムテと……その毛布で包めば荷物っぽく見えないかな」
「……ギリギリアウトちゃう?」
「んー丸出しよりはマシだと思うけど」
二人してシンクの下の棚を漁り、使えそうなものを引っ張り出す。
今時珍しい黒の不透明なゴミ袋、それから布ガムテを死体の横に並べて、オレたちは作業に取りかかる。
「まあ、丸出しよりはそらええやろうけど」
「じゃあ、オレは車とってくるから続きやっといて」
「待て待て待て待て」
作業を止めて、車を持ってこようと立ち上がったオレの腕を
「いや、お前、飲んで帰ってきたやろ」
「殺人の片棒を担ぐんだから、飲酒運転なんか誤差みたいなもんだろ」
「そらそうやけど」
酔っていなくても、酒を飲んだら飲酒運転だ。飲酒運転はすべきではないというのは正しい。
でも、オレの言い分の方が今は正しいというのが伝わったのか、
「じゃあ、行ってくる」
玄関の扉を開くと、家に帰るまでは感じていなかった冬の寒さが身に染みる。
駆け足で駐車場まで行き、乗り込んだ軽自動車をアパートの前まで運転をする。
酔いなんてもうとっくに醒めている。いっそのこと、もう一度部屋に戻ってから一杯キメた方が覚悟も決まるかもしれない。
階段を静かに上って玄関の前で深呼吸をしてから、扉を開く。
扉を開いた瞬間に、あいつの親父が起き上がって「どっきりでした」と言ってくれないかと少しだけ期待していた。でも、やっぱりそんなことはなくて、鉄臭さと生臭さがムワッと漂ってくる部屋で
「運ぼう」
どう見ても死体が入ってそうな塊だ。でも、正気に戻る前にこれを処分したかった。
その後、どうしよう。部屋は……。職質にあったら?
ぐるぐると考えが巡って手も足も止まりそうになる。それでも、やるしかない。高校時代から少しずつ少しずつこいつと仲良くなって、何度も告白して振られて、ようやく手に入れたこいつとの幸せな日々だったんだ。
不器用でけんかっ早いからトラブルをよく起こすやつだったけど、まさかこんなことになるなんて。
二人で塊の両端を持ってゆっくりと階段を下りていく。
車のボンネットを開けて死体を放り投げるように入れ、乱暴に閉めた。
誰かに見られるかもしれないという緊張からか、オレたちの口数も少なかった。
運転席に乗り込んでエンジンをかけると、
オレも慌ててシートベルトをして、自分が思っているよりもテンパっていることを実感する。
住宅街が静かだからか、エンジンを噴かす音がやけに響いて聞こえる。明日になる前に、早く忌々しいことはおしまいにしてしまおう。
「まさひろ、ありがとうな」
タバコに火を付けながら、
どんな表情をしているのか見る勇気が無くて、オレは前を向いたまま適当に相づちを返す。
アクセルを踏む足が重い。
「
「アホか」
それからなんでもない話をしながら、車を走らせた。海に向かうのかも山に向かうのかも考えないまま。
冬の夜は長い。だから、時間はあるはずだ。
どこにも到着できずに、本当に地獄ってやつに向かっているのかもしれない。
ただ、少しでも長くこいつといられたらいいなって、そんなことだけ考えながらただただ車を走らせることしかオレには出来なかった。
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