勇者様はニートになりたい!

池田エマ

ニートへの道は険しい

 私の名前は暁春陽(あかつきはるひ)、職業は社畜の23歳。ある日会社帰りに推し作家の新刊を買いに走っている時に事故に遭い、目が覚めたら肉体が転生を果たしていた。


 異世界で無理矢理勇者という肩書きを与えられた私は、日々どうやったら魔王討伐に行かずに王宮でニート生活を満喫できるかを考えている。なぜなら、死にたくないからである。


 考えてもみて欲しい。ただの社畜が魔王とかいうどう考えても強大な敵を倒す力など、持っているだろうか。持っているわけがないのである。私はどう考えても非力な令和の現代っ子である。つまり、魔王討伐イコール死。ブラック企業も裸足で逃げ出す仕事内容である。無理だ。絶対に無理。


 なんとかニート生活を確保して数ヶ月。今日は馬車に揺られてピクニックに向かっている。可能な限り城内から出たくない私を外に連れ出したのは、元勇者召喚士で従者のニコラウスだ。ニコラウスがどこかに行こうと言い出す時は高確率で魔王討伐関連なので避けていたが、今回は女王陛下のご命令も兼ねている。


「春陽様にはぜひ我が国をご覧になって、あなた様が守る国がどんなところか知っていただきたいのです。豪華なお弁当もお付けしますのでぜひ」


 そう笑顔で言われてしまえば、私もNOとは言い難い。だって私のニート生活の資金は女王陛下から出ているのだ。ニコラウスはともかく、女王陛下を無碍にはできない。ニート生活を継続するにも必要なことだ。


 そんなこんなでニコラウスと二人、馬車に揺られて数時間。いい加減お尻が痛くなってきたが、目的地にはまだ到着しないらしい。私が滞在中のムーンレイ王国のお城は随分城下町から離れたところにあるようだ。さっきから視界は全て森、林、木、ばかりである。


「ニコラウス」

「はい、勇者様」

「この馬車はあとどのくらい移動する予定なのでしょう?」

「あと1週間程で関所に到着予定です」

「そうですか1週間……って、1週間!?」

「はい。関所通過後はひと月ほどで目的地に到着でございます」

「ひと月!? え、ピクニックの目的地そんなに遠いことある!? この国では普通なの!?」

「…………はい、勇者様」

「その間と泳ぎまくってる目はなんなの? ニコラウス? 私の目を見てもう一度言って?」


 ニコラウスは金の瞳を伏せて、とても困ったように眉を下げた。もともと輝かんばかりの美形がそんなに切なそうな表情をすると、普通の人間ならひとたまりもないだろう。私は勇者(仮)で普通じゃないのでビクともしないが。


「ねえ、ニコラウス」

「はい、勇者様」

「このピクニックの目的地ってまさか……」

「いえそんなことありません。あくまでこれはピクニックでございます」

「まだなにも言っていません」


 ニコラウスの目が忙しなく泳ぎ続ける間も馬車はぐんぐん森の中を進んで行っている。この馬車の移動速度で3時間経過してるとなると、徒歩で城に戻れる距離ではないだろう。嫌な予感はどんどん増していく。まさか行き先は魔……。


「ニコラウス、もしかして行き先は魔……」

「いいえ勇者様、魔国だなんてとんでもない!」

「あ、魔王や魔族が暮らしてる国って魔国って言うんだ。初めて聞いた」

「イイエユウシャサマ、マコクダナンテトンデモナイ」

「図星をつかれてゲームのNPCみたいになっちゃった」


 あー、やっぱりね! この馬車魔王討伐に向かってた! 謀られた!


 私は頭を抱えたが、落ち込んでいる場合ではない。とにかく現状を打破しなければ、魔王討伐イベントが始まってしまう。


 勇者春陽レベル1、HP人並み、MPなし、攻撃力防御力その他の能力軒並みモブ以下。装備もなし、もちろん武器もなし。武器はあっても扱えない。どう考えても死亡ルート一直線である。魔王第一形態どころかスラ〇ムにも余裕で負けるステータスだ。詰んだ。


「ニコラウス、教えて欲しいことがあるのですが」

「はい、勇者様。なんでしょうか?」

「この道に魔物とか出たりします?」

「マモノ? 熊や狼は出るかと思いますが、マモノという生物は聞いたことがありません」

「そうですか。ダメだ死んじゃう」


 良いニュースと悪いニュースを同時に知らされて、私はガックリと項垂れた。魔物は存在しないらしいという新情報は良いニュースだが、熊や狼が出るというのは悪いニュースだ。なんとか歩いて帰るというのは無理だろう。早々に希望が消えてしまった。


 このまま馬車に乗ったままでいれば魔王に倒されて死ぬ。馬車から無理やり降りれば熊や狼に襲われて死ぬ。門前の虎後門の狼とは正しくこのことである。


 かくなる上は最終手段だ。私は深呼吸をしてからニコラウスに向き直った。


「ニコラウス、お願いです。馬車を引き返して城に戻ってください」

「いいえ、勇者様。馬車は一方通行です」

「ニコラウス、後生です。私はまだ死にたくありません」


 私の発言に多少思うことがあったのか、ニコラウスは難しい顔をしながらも首を横に振った。どうやらダメらしい。


「申し訳ありません、勇者様。勇者様を必ず魔王の元へ送り届けるよう女王陛下からのご命令です」

「そんな……」

「女王陛下にとっても苦渋の決断でございます。何卒、ご理解を」


 確かに私はこの世界に召喚されてからずっと、ニート生活を満喫してきた。どんなにお願いされても魔王討伐へ行くことは愚か、修行や勉強すら避けてきた。その結果、きっと私は女王陛下に見限られたのだ。


「どうしても、ダメなのですね……」


 足元からじわじわと絶望が這い上がってくる。ただ、あまり後悔はなかった。どの道私は助からなかっただろう。修行と勉強をして魔王に倒されるか、なにもせずこうして魔王に倒されるかの二択だろう。


「こんなことなら、もっと推しの本を読んでおけばよかった」

「オシ、とはなんじゃ?」


 聞き慣れない声がして顔を上げると、いつの間にか私の隣に少女が腰掛けていた。4、5歳ぐらいだろうか。青い髪に青白い肌をした女の子は、鈴を転がすような可愛い声でもう一度私に問いかけた。


「勇者よ、オシとはなんじゃと聞いておる」

「……えと、誰?」


 この子はどこから来たのだろう。随分ませた話し方をする子だ。困った私がニコラウスに視線を向けると、ニコラウスは真っ青な顔で口をパクパク動かしていた。急にどうしたのだろう。なんだか様子がおかしいような気がする。大丈夫だろうか。


「勇者、答えよ。オシとはなんじゃ」


 女の子がもう一度、今度はイラついたような声でそう問う。これ以上彼女を放置するのも大人気ない気がして、私は彼女と視線を合わせた。


「推しっていうのはね、大好きで応援したい人とかもののことだよ」

「応援したい……なるほど。わらわのような者のことじゃな?」

「えーっと、そうかもね?」

「そうか、つまりわらわは勇者のオシということじゃな?」

「うーん、どうかな〜?」


 小さい子への接し方がわからず変な感じになってしまったが、女の子は気にした様子もなくフムフムと頷いている。というか、本当にこの子は誰なんだろう。


「あの、あなたのお名前は?」

「わらわか? わらわはアブルフェーダー・ピコじゃ」

「ピコちゃん?」

「馴れ馴れしいが、まあ許そう。勇者が呼ぶなら仕方あるまい」

「うん、ありがとね? ピコちゃんのパパかママはどこにいるのかな?」

「わらわの母上は王宮におるぞ」


 これはいい事を聞いた。この子を王宮に送り届ける名目で馬車を引き返すことが出来るではないか。


「ニコラウス、私はこの子を王宮にいるママの元に返してあげなければいけません。だから馬車を引き返して……ニコラウス?」


 ニコラウスはいつの間にか寝てしまったようだった。私の目の前でニコラウスが寝るのは初めてのことだった。ぐったりと馬車の背に体を預けている。


 なにかがおかしいと感じた。違和感があるのに、それがなんだかわからない。でもその違和感は確実に私の中で警鐘を鳴らしていた。

 急に眠ってしまったニコラウス、急に現れた幼女。イレギュラーが重なっている。そんなこと、ありえるだろうか。


「ねえ、ピコちゃん。あなたのママのお名前は?」

「アブルフェーダー・ピコじゃ」

「それはピコちゃんの名前でしょ。ママのお名前はわかるかな?」

「わかっておらぬのは勇者の方じゃ。魔王は代々、アブルフェーダー・ピコの名を受け継ぐのじゃ」


 ピコちゃんからさらりと言われた内容に私は絶句していた。今、魔王と言っただろうか。


 その時、馬車がゆっくりと止まった。揺れが収まると馬車の中は恐ろしいほど静かだ。この静けさの中で、何故か私は全身に鳥肌が立つのを感じていた。


「ピコちゃんが、今の魔王なの?」

「そうじゃ。勇者に会いに来た」

「…………私を、倒すために?」


 冷や汗が背を伝う。1週間とひと月後には魔王に倒されるのだと思っていたけど、状況は早まってしまったらしい。最悪の形で。

 息をするのも苦しいような張り詰めた空気の中で、ピコちゃんだけが自然に足をパタパタ揺らしていた。このどこから見ても可愛い女の子でしかない彼女が、私が倒せと言われ続けた魔王。現実味がないが、それが事実であることはなんとなくわかってしまった。


「勇者はわらわを倒すのか?」


 ピコちゃんは悲しそうな顔でそう問いかけた。そういう顔をされるとただの女の子にしか見えない。魔王が幼女だと知っていたから討伐に向かわせたのだとしたら、ちょっと女王陛下の倫理観を疑うかもしれない。


「わらわは母上から勇者を倒して人族の国を滅ぼすのが仕事だと教わった」

「ヒェッ……」


 前言撤回。女王陛下は間違ってませんでした。誰だって大切な人を守るためには冷酷にもなれる。そういうものだ。でも、正しくもないんじゃないだろうか。


「わらわは勇者討伐などしとうない」


 ピコちゃんはこちらの胸が痛くなるような表情でポツリとそう言った。希望は、まだある。


「ピコちゃん、私も魔王討伐はしたくないんだ」

「え?」


 ピコちゃんが顔を上げる。その瞳は小さな希望に光っていた。


「ピコちゃんは私を倒したくない。私はピコちゃんを倒したくない。これって最高のことじゃない?」

「最高のこと……そうかもしれぬ! わらわは勇者の元いた世界のことが知りたいのじゃ!」

「そんなことでいいならいくらでもお話するよ! 私に会いに来たのは討伐するためじゃなくて、異世界のことが知りたかったから?」


 ピコちゃんがコクリと頷く。今ここに和平への完璧なシナリオが誕生した。私がこの世界を救う道筋が見えた。


「じゃあ、私のいた世界のこと教えるから、人の国を滅ぼすのは辞めるって言える?」

「うん」


 簡単なことだったのだ。平和で争いのない世界はちゃんと実現する。世界は広く美しい。

 晴れ晴れとした気持ちでいる私に、ピコちゃんはにっこりと笑ってこう言った。


「勇者の世界のことを全部知るまで、人を滅ぼすのは延期する!」

「ん? 延期?」

「勇者は弱そうだし、いつでも倒せるからな。わらわが満足するまで話を聞いてから討伐すれば問題なかろう」


 問題大ありですが?????

 すごく無邪気な感じで言われたが、魔王はやっぱり魔王だった。さすが魔王様。思考がめちゃくちゃバイオレンス。


「あのね、ピコちゃん。私の世界はとっても広くて、ものすごく高度な文明があって、とにかく話したいことがたくさんあって大変なの」

「そうなのか?」


 今、私は今日までの人生のなかで一番のスピードで脳を回転させていた。人は生命の危機に瀕すると思考が高速になると言われるが、多分今の私がそうだ。とにかく死なない道を模索し、ピコちゃんにぶつけるしかない。


「たくさん話したいことがあるけど、より正確にスムーズにお話するために準備する時間が欲しいなぁ!」

「そういうものか。準備はどのくらいかかるのじゃ?」

「そうだなー、一年ぐらいかなぁ」

「では、わらわの部屋で考えればよい。早速移動を……」

「あー! 待ってあのね、自分の部屋! そう、住み慣れた落ち着いた部屋なら半年で思い出せるかな!」

「では勇者の部屋ごと魔国に転移させよう」

「いや待って! ちょーっとそれだと思考がまとまらなくなるから、やっぱり場所は人族の王宮がいいかな!」

「ふむ、ならば仕方ないかの……」


 若干、いやだいぶ不満気ではあるが、ピコちゃんを説得するのに成功した。元の世界での社畜時代、取引先に納期の延期を打診しまくった経験が生きた気がする。


「半年ごとに勇者を魔国に召喚すればいいのじゃな?」

「なにそれこわい」

「うん? ではどのように話を聞けばいいのじゃ?」

「電話とかあればよかったんだけどね」

「デンワ? それはもしや異世界アイテムか!?」

「異世界アイテムと言えば異世界アイテムかな。この世界に電話は無いし」


 ピコちゃんの目が今日一番の輝きを見せる。その反応に、なんだか生き残れそうな気がしてきた。


「デンワ! デンワとはどんなものじゃ!?」


 いつの間にかピコちゃんの額から角が生え、背中から翼と尻尾が見えている。これぞ魔族という姿に少しだけ恐れつつ、私は慎重に電話について話すことにした。


「電話は遠くにいる人と話しをする道具だよ。耳を当てるところと話すところがあって……うーん、なにか絵を描く道具があれば伝わるんだけど」

「いや、内容は理解した。我が国の技術者に依頼して必ず実現させよう。こうしてはおれぬ。わらわはここで失礼する。デンワができたらまた会おう!」

「え、ピコちゃん!?」


 言うやいなや、ピコちゃんは霧のように消えてしまった。電話の話、基本的すぎる機能とぼんやりした外見しか話せていないが、よかったのだろうか。


「……勇者、様?」


 呻き声のあと、ニコラウスが目を覚まして私を呼んだ。ニコラウスの起きてる姿を見たら緊張の糸が切れたのか、私の涙腺が一気に緩む。


「ニゴラウズ、よがっだ、いぎでで」

「なんと仰っているのかわかりません、勇者様」

「ひどい」


 落ち着いてから事の顛末をニコラウスに説明した私は、魔王との次の会話のために一度王宮に戻ることになったのだった。馬も御者も気絶していただけだったので無事に帰国できた。本当によかった。


 今回はこの世界の知識不足を痛感した出来事だったと思う。もしかしたら私の無知を嘆いた女王陛下のテコ入れ的なアレだったのかもしれない。そうだとしたら女王陛下、恐ろしい人。


 王国に戻ると、半年に一度魔王と勇者が会談するという旨の書類が届いており、国内は大騒ぎになっていた。しかも会談がある間は侵略行為をお互いやめないか、という奇跡の提案付きだ。


「勇者様、どうぞ我が国で思う存分暮らしてくださいね。ただ、お勉強はお忘れなく」


 女王陛下は帰国した私にそう言って、部屋をもう一部屋プレゼントしてくださった。絶対に勇者を囲い込むという強い意志を感じた。


 かくして王国と魔国に束の間の平和がもたらされたのであった。その代償に私のストレスは計り知れないものになったが。


 働きたくなくてニート生活をしてたのに、いつの間にかニート生活を維持するために働くことになってしまった。まあ働くのは半年に一度だけれど。


「あー、今日も平和で最高」

「はい、勇者様。では本日はそんな平和な王国の歴史書を読み解くのはいかがでしょう?」

「ニコラウスが掻い摘んで話してくれるなら聞くだけ聞きましょう」

「ではまず国の成り立ちから」

「待って。全然掻い摘んでないよ?」


 今日も私は働きたくない。

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