《中編》危機二発め――失敗……

 突然なにを言い出したんだ、公爵令息様は。

 気づかなかったけど賊に頭を殴られていたとか。

 それとももともと、ちょっとおかしい性格なのかな?

 どちらにしろ――


「お断りします」

 きっぱりと言う。

「ダメ」公爵令息、にっこり。

「いやいや、意味がわかりません。私は――」

「知っている。父親より強い男としか結婚する気はないのだろう?」

「はい。賊を前にして震えることしかできない男は願い下げです」

「言うなあ」と笑うジェズ。度量は広いらしい。


「ルフィナを妻にしたい理由はふたつ。ひとつ。結婚相手をみつけないと、爵位を譲ってもらえない。期限は今月中」

「あと二日しかないじゃないですか!」

「そのとおり」


 ジェズは正しくは『公爵令息』ではなくて『令孫だ』。コレッティ公爵の嫡男の長男だからだ。だけど随分前に両親は流行り病で相次いで亡くなり、兄弟もいない。公爵家直系の跡継ぎは彼ひとり。


 だけど二十三歳にもなるのに婚約者もいないから、公爵が『後継を作らぬ気のないヤツには爵位は譲れぬ』と言い出したという。

 公爵は病を患っていて、孫になるたけ早く結婚してもらいたいらしい。もしジェズが相手をみつけないと、叔父が爵位を継ぐことになるそうだ。


「だが結婚相手が誰でもいいわけじゃない。じいさまの基準に合い、相手が決まっていない令嬢なんてそうそういない」とジェズ。「そこにルフィナが颯爽と登場したわけだ」

「いやいや遠慮します」

「理由その二」ジェズは私を無視して話を進める。「どうやら俺は命を狙われているらしい。黒幕は叔父だろうが、証拠はない。優秀な護衛が必要だ」


 ほらな、とジェズが笑顔になる。


「ルフィナなら丁度いい」

「遠慮します」

 父親より――というのは方便だ。私は誰とも結婚したくない。かつて約束をしたのだ。『私の夫になるのは、あなただけよ』と。


 相手は幼馴染で婚約者でもあったロイ。彼は十歳のときに難病にかかり、亡くなってしまった。

 私の両親もこの約束を知っているから、無理に結婚を勧めないでいてくれる。


 なのに、こんな出会ったばかりのおかしな公爵令息と結婚なんてしたくない。


「わかった、譲歩しよう」とジェズが言った。「白い結婚で期間は一年。じいさまを喜ばせられれば、当面の問題はクリアだ。一年あれば叔父の排斥もできるはずだ」

 首を横に振る。

「報酬を出すし契約書も用意する」

「お断りします」

「強情だな。だがお前の事情を考慮している時間はない。悪いが、じいさまを使わせてもらう」

 ニヤリとするジェズ。


「ちょっと!」

「死期の迫っている老公爵に泣かれたら、ガリエ伯爵も断れないだろう。なにしろじいさまは陛下の従兄だしなぁ」

「卑怯者!」

「悪いな、俺も切羽詰まっているんだよ」



 ◇◇



 予想どおり、両親はコレッティ公爵に屈した。しかも公爵の余命(!)を考慮して、ジェズを助けた二日後に婚約、その二週間後に結婚という、あり得ない早さでことが進んだ。こうなると、私も腹をくくるしかない。彼との結婚を受け入れた。


 表向きはジェズが、助けてくれた私に一目ぼれをした、ということになっている。裏ではしっかり契約を交わしているから、一年たったら離婚するけどね。


 ただ、親友や王女、私の両親兄妹、ロイの家族までが

『やっとルフィナが幸せになる決意をしてくれた』

 と涙を流して喜んでくれたから、複雑な心境ではある。

 ロイを亡くして十年。私は彼を裏切りたくないけど、そのせいでもしかしたら、今生きているひとたちを悲しませていたのかもしれない。


 それにしても――


「ルフィナちゃん、今日はわしとチェスしよう。そのあとは植物園でデートだろ、帰りは人気のパスティリーでまったりくつろぎのティータイムだ」

 公爵であるダニロ様がにこにこと誘ってくる。嫁いで二ヶ月。余命短いはずの彼は今日も山ほどあった朝食をぺろりと平らげ、あまつさえデザートに手を伸ばしている。


 どう見ても元気いっぱいなんだけど?


「じいさま、仕事しろ」とジェズ。「ルフィナは俺の妻だ」

「だってお前の仕事に付き合わせるのは可哀想でな」


 ジェズはなんと、競馬の騎手だった。馬好きが高じてなったらしい。同僚に詮索されたり競技に手心を加えたりされるのが嫌で、ずっと偽名を使っていたとか。もちろん社交界にも秘密。王女も知らなかったというから、徹底して秘匿していたらしい。


 彼はそれなりに優秀な騎手だそうで、だから『武闘はできないが筋力だけならそこら辺の騎士には負けないぞ』と誇らしげに言っている。騎手だから怪我も厳禁で、そのために襲撃されたときに逃げることしかできなかったらしい。


 まあ、最初の印象よりは、情けないひとではないみたいだ。あと、性格もそれほど悪くないかな。


「たまにはいいではないか」と公爵。

「週に一度は彼女を連れ出しているじゃないか」とジェズが怒る。「ルフィナは俺のサポートの仕事をしているんだ。邪魔しないでくれ」

「ええ、ダニロ様。ジェズのお仕事を手伝えることを誇りに思っていますし、毎日楽しいのですよ」

「むぅ」

 公爵が可愛く拗ねる。


 正直に言えば。結婚生活は悪くない。というより、本当にとても楽しい。公爵も公爵家の使用人たちもみんないい人で、格下の伯爵家から嫁いできた私を歓迎してくれている。


 例の叔父だけは陰険そうでイヤな雰囲気だったけど、会ったのは結婚式の一度きりだ。

 ジェズとは友達のような関係になった。仕事を手伝っているのは護衛するためだけど、それを抜きにしてもやりがいがある。


 予想外に毎日が快適すぎる……。


 ◇◇


 厩舎に向かう馬車の中。二人きりの車内で、なぜかジェズは不機嫌そうに窓の外を見ている。一言も喋っていない。昨晩は遅くまで友人たちと集まりがあって、帰宅は私が眠ったあとだった。だから、疲れているのかも。


 そっとしておこう。

 そう思ってジェズと反対側の窓に顔を向ける。と、


「『結婚相手は父親より強い男』というのは嘘だったんだな」との声がした。

 ジェズを見ると、彼も私を見ていた。

「誰からそれを」

「義兄さん。きのうの集まりに来てたんだよ。だいぶ酔ってしまってな。教えてくれた。ルフィナは幼馴染に操を立てていたって」


 ロイのことを想う。

 悲しいことに脳裏に浮かぶ顔はおぼろげだ。


「知らなかったとはいえ、無理やり結婚をして悪かった」

 ジェズがなんとも言えない表情をしている。後悔なのか申し訳なさなのか。

「ええ……」と答えて言葉を探す。だけど、「もう、いいわ」それしか頭に浮かばなかった。


 私の結婚をみんなが喜んでいる。それに護衛効果かジェズへの襲撃も起きていない。


「結果的には良かったのよ。あと十ヵ月、頑張りましょう」

「あの日俺は駆け落ちするつもりだった」

「え……?」

「名前は言えないが、想いあっている令嬢がいた。が、向こうは婚約者持ち。いつか婚約が解消されないかと待っていたら、こんな歳になってしまった」


 ジェズの表情は見たことがないもので、私の知っている彼とは別人のようだった。


「ついにじいさまが結婚を迫ってきて。適当な令嬢と結婚をするか、彼女と駆け落ちをするか、一ヶ月悩んだ。どうしても騎手を辞めたくなかったし、じいさまを悲しませたくもなかった」

 ジェズは息を吐くと、片手で目を覆った。


「ようやく決心して、あのガゼボで待ち合わせようと俺が手紙を送ったんだ。だが彼女は来なかった。当然だな。肝心のときに俺は一月も迷っていたんだから。あげくに襲撃までされて」

「だから従者の目を盗んで、ひとりであんなところにいたのね」

「そう。駆け落ちしないのなら、二日で伴侶をみつけなければいけない。そこに丁度ルフィナがいた。俺は卑怯な選択をしたわけだ。すまない」


 ジェズの声は弱々しかった。

 彼は出会ったばかりの私を強制的に結婚相手にしたし、態度はふてぶてしい。だけれど対外的には、品行方正な好青年だ。私の家族や友人たちは、すっかり騙されている。どうして猫をかぶっているのだろうと最初のうちは不思議だったけれど、今ではわかる。大好きな祖父と両親の顔を立てているのだ。

 ジェズの本質は優しく繊細だ。


「そのご令嬢は最良の選択をしたのよ。誰も傷つかず、悲しまず、不幸になっていない」

 駆け落ちをしても、きっとジェズは幸せになれなかった。祖父を想って後悔したはずだ。


「私はロイとの約束を破ってしまったけれど、家族も友人も結婚を心底喜んでいる。あなたのおじいさまもよ。当人以外はみんな幸せ。だから、これで良かったのよ」


 ジェズが目を覆っていた手を離した。まっすぐに私を見ている。


「私は幸せとまでは言えないけれど、今の生活を気に入っているわ。騎手のサポート業も楽しいし、結果オーライよ」


「……そうか?」尋ねる声が、まだ弱々しい。

「そうよ!」力強く答えてあげる。「だから謝らなくていいわよ」

「そうか」


 ジェズは弱々しく微笑んだ。

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