第5話 異世界の異食、ンポポを食べよう

「さぁさぁ肉を取り分けるですよ! セーニャ、リーナ、宗一もはいどうぞです!」


 差し出された皿代わりの葉の上には、齧り付き甲斐のありそうな厚みを持った肉に野菜が添えられており、受け取る者の食欲を誘う。当然ながら宗一もその内の一人であり、渡された切り分けられた肉の断面から溢れ出る肉汁が目を惹き付けて止まない。しかしそれ以外にもう一つ、宗一がこの焼かれた肉に対して意識せざるをえない事があった。


「ふむ、有り難く頂こう。しかしこのンポポは大した物だな、これはやはりヴィルナが捕まえたのか?」

「そうです! 食べてみると分かりますけど、このンポポの味が出せるのはオーク広しと言えど私ぐらいです! です!」


 セーニャ達の会話にも現れている、そう、ンポポだ。このンポポが一体何を指すのか、いや、これがンポポの肉であるのは理解できる。しかし問題は何科の動物かという事だ。宗一がこのネイゲアという世界で目が覚める前までの、以前過ごしていた世界では当たり前に食べ物が溢れていた。特に自身の住んでいた日本では食料自給率こそ四割を切っていたがそれを補って余りあるほど輸入をしていたため、正に言葉通りに国から溢れる程の食料があった。それは肉類に限っても牛、豚、鳥を筆頭に羊や馬の畜産動物、更には熊、猪、鹿等の狩猟動物に至るまで多種多様な肉を求めることができたのだ。勿論、それ以外にも肉は存在したが、ンポポという動物は宗一の知識の中には記憶されていなかった。


「ん? 宗一、食べないですか? もしかしてンポポ……好きじゃないです?」

「そんな事は無い、そんな事は無いよぉ! 久し振りのお肉だから緊張しちゃってさ、ははは、我ながら情けない限りだけどね」


 不安気な表情で顔を覗き込んできたヴィルナに笑顔で返して、宗一は自分に言い聞かせる。何を迷うことがあるのか、これがンポポであろうとなかろうと目の前の肉が正真正銘の肉である事は間違いない。食べる、そこに肉があるから食べるのだ。


「い、いただきます!」


 宗一は手を胸元で合わせて食事前の挨拶から始める。日本では古来からの作法であり宗一にとっては日常的な動作として自然に出たものだったが、それがセーニャ達には珍しいらしく「それには何か意味が?」と訝しげな表情を見せた。


「え? あぁ……そうだなぁ……この『いただきます』は感謝の表れかな。作ってくれたオークの皆への感謝、そしてこの……このンポポ? を食べて自身の糧とさせて頂く、食材への感謝。だから俺の居たところでは食事前に『いただきます』と挨拶をして、そして食事の終わりに『ごちそうさま』と感謝の言葉で締めるんだよ」


 セーニャとヴィルナは感心した様子で「へぇ……」と頷いていたが、やがて二人で顔を見合わせると、ぎこちない動作で胸元に手を合わせると「いただきます」と静かに述べた。


「……いきなりどうしたんだ二人とも」

「いやなに、宗一の話を聞いて私達も見習おうと思ってな。感謝で始まり感謝で締める。思えば食材、調理、それ以外の諸々が何一つ欠けてもこうして私達の目の前に料理が並ぶ事は無いわけだ。ふむ、実に良い慣習じゃないか、なぁリーナ?」

「ふぎゅぅ……お肉……美味しいかったなぁ……お肉……」

 セーニャの言葉も聞こえていない様子で、リーナは既に取り分けられた肉をペロリと平らげ、今は皿代わりの葉に残った油をペロペロと舌で舐めまわしている所であった。セーニャはむっとした顔でいただきますの形が残った手をそのままリーナの頭上に振り下ろした。「ぷぎゃっ!」と可愛い悲鳴がリーナから漏れ、続いて「セ、セーニャか……いきなり何をするんだ!」と声を荒らげて抗議をした。


「まぁまぁセーニャも落ち着いて。さぁリーナももっと食べるといいです。ンポポはまだまだあるですよ」

「うぅ……御代わりまで頂けるとは……幸せだなぁ……」


 リーナは感無量といった様子で涙を流していて、それをセーニャは仕方の無い奴だと言わんばかりの目で見ていた。


「では、私も頂くとするか……」


 宗一はなるべく視線を悟らせないように意識だけでセーニャを観察した。宗一達は中心に鎮座しているンポポの肉を取り囲むようにして四人は座っている。ンポポの肉はヴィルナがその都度切って取り分けてくれるのだが、手元には簡素なナイフが初めに置かれていた。その他にもンポポの肉の周りには野菜らしき物が置かれている。ここで宗一にとってある一つ問題が出てくる、箸が見当たらないのだ。


(リーナはいつの間にか肉を食べ終わっていたから、どうやってこの肉を口に運んだかが分からない。箸の文化は浸透していないのか廻りには見当たらない。唯一使ってよさそうなのはこのナイフだけだ。となると、どうやって肉を食べるのが正解なんだ?)


 ナイフで肉を一口大に切り分けるのは理解できる。その後どうやって口まで運ぶのか、ナイフで刺したまま? それとも手掴みで豪快に口にするのか、下手に動いて注目を浴びたくはない。宗一はセーニャの一挙手一投足を見逃さないように集中した。そんな宗一が見守るなか、セーニャは先ず肉を置き、徐に指を宗一の額に寄せて思い切り弾いた!


「さっきから何を見ている! 鬱陶しいぞ!」


 それは小石をぶつけられたぐらいの凄まじい痛さで、宗一は思わずゴロゴロと転がった。これを何度も額に受けていた先のリーナを思いだし、確かに泣いてしまうのも無理はないと同情した。実際にセーニャが放ったこの一発で宗一の瞳は微かに潤んでいた。


「ちがっ、違うんだよ! ほら、食べるって言っても色々な食べ方があるだろ! だからこのンポポ? をどうやって食べるのが良いのかなって思って……」

「だったらそう言えばいいだろうに、私はほらこうやって……」


 セーニャは手元のナイフで肉を薄く切り、周りにある添え付けの野菜類に肉を乗せてくるくると巻いた。そしてそれを手に持つとそのまま口に運んだ。


「うむ、うむ……これは……美味いな。ヴィルナ……これ程のンポポは私の里でも食べた事は無い。素晴らしい腕だ」

(成る程、周りの野菜はそうやって使うのか。つまりこれは焼き肉で言う所の包み菜に当たるんだな。そうと決まれば……)


 宗一は早速肉を切り、手早く野菜で巻いて口に放り込んだ。それを食べた瞬間に野菜独特の青臭さの中から肉汁が溢れ、一噛み毎に肉の甘味が野菜全体に拡がった。しかも香草の効果だろうか、甘味の後にしっかりと肉本来の味が舌に届く。気付けばその野菜巻きーーンポポ巻きとでも呼ぼうか、それは宗一の喉をするりと抜けていってしまった。


(………………うっまぁ……なんだこのンポポ……美味すぎるっ!)


 先程までの不安も吹き飛び、宗一は夢中でンポポを掻き込んだ。葉で巻き、野菜を変え、肉の厚みを好きに変えたり、ンポポを存分に堪能していた。


「皆に美味しく食べて貰って私も嬉しいのです。腹いっぱい食べるといいです!」

「うん、このンポポはとても美味しい。こんなに美味しいお肉は初めてだよ!」

「うふふ、宗一も気に入ってくれたようで良かったです」


 食べ方さえ分かれば此方のものだと宗一は次々にンポポを口に入れていく。そのとろけるような肉汁の甘味としっかりとした噛み応えからくる赤身の味が和牛とも豚肉とも言えない不思議な旨味を感じさせた。しかし食感は鳥に近いものがある。


 それからも各々がンポポを口にしながら和気藹々と食事は進んでいく。宗一は異世界に来てからこのような暖かな場で食事ができたのは初めてであった。


「んむ、んむ……それにしてもこのンポポは見事だな。宗一もそう思わないか?」

「あぁ。凄く美味しいよな」

「特にこのメッツが凄い。このような溢れるメッツは私も初めて見るよ。宗一はどうだ?」

「うんうん、メッツがいいよなメッツが……メッツ?」

 宗一はぴたっと動きを止めた。

「このメッツはですねぇ……ンポポのドルックをトゥンクさせないと出せないですからね! 他のオークではこう上手くはメッツを出せないんですよ! オーク達ではピレッツォになるばかりでぇー」

「そうだな、私達エルフでもンポポのドルックをこうなるまでトゥンクさせるのは難しい! ヴィルナ、見事な腕前だ!」

「もー、セーニャも誉めすぎですよー!」


 駄目だ、名称が一個も分からねぇ……宗一は聞き慣れぬ単語に頭を抱える。ンポポの存在をようやく受け入れる事ができたのに、ドルックがトゥンクでピレッツォなメッツまで言われてしまっては……と、宗一は頭痛が止まらなかった。


「我々エルフはな、先ずンポポをガッチョしてだな……」

「あー、私達オークはですねー……」


 二人は笑い合いながら食事を楽しんでいたので、宗一は仕方なしにリーナに目をやるとそこには一心不乱に肉を口に掻き込む姿があった。それは動物達が行う冬眠前の食い溜めに似ていて、心なしかリーナの恰幅が段々とふくよかになっているような気がする。


 宗一がもそもそと肉を食べている間もセーニャ達は相変わらずの盛り上がりを見せており「このンポポのジレンマがな……」とセーニャがヴィルナに話を振れば「それはあるあるですー!」と、ンポポあるあるまで飛び出す始末であり、とても見ていられないと二人から視線を外すとリーナは此方を見向きもしない。宗一は異世界に来てから初めての疎外感を味わっていた。異世界とはいえ、大体の言葉は通じていたのに……と愚痴を言うべき相手もいないので、宗一もリーナを見習って脇目も振らずに肉を食べ進める。


(肉は……美味い。とっても美味いんだが……何だこの胸のうちにある寂寞感は……そうか、これが……異世界の壁……か)

「ーーなぁ、宗一。お前もそう思うだろ?」

「な、なにがかな?」

「だから、ンポポのだなーー」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、もう勘弁してくれ! 俺が悪かった! ここまで引っ張ってすまないが、俺はンポポもピレッツォもトゥンクもよく知らないんだ。ただ、この肉は美味しい。これだけは本当だ!」


 宗一は観念して胸のうちを明かした。話の腰を折るようで二人には申し訳無いが、ンポポがトゥンクと言われても答えようが無いので正直に話した。


「なんだ……それならそうと言ってくれればいいのに……」

「そうですそうです。では先ずンポポの説明からです?」

「あ、あぁ……頼む……ンポポって一体何なんだ? もしかして鳥かなにかかな?」


 宗一はここに来てやっとンポポの正体を知ることができると喜んだ。自身が食べたンポポの肉質から言っておそらく鳥ではないかと聞いてみるが、二人ともゆっくり首を振った。


「ンポポはですね……ンポポなのです!」


 元気よく答えてくれたヴィルナの横でセーニャはうんうんと頷いている。宗一は「そうかぁ……ンポポかぁ……そうだよねぇ……」と溜め息と共に声を漏らすが、セーニャはそれを見て微笑んだ。


「ふふふっ……待て待て、宗一の疑問もよく理解できる。えーと、だな……このネイゲアに生息するンポポは実に不思議な動物でな、感情の起伏で味が変わるんだ。見た目は確かに少し大きい鳥なのだが、ンポポは独立した種なんだよ」


 それから宗一は二人からンポポの説明を受けた。どうやらンポポは基本的に怒らせれば怒らせるほど強く、美味くなるらしくヴィルナが狩ったこの肉のようにメッツ(おそらくサシ?)を多く出すことができるのは凄いことらしい。


「成る程な……不思議な動物も居たもんだな」

「この世にはきっとまだまだ私達の知らない不思議な動物がいると思うです! 私の夢はそんな動物達を狩って食べることなのですよー!」


 ヴィルナは拳を掲げて笑った。それは少女らしからぬ夢かもしれないが、宗一は素直に応援した。このンポポのような不思議な動物がネイゲアに沢山生息するのなら、そういう夢も良いのかもしれないと素直に思えたからだった。


 それから三人はンポポに舌鼓を打ちながら談笑していると、不意にバタンとリーナが体勢を崩して仰向けに倒れた。


「お、おいリーナ、大丈夫か!?」


 直ぐに三人がリーナに駆け寄るが、当のリーナは幸せそうな顔をして瞼を閉じていた。ご丁寧にも「もう……もう食えんでごわす」と誰も聞いていない事を答えながらである。


「……こいつ、こんなので本当に騎士なのか?」


 セーニャは呆れ顔である。宗一から見てもそれは疑問ではあったが、リーナはお腹一杯食べたせいか丸々と太り、苦しそうに横たわっているので答えは聞けそうになかった。


「へぇ……人間は食い溜めができるのですね。こんなに大きくなれるなんて不思議ですねぇ……本当に不思議……」

「ヴィルナ、俺から見ても食べるだけでこんなに丸々しくなるリーナは不思議だけども、不思議な動物だからって食べたら駄目だぞ?」

「わ、わかってるですよ! もう、宗一はいじわるです!」


 ヴィルナはそう言って怒ったが、その視線は未だにリーナを見詰めている。


(本当にわかってるのか少し不安だな……)


 篝火に照らされた四人の影は闇夜に淡く溶けていき、ンポポを囲みながら静かに夜が更けていく。この暖かな時間が、いつまでも続けばいいなと、宗一は微笑みながら思った。

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