1.4.俺の刀


「だああっしょい!!」


 横っ面をぶん殴られた感覚がまだ残っている気がする。

 刃天は顔を振るいながら立ち上がった。


「ガァ?」

「あ?」


 顔を上げてみれば、先ほどの緑色の巨大な異形が背を向けて去ろうとしているところだった。

 だが声を上げてしまったことで存在に気付かれてしまったらしい。

 生き返った刃天を見て緑色の異形は目をぱちくりさせて何が起こっているのか必死に理解しようとしているようだったが、それより先に刃天が動く。


 己を一度殺しておいてただで済むと思うなよ。

 そんな殺意を込めて肉薄し、まずは一発脛を殴りつけた。


「ギョアアアアッ!?」

「ヘッ、姿は人間と同じ。ならば同じ技は効くだろう」


 刃天が繰り出した一撃は、正直大した威力を有してはいなかった。

 だがそれでも緑色の異形は叫び声を上げて転倒する。


 刃天は“殴り方”を知っていた。

 刀を持たずに方々を彷徨っていた時代、素手だけで何とかしなければならない争いごとに多く巻き込まれたことがある。

 そこで会得したのがこの殴り方である。


 拳を強く握り、手の甲の骨を可能な限り浮き出させる。

 それを使って特定の部位を殴れば、このように筋骨隆々の異形であったとしても激痛に顔を歪めて転倒するのだ。

 筋肉と骨の筋……大体その辺を狙う。

 感覚的なものなので刃天も正確な名称や部位などを完璧に理解しているわけではないが、確かな手ごたえがあったか否かでそれを判別している。


 今しがた狙った箇所は向う脛むこうずね

 よく弁慶の泣き所と呼ばれたりする箇所である。


「シッ!」


 転倒した緑色の異形にすかさず追い打ちをかける。

 上半身側に回って足を押さえている腕の関節部位を的確に殴った。

 尺骨神経などと呼ばれる部位になるのだが、他にもハニーボーンなどという呼ばれ方もされている箇所だ。


 腕が痺れたようで、手に持っていた長剣を手放してしまう。

 分厚く己が持ち上げられるかどうか不安ではあったが、今まともな武器は敵が持っている武器しかない。

 急いで駆け寄って蹴り上げる。

 そして柄を乱暴に握り取り、大上段から大袈裟斬りにする様にして剣を叩きつけた。


「操り切れねぇな……!」


 この一撃は惜しくも防具によって防がれてしまった。

 とはいえ重力と遠心力の乗った強烈な一撃だったため、防具は若干軋んで負傷を追わせることに成功したようだ。


 だが緑色の異形も黙ってはいない。

 激痛を堪えて無事な腕で地面をぶん殴り、その勢いを使って何とか立ち上がった。

 足を引きずり、片腕は脱力しているがまだ戦える。

 経戦能力はそこそこ高いらしい。

 少なくとも人間よりはタフな肉体と精神力を有している様だ。


 長剣を肩に担いだ刃天はその重さに何とか耐える。

 彼は剣技、体術共に優れた能力を有しているのだが、筋力ばかりはそこまで逞しくない。

 不足している筋力を体の使い方で補っているのだ。


 元より昔の日本人は食事のバランスが偏っており、栄養失調気味なのだ。

 そう考えると刃天はよく鍛え上げられている方である。


 緑色の異形が倒れ込むように襲い掛かって来た。

 武器がなくとも対格差で何とかなると考えているのだろう。

 それは間違っていない。

 そこで刃天は剣の柄頭を地面に突き刺し、切っ先を常に異形へと向け続けた。


 熊を仕留める時の槍捌きの応用だ。

 愚直に突っ込んでくる熊の勢いを利用し、待ちの姿勢を貫いて勝手に飛び込んでくるのを待つ。

 幸いこの長剣は刃がほとんど潰れているので素手で触れたところで簡単に怪我はしない。


 あとはこの緑色の異形がどれ程の知性を持っているかによるのだが……。

 怒りで前が見えないのか、それとも足に走っていた激痛が未だに響いていたのか。

 緑色の異形は熊のように愚直に突っ込んできた。

 待機していた長剣の切っ先が守られていない腹部にめり込み、中にずるりと入っていく。


 刃天はそれと同時に地面を蹴ってその場を離脱する。

 あの巨体が倒れ込んで来たら勝ったというのに巻き添えになって死ぬだけだ。

 何とか転がって勢いを殺し、一度バク転を挟んで起き上がって敵を見やれば緑色の異形は背中から長剣を突き出して死亡していた。

 大量の鮮血がどぼどぼと流れて地面を濡らしていく。


「……。おしゃあああああ!! どんっなもんじゃい!! 同じ相手にゃ負けねぇよ!! くははははは──はっ!? 俺の刀!!」


 こんなところで時間を潰している暇はない。

 刃天は急いで大空を見上げた。


 生き返るのはこれで二度目だ。

 さすがにここまで経験して理解できない程刃天も馬鹿ではない。

 己は一度本当に死に、地獄に落ちるところを閻魔の気まぐれでとんでもないくそみたいな沙汰を言い渡された。

 あれは現実で、夢でも何でもない。

 異なる世に放りだされたというのも、やはりこの異形を見れば一目瞭然。

 どうあっても現実として受け入れるしかなさそうだった。


 今の段階で幸を気にする必要はない。

 同種の人間が居ないのだから幸が減ることは絶対にないのだ。

 であれば今の目的は刀を探すことにある。


 地獄の鬼、地伝は人が己の刀を盗んだと口走った。

 北へ行けば分かるとも教えてくれたので、まずはおおよその方角を確かめるために大空を見上げる。

 太陽は東から昇り、西に沈む。

 この世でも同じであるならば、北の方角は分かった。


 そちらを睨んでみれば、深い森が長く続いている。

 ここを突破しなければならなさそうだが、一応他の方角も見ておいた。

 東には先ほどの異臭がする洞窟があり、南には崖があり、西は北と同じように森が続いている。

 有り体に言えば南は行き止まりで、東はどこに出るかもわからないので、この二つの方角を地伝が指し示すことはないだろう。

 人が進むにしても、この方角は進みにくい。


 であれば、方角の概念は己がいた世と同じ。

 そう信じて地面を蹴り飛ばし、全速力を持ってして北へ猛進した。


 草や低木はないものとみなし、進んでいる内に出てきた緑の小さな異形は蹴り飛ばし、隆起している大木の根は跳躍して乗り越える。

 森をこれだけ長く進むというのは初めての経験だ。

 いつもであればすぐに谷に入って山を登ったり下ったりすることになるのだが、この世では山というものがあまり存在しないのかもしれない。


 そのまま走り抜いていると、何やら気配を感じた。

 立ち止まってその正体を確かめるべき、目を細めて耳を澄ました。

 しばらく集中して音を聞いていると、先ほどから蹴り飛ばし続けている緑色の小さな異形の声が大量に聞こえてくる。

 それに混じって金属音と、人間らしき悲鳴が耳に届いた。

 どうやら緑色の小さな異形が人間を襲っているらしい。


「……あんな雑魚に? まさかな」


 素手で仕留められる程度の相手に、人間が劣勢を強いられているとは思えない。


「あ、だがあの巨大な異形だったらそうなるか」


 一瞬で考えを検めた刃天は顎に手をやって悩む。

 幸いにも進むべき道は音のする方角だ。

 このまま助太刀をしに行ってもいいのかもしれないが、それで刀が見つけられなかった損でしかない。


「……いや、盗まれたとか言ってたな? よもや奴らが……? 確かめるか」


 そう思い立ち、まずは助太刀をしに向かうことにした。

 もし彼らが刀を盗んだ犯人だった場合……のことは一旦考えないでおく。


 全速力でそちらへと駆けてみれば、大きな荷を積んだ馬車の周りを緑色の小さな異形が取り囲んでいた。

 様々な武器を手にしており、防具はやはりお粗末だ。

 しかし数の利で人間を翻弄しているらしい。


 外に出ている人間は三名。

 それぞれが武器を手にしているが、まともに戦うことができるのはその内の一人だけのようだ。

 まず身に着けている防具の質が違う。

 ほぼ布と変わりない防具ではいくら弱い緑色の小さな異形が相手だとしても、まともに攻撃を喰らえば簡単傷つけられる。


 それにしてもお粗末な戦い方だ。

 緑色の異形も、人間もまともな訓練を行ってすらいないらしい。

 独学で戦いの中で身につけた戦闘方法を使っている己が言うのもなんではあるが、それにしてもお粗末である。


「……ん?」


 御者が座る場所に目をやると……どうやら幌馬車の中に少なくとも一人は人間が乗り込んでいるらしい。

 何故それが分かったかというと、幌馬車から武器が顔を覗かせていたからだ。

 角度が悪くて馬車の中を見ることはできないが、刃天はその武器を良く知っていた。


「栂松御神!! てめぇらあ!!」


 怒りが最高潮に達した刃天は、なりふり構わずその場から飛び出した。

 急に森の中から怒りの形相で現れた刃天に、異形も人間も目を瞠って驚く。

 その隙を見逃すことなく己は回し蹴りで二体の異形を力強く蹴り飛ばし、近場にあった大木にぶつけて沈黙させる。


「な、なんだ!? 増援か!?」

「なんだっていいよもう! 人間なら味方でしょ!」

「おい、そこのお前──」

「黙ってろくそどもぉ!」


 力強い暴言に三人が目を瞠る。

 この一瞬で関わってはいけない人間だと理解してしまった。


 そして刃天は緑色の小さな異形を無視して御者が座る席に飛び乗る。

 馬車が軋んだがそんなことは関係ない。

 顔を上げて幌馬車の中を覗いてみれば、女子供が最奥に震えながら隠れており、その手前に栂松御神を握った恰幅の良い男が立っていた。

 他の者たちより立派な服装を身に着けていることから上流階級の人間だということが見て取れる。


「お!? お、お、おま、お前は何だ!?」

「返せ」

「……ん? お!? き、貴様……死んでたはずじゃ……!!」

「俺の刀。返せよ、おい」


 冷たく言い放った言葉は男だけではなく、後ろにいた女子供も震え上がった。

 刃天は人を殺してはならないという沙汰がある。

 それを何とか理性で御し、片手を差し出し続けるという形で押さえ込んでいた。


 恰幅の良い男は冷や汗を流しながら、恐る恐るといった様子で震えながら栂松御神を刃天に手渡す。

 それを奪い取って刀身を眺めてみるが、あの時と変わらない美しさがあった。

 だが、まだ足りない。


「鞘はどこだ」


 先ほどよりもいくらか落ち着かせた口調で言葉を口にした。

 すると、男と女が後ろにいた子供に視線を送る。

 刃天が覗き込むようにして見やれば、子供が大切そうに栂松御神の鞘を抱きしめていた。


「返せ。俺の物だ」

「かっか、かえ、返すんだ! な? 返すんだ……!」

「やだ! 僕の!」

「こんな時に我がまま言わないで……! お願いだから……お願いだから!」


 子供の言葉に、刃天の殺意が増した。

 加えて武器を手にしているからか、少しの圧だけで恐怖が蔓延する。


「ギョアアッ!」

「黙れ」


 横から飛び込んできた緑色の小さな異形。

 短剣を振りかざして襲い掛かってきたが刃天は姿を見ることなく、栂松御神を軽く振るって沈黙させた。

 血液が幌馬車にびしゃりとかかる。

 その凄まじいほどの切れ味は軽く振るっただけだというのに、異形の内臓をぶちまける程に深く、広く腹部を切り裂いていた。

 血液の濁った匂いと、内臓の腐敗臭が一気に押し寄せる。


「返せ」

「……ッ!! じょ、条件がある! 周りのゴブリンを始末しろ! そしたら、そしたら返す! 必ず! 絶対! 神に誓って!!」

「……ああん?」


 口を尖らせながら馬車の外を見る。

 今しがた一人が緑色の小さな異形に殺された。

 嬲りごろされるようにして何度も何度も武器を叩きつけられている。

 それを見て一人の護衛が武器を放り出して逃げていった。

 弓をつがえた緑色の小さな異形が見事にそいつの足を打ち抜き、転倒したところを四匹にの緑色の小さな異形が殴り始める。


 このまま異形がこの人間を仕留めるのを待ってもいいが、鞘が汚れてしまいそうだし、最終的に仕留めなければならない事実は変わらない。

 綺麗なまま帰ってくるのであればそれでいいか、と納得した刃天は恰幅の良い男に指をさす。


「違えるなよ?」


 そう言って、馬車を飛び降りた。

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