1.5.馴染む気なし


 そういえばごぶりんとは一体何なのだろうか。

 この緑色の小さな異形がそうだというならば、なんとも呼びにくい名なのだろう。

 そんなことを考えながら馬車を飛び降り地面に着地する。

 これと同時に二匹のゴブリンを仕留めた。


 ふんふん、と鼻歌を歌いながら堂々と歩き、迫りくるゴブリン一体一体と確実に、的確に仕留める。

 愚直に突っ込んでくる小さな熊のような存在なのでそこまで対処は難しくない。

 子供が危ないものを持ってじゃれついてきているだけに過ぎないのだ。

 怖くもなんともないし、傷をつけられる心配もないと高をくくっていると空気を割く音が聞こえてきた。


 即座にしゃがみ込んで矢を回避する。

 ギョロリと見やれば慌てふためく弓を持ったゴブリンが次の矢をつがえようとしている最中だ。

 そうはさせぬ、と馬車を蹴り飛ばして推進力を付け肉薄する。

 木で作られた弓など簡単に両断することができるため、防いだとしても肉体ごと斬って終わりだ。


 弓兵はこの一体だけだったらしい。

 他は接近武器を手に持っている為、愚直に突っ込んでくるしかない。

 刃天を先に仕留めようと馬車を取り囲んできた八割のゴブリンがこちらに向かってきたようだ。

 馬車の反対側で奮闘するもう一人の男はまだ踏ん張っているらしい。

 戦闘音が聞こえてくるので、これは確かだ。


 しかしこちらに集まってくるというのは面倒だった。

 とはいえ雑魚は雑魚。

 一体ずつ的確に仕留めて簡単に数を減らしていき、あっという間に残すは三体となった。


 ようやく敵わないと理解したゴブリンは冷や汗をかいて後ずさりする。

 歩きながら近づこうとした刃天だったが、その前に反対側で奮闘していた男が残り三体のゴブリンを仕留めてしまった。

 最後の最後でいいところを持っていかれてしまったが、戦わないに越したことはない。


 何度か血振るいをしたが、やはり血は簡単に取れない。

 なにか拭う物がないかと探してみるがあるのはゴブリンの腰布程度だ。

 さすがにあれで刀を拭いたくはなかった。


 どうしよかと悩んでいると、肩で息をしているむさ苦しい男が声をかけて来る。


「ぜぇ、ぜぇ……助太刀感謝する……!」

「あ? ああ……。なぁ、血を拭う物はないか?」

「拭う……? これでいいか?」

「おお、助かる」


 男は予備らしき手袋を手渡してくれた。

 遠慮なりにそれで血を拭ってから返そうとしたが、さすがに要らないと首を横に振られてしまったのでその辺にポイと捨てる。

 栂松御神を肩に担ぎ、約束を果たしてもらうために御者の座る席に飛び乗ろうとした。


「おいおい、待てって……」

「なんだ」

「いや、少し待ってやってくれ。ゴブリンに襲われる経験なんてない人たちだ。混乱しているし、怖かっただろうから落ち着くまで……な?」

「だが俺は約束を成した。次は向こうが約束を守る番だ」

「約束……? 何かあったのか……。だが逃げはしない。少しだけでいいから」

「……」


 このまま強行するのは大人げないだろうか。

 そんなことを考えてしまった。

 刃天は大きくため息をつき、幌馬車に背を預ける。


 言うことを聞いてくれた、と安堵した男はようやく気を抜いて剣を鞘に仕舞った。

 疲労が蓄積していたのかその場に座ると動かなくなってしまう。

 腰に取り付けている箱から水袋を取り出して一気に煽った。


「……お前もいるか?」

「要らぬ。大して動いてもいないからな」

「あれでか……」

「それにしても、奇怪な武具だな」


 刃天はようやく男をまじまじと見た。

 銀の鉄が全身を覆い尽くしている。

 関節部位を見てみれば、ここも厳重に守られているようだった。

 肘を曲げれば鉄が折り重なって腕の可動を邪魔しない。

 このような技術があるのか、と素直に感心しながら鎧を拳でこんこんと叩いてみる。


 怒っていて気付くのが遅れたが、馬車も大きいし馬も大きい。

 馬車の中に幌を張る骨組みがあるというのにも驚きだ。

 それに加え、中にいた人間の服装は見たこともないものばかりだった。


「お前こそ随分奇妙な格好をしているじゃないか。どこの国の者だ?」

「くに? 中つ国だが」

「知らねぇ……」


 そりゃそうだ、と胸の内で呟く。

 己はまったく違う世から来たのだ。

 逆に知っていたら恐ろしいというもの。


 しかしこの男は強くこそないが馬車の中にいる人間より信じられそうだ。

 ここでこの世について聞いておくのが得策かもしれない。


「一つ聴きたいのだが」

「ああ、なんだ? 命の恩人だからな。何だって聞いてくれ」

「……この世の者は盗みをどう捉えているのだ?」

「え? えーっと……いや普通に駄目だが?」


 未だに刀を盗まれたことに憤りを覚えている刃天はまず倫理観について問うた。

 すると、やはりこの辺はあまり変わらないらしい。

 悪いことは悪い、と認識しておいて問題なさそうだ。


 とはいえこれよりもっと他に聞くべきことがあるだろう、と刃天は頭を掻いた。

 必要な問いではあるが真っ先に聞くことではない。

 咳払いをして気を取り直す。


「この世の政はどうなっている」

「……? ま、まつりごと?」

「あ? 通じねぇのか? ああー……城とか……敵とか……?」

「世間情勢ってことでいいか?」

「まぁ、そうだな」


 本当はこの土地を治めている領主について聞きたかったのだが、上手い言葉が出てこなかったので彼の話に耳を傾けることにした。

 男は水を口に含んで喉を潤してから話を続ける。


「ここはダネイル王国の領地だ。ダネイル王国が王都で、周辺にいくつかの領地があってそれぞれ貴族の領主が土地を治めてる。俺たちはヴィンセン領からダネイル王国に向かう途中だったんだよ」

「……分からん……」


 呪詛かなにかか、と頭を抱えたくなるほどの奇妙な単語が欄列した。

 これは詳しく聞いたとしても理解できそうにない。


 だが、大きな国に向かっているということは分かった。

 位置関係などは一切わからないし、今のところ行く予定もないのだが頭の片隅に残しておいてもいいだろう。

 人の多い所だということは容易に想像がつくので、可能な限り避けることにする。


 少し話をしていると、馬車の中からようやく人が出てきた。

 先ほどの恰幅の良い男が栂松御神の鞘を持っている。

 どうやら約束を果たしに来たようだ。


 刃天が片手を差し出す。

 男はそれを手渡し、刃天は確かに受け取ってようやく納刀した。

 腰に携えるとやっと調子が戻ったような気がする。

 やはりあるべき場所にあるべき物がないと落ち着かない。


 とりあえずここで得られるものは得た。

 まだ話を聞いた方が本当は良いのだろうが、刃天は彼らには聞きたくなかったのでその場を早々に立ち去る。


「じゃあな」

「「……え!?」」


 簡単に別れようとする刃天に二人は驚き、すぐに駆け寄って制止した。

 なんだなんだ、と迷惑そうな表情をして顔を向けると懇願するように頭を下げる。


「た、頼む! ダネイル王国まで護衛をしてくれないか!?」

「断る」

「なっ……いや、俺からも頼む。お前が居れば本当に心強い」

「断ると言っている」

「そ、それは……何故だ?」

「盗人と共にいたくないからだ」


 刃天は素っ気なく、突っぱねる様にして言い放った。

 そして恰幅の良い男を睨んだ。


 これが彼らから話を聞きたくない理由である。

 これ以上己が話を聞いて恩を売られたくない。

 そうなる前に、早々に立ち去るのが最良だと今も考えている。


 刃天は侍ではないが、彼らと同じく刀に相当な愛着を持って接していた。

 彼は強さを求める過程で必ず刀を必要としたのだ。

 これがなければ己は生き永らえることはできなかった。

 己がこれ程にまで戦えるということを知ることもなかったのだ。

 故に刀は、命の半身といっても過言ではない程の物。


 それを盗まれたとなれば怒るし、盗んだ本人が目の前にいるということ自体耐えられない。

 いつもであれば速攻で叩き切っているところだ。

 しかし今は理性が働き、その衝動を抑え込むことに成功している。


 この抑えが利かなくなる前に離れたいという目的もあった。


「チネットさんなにしたんですか……!?」

「いや、私ではない……。息子が……その、死体から武器を……」

「死体漁りをしたのですか!? 許したのですか!?」

「す、すまん……。あまりに……見事な見たこともない武器だったもので……」


 罪を認めた恰幅の良い男、チネットは申し訳なさそうに縮こまった。

 反省の色を見せているようではあるが刃天はそれを許す気はない。

 そのまま鼻を鳴らしてそっぽを向き、歩きだす。


「あっ……! こ、こちらが悪かったのは承知の上で、何卒護衛をお願いできませんでしょうか!?」

「名も名乗らねぇ奴に従うつもりもなけりゃ、馴染む気もねぇよ」

「ぐ……」


 すべてが後手に回っている、と酷く後悔しながら男は頭を掻いて刃天の背を見送った。

 彼らの行動が少しでもまともであれば話くらいは聞いたかもしれないが、名前も名乗らないのは論外だ。

 名も知らぬ者に協力を仰ごうという考えがおかしい。

 こういった礼儀の欠落している者たちといても、決して面白い事にはならないということを刃天は知っている。


 振り返ることなく軽く手を振り、その場を後にして森の中へと消えていった。

 特に向かうべき場所などは決まっていないのだが、彼らと歩みを共にするよりはマシであった。


「さて、ではでは? まずは飯でも調達するか」


 指を鳴らしてから、気合を入れて森での生活を楽しむことにしたのだった。

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