11.普通という封印

 目を開けると、変わらない景色がそこにあった。

「え……?」

 手を握って、開く。動きは変わらずぎこちなく、指先は冷たい。

 もうこの身体には居られないのに。これ以上居てはいけないのに。

 なのに、何も起こらない。何も起こせない。

「どう、して」

「どうしてじゃないよ!」

 部屋に声が響いた。見回すが誰も居ない。いや。いつの間にか神棚に携帯電話が置いてあった。あとりが使っていた物だ。画面は通話状態で、声はそこから響いている。

 一体どうしてこんな物が。さっきまでなかったのに。

 手に取ろうと触れた瞬間、画面が一際明るく光った。

 思わず目を閉じると、何かがすごい勢いでぶつかってきた。勢いに押されて尻餅をつく。

「え、は……何!?」

「綾ちゃんの言った通りだ。あとりくん、まだ身体を返すの諦めてなかった」

 下の方から声がする。視線を下ろすと、しがみつくように少女がひとり……。

「雛、果……? どうして」

「綾ちゃんが、あとりくん呼んで来てって」

 顔を埋めたまま、彼女は答える。

「綾日が」

 うん、と頷いた。

「あとりくん、身体返すって寝言言ってるだろうからって」

「……」

「ホントに、そう思ってたでしょ」

 髪の隙間から彼女の目が見えた。目を逸らした。

 なんか気まずい。そのような感情、とっくに消え失せていてもおかしくないはずなのに。雛果が居ると、当たり前のようにそんな気分になる。

「だって。それ以外、ないんだ。私は封印も解いてしまった。彼が抱えていた神格もある。これ以上、この身体は」

「やだ」

 これ以上言わせないと言わんばかりに、身体に抱きつく腕に力が入った。

「あとりくん」

 その名前に頭の芯が眩んだ。胸の辺りがぐっと詰まるような感覚に、眉が寄る。

「あとりくん。戻ってきて」

「戻ると言ったって。私はもう」

 この身体に居られない。これ以上居てはいけない。

「大丈夫だから」

 その声は力強く、優しかった。暖かくて、春のようで。私が触れたら、あっというまに黒く汚してしまいそうで触れられない。

「あとりくんは、封印が解けてもその身体を保つことができたでしょ。だから、これからも大丈夫」

「……何を」

「あとりくんは」

 私の言葉を無視して、雛果の言葉は続く。

「朝がちょっと弱くて、目玉焼きは半熟が好きなのに作ると固めで、気を抜いたら目と表情が死んでて」

「……雛果?」

「動物に警戒されること多いけど、学校の友達とは仲良くて、夜遅くまでレポート書いて」

「……」

「そんな、普通の大学生だよ」

 しかし、と言いかけた言葉を飲み込む。

 普通、という言葉が私の反論を小さく丸めて固めてしまう。

「中身は神様かもしれないけど。私から見たあとりくんは、他の人と変わらない。ちゃんと普通をやってる」

 答えられない私に、雛果は言葉を重ね続ける。

 私の上に「あとり」が積み重なっていく。

「それに。言ったでしょ」

「……」

「私は神様のあとりくんに居てほしいって。あとりくんがダメになりそうだったら、二人で頑張るって。覚えてる?」

「うん」

 覚えている。あとりを手放したはずの私の中に、その言葉は確かに残っている。

「多分、今がその時だよ」

「……」

 雛果の声は力強い。消えかけていた感情がぽつりと灯る。


 そうだった。

 私だって、名残惜しいと思っていた。仕方ないと諦めかけていたけど。

 もう少し、この場所にいたいのも本当だ。

 そして、彼女は頑張ると言ってくれてた。

 二人で頑張ると約束していた。


 ならば、それに応えよう。

 人の願いを聞き届けるのも、の役目だし。

 私も、人間で居たい。

 そう、思ってしまったから。


「私は……人間で、居られるかな?」

「うん」

「本当に?」

「本当だよ。私が、あとりくんの普通を、ちゃんと支える」

「……」

 雛果の頭に手を伸ばす。一瞬躊躇したけど、触れるとさらりとした髪が指を滑る。

 彼女の肩に触れ、その温かさを抱きしめる。

 どこからか戻ってきた小鳥が、私の肩に止まり、頬にすり寄ってきた。ふわふわとした暖かさがくすぐったい。この小鳥もきっと雛果と同じ事を言おうとしてるのだろう。

「分かった」

 呟いた声は、小さな笑い声のようだった。

「本当!?」

 雛果の顔がぱっと上がる。さっきまでの思い詰めたような声ではなく、花が咲くような表情。

 その表情が、胸に少々痛い気がした。

「ここで嘘言っても、仕方がない。しかし、このままだと身体がもたないから、一部分は封じなければならない」

 何か手段はあるだろうか。この部屋には小さな神棚と灯りと携帯しかない。

 切り離した部分をこの部屋に封じる、くらいだろうか。しかし、封印を強固にするには、もう一手欲しい。

「それなら、これ」

 ようやく身体を離した雛果は、私の手を取って、小さな鍵を乗せた。

 赤茶色の艶やかな石でできた、小さな鍵だ。さっき私が捨て去った温かさがある。

「これは」

「あの匣に入ってた、あとりくんの石だよ」

「あとりの……」

 頬にすり寄る小鳥と手のひらの鍵。これらには、同じ種の暖かさを感じる。

「なるほど、君はこの石と繋がっているのか」

 ち! と、応えるように小鳥が鳴く。

 これでこの部屋に鍵をかけることで、内側から私を抑えておく。そういうことだろう。

「うん。分かった。やろう」


 封印すること自体は簡単だ。

 私の一部を切り離し、木の匣に詰める。蓋をしたら部屋に安置し、鍵をかける。

 それだけなんだけど。

 箱に蓋をしたところで、「ちょっと待って」と雛果が止めた。

「どうしたの?」

 えっとね、と呟きながら何かを探す雛果の腕に、あの白蛇がするりと登ってきた。

「ああ。うん。そうだね」

 頷くと、蛇は応えるように手のひらに降りてきて小刀に変化する。

 それをぎゅっと握って、肩から流れる髪をざくりと一房切り取った。

 躊躇いも、止める間もなかった。

「えっ、ちょっと雛果!?」

 焦る私に対し、彼女は「大丈夫だよ」と笑う。

「現実の私の髪が切れてるわけじゃないから」

「そう、かもしれないけど!」

 雛果は「大丈夫だよ」と重ねながら、切り取った髪を組紐に変化させて匣に結びつけた。

 それから、余った分を私の手首に巻く。結び目を軽く指でなぞると、金属の留め具に変化した。

「これでしっかり封ができると思うから」

 これでよし、と満足げに頷く雛果の肩に登った白蛇が、髪へ潜るように姿を消した。彼女はそれをくすぐったそうに受け入れる。

「あとりくんの封印は、もう二度と切らせない。安心して」

 ね、と不揃いの髪を揺らして笑う彼女に、私は諦めて息を吐くしかなかった。


 匣を神棚に置いて部屋を出た。

 振り返ると、彼女は部屋の中から携帯を振って見せた。それに連動するように、彼女の姿にノイズが走る。

「外は電波がちょっと通じなくてさ。私、向こうで待ってるから」

「そっか。うん。ありがとう」

「ちゃんと戻ってきてね」

「うん」

「絶対だからね?」

「分かったよ」

 念を押せるだけ押して満足したのか、彼女は私に携帯を渡す。

 受け取ると同時に、雛果の姿が一際大きく歪み、ぶつん、と途切れるように消えた。


「……ホント、みんなしてさ。私なんかのために」

 溜め息を付くと、肩に止まった小鳥が何か言いたげに頬をつついてきた。

 分かったよと宥めて鍵をかける。重たい錠前に刺した鍵は、鍵がかかった瞬間、飴のようにとろりと溶け、鍵穴を塞ぐように固まった。

 それを見下ろしていると、足下で小鳥がぴょこぴょこと飛び跳ねていた。

「これ。預かってもらえるかな」

 携帯を見せると、小鳥はぴょこんと飛び跳ねた。良いと言うことだろう。

 ありがとう、と横に携帯を置く。小鳥は少しだけ携帯を眺め、隣に寄り添うように座り込んだ。

「よろしくね」

 任せろ、と言いたげに鳴いた小鳥に見送られ、私は社を後にした。

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