第12話 11日目 リゾートクラブ6日目

トラベル小説


 火曜日、今日は私のリクエストのフロリダドライブの日である。昨日、早めに寝たので、目覚めはいい。ところが、朝食時、

「午前中、キッズクラブへ行きたい。明日のダイビングマッチの練習あるんだ」

 と圭祐が言い出した。祐実もうなずいている。

 遠くキーウェストまで行こうと思っていたのに、半日では無理だ。往復600kmもあるからである。もっとも子どもたちにとっては、海の上の橋よりも明日のダイビングマッチの練習の方が大事なのかもしれない。

 私は朝食もそこそこに部屋でふてくされていた。

 昼前に、子どもたちがもどってきた。それから4人でドライブである。目的地は高級別荘地であるフォートローダーデール。マイアミの手前にある。

 1時間ほどでビーチに着いた。でも、駐車場がない。コインパーキングはあるのだが、システムが分からない。下手に停めて駐車違反でつかまってしまっては大変なことになる。でも、しばらく走るとシーフードのレストランを見つけた。ちょうどお腹がすいていたので、ナイスタイミングである。そこで、海が見えるテラス席に陣取る。目の前には白い砂浜が連なっている。写真で見たマイアミビーチほど混んではいない。

 ボーイさんがメニューをもってきた。それを見てびっくり、みな100$近い。50$ぐらいかと思っていたが、予算オーバーである。でも仕方ないので、一番廉価なシーフードパスタにした。それでも80$である。値段相応の味は感じなかった。場所代を払っているようなものである。

 食事を終えて、別荘街をドライブする。リゾートクラブの周りの別荘には小型ボートがつながれていたが、ここではクルーザーがつながれている。一軒一軒の広さも比べようがないほど広い。まさにセレブの街なのである。妻はため息ばかりついている。自分たちには決して届かない世界とわかっているからだ。せいぜい国内の別荘地に家が建てられればオンの字だ。

 目に毒だし、子どもたちも飽きてきたので、リゾートクラブにもどることにした。

なんのためのドライブかわからなくなり、ちょっとがっかりだった。

 夕方に、プールサイドでカクテルタイム。半分やけ酒だ。そういう私を見て妻が

「なに、ふてくされているの? パパは、シャキっとしている方がっこいいわよ」

 と言ってくれた。ふだん、なかなか聞かないセリフだ。

(かっこいい)と言われて、悪い気はしなかった。がぜんパワーがでてきて、プールに入ってしまった。アルコールが入っているので、いつもの半分しか息がつづかない。プールサイドでは妻が

「パパー! 無理しないでー!」

 と大声をだしている。そこで、しばらくけのび状態でいたら、インストラクターが飛び込んできて、

「Are you OK ?」(大丈夫?)

 と聞いてくる。

「No problem .」(問題ないです)

 と答えると、

「Not moving is no good .」(動かないのはダメです)

 と言われた。それで

「Sorry .」(ごめんなさい)

 と謝った。妻は手を口にあてて笑いを隠している。


 夕食はいっぱい食べた。昼食がささやかだったので、食欲がありありだった。日本料理はカニの蒸し料理。カニ料理は無口になる。妻も子どもたちもいっぱい持ってきて、ぱくついている。K国料理はキンパ(韓国のりまき)、C国料理は回鍋肉(ホイコーロー)である。これは結構おいしかった。ヨーロッパはカスレというフランスの田舎料理だった。ソーセージや牛肉がはいった豆の煮込み料理である。おいしいがやや重い味だった。トルコ料理のケバブがすごくおいしかった。圭祐はシェフのナイフさばきに見入っている。

 部屋にもどり、子どもたちがベッドに入る。妻と二人で、アイスワインを飲むことにした。ドライブの時に、ワインショップを見つけたので買っておいた。カナダ産だということだ。日本に持ち帰ってもいいかと思ったが、食後のカクテルタイムがなかったので、その代わりにしたのだ。

「なぁ、ひとみ。オレと結婚してどう思ってる?」

「なにをやぶからぼうに・・」

「いや、一昨日寝る前に言われたことが気になっていて・・・」

「あー、あれ、子づくり終了というやつ・・」

「うん・・」

「だって、今回の旅行に避妊具もってきてないでしょ」

「うん、持ってきてない」

「だからNoなの」

「ということは日本に帰ったら・・」

「その気分になったらね」

 という返事をもらい、少しすっきりした。その後、妻は祐実といっしょのベッドで寝入ってしまった。

 妻ひとみとは社内恋愛である。というか、海外事業部に配属になり、海外勤務の準備を始めていた時に、部長から

「いい子がいるんだが、会ってみないか」

 と言われて会ったのが、ひとみである。26才の時である。妻は短大を出て、会社役員付きの秘書をしていた。22才だった。見合いではないが、それに近かった。1年後にシンガポール勤務が決まり、その前に式をあげた。妻は専業主婦になったが、

「あなた付きの秘書みたいなものよ」

 と常々言っている。

 2年間のシンガポール勤務を終えて、日本にもどってきて圭祐が産まれた。29才の時である。その1年後に祐実が授かった。日本にもどってきて、気持ちに余裕がでたからかもしれない。このころが一番夫婦の絆が強かったと思っている。ところが、祐実が産まれる前にベルギー赴任が決まり、私は妻と圭祐を残し単身でヨーロッパに向かった。この時期がすれ違いの始まりだったのかもしれない。祐実が産まれた半年後に3人がベルギーに来てくれた。でも、生活は一変した。慣れない土地での子育ては大変だった。特に、祐実のアレルギーには悩まされた。アトピー性皮膚炎である。妻は毎週病院通いをしていた。お医者さんは英語で話してくれたが、処方箋や文書はフランス語。それでも祐実の病気は治らなかった。寝ながら体をかきむしる娘の姿を見て切なかった。それと圭祐の幼稚園である。現地の日本人学校には幼稚部がなく、近所のフランス語の幼稚園に入園させた。圭祐もつらかったが、幼稚園からくる文書がフランス語で、それをいちいち訳すのが大変だった。1時間かけて訳して、ただのチラシということもあった。私は仕事が忙しく、帰宅するのは子どもたちが寝てからというのがふつうだった。妻のストレスはたまりにたまっていたのかもしれない。

 4年間のベルギー勤務を終えて、日本にもどってきて、妻のストレスは幾分減ったように思った。祐実のアレルギーは改善されたし、圭祐も日本の幼稚園にすぐに慣れた。(帰国子女特有の変わり者というイメージはもたれているみたいだが)私の勤務も、そんなに激務ではないので、週の半分は家族と夕食をとれるようになった。

 しかし、3度目の海外勤務がせまっている。今度は幹部として派遣されることが目に見えている。それで、家族の思い出を作っておきたいと思って、フロリダにやってきたのである。それも、あと数日となった。妻や子どもたちがどう思っているか気になりながらも、私も寝入ってしまった。

 6日目終了。

 

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