60層 シン・ボス アイスファイアマンモス戦

「これは……厄介ですね……」


 トニョは舌で唇を舐めると同時に額から垂れた流血を拭き取る。額の傷の治癒には時間を要する。得手不得手にかかわらず、この未知の傷には彼も悩まされる。

 箒の上に立ち、ダンジョンの天井ぎりぎりまで上昇する。気を抜くと頭や肩につららが突き刺さりそうになる。はあ、と吐く息が白く、どこまで伸びていく。緑豊かな春のようなのどかな50層とは一転、風が吹けばたちまち視界が白く染め上がる銀世界の60階層を鳥瞰する。

 一人の男が声を張り上げて叫ぶ。


「くそがああああの黒騎士! またガセ情報掴ませやがって!!!」


 盾を構えるロビンだった。その後ろにはトニョと同じ傷を負った黒衣の魔法使い。傷の深さはトニョの比ではなく、治癒魔法の専門家に治療を施されても立ち上がれないでいる。


「……みっともなく吠えないでくださいよ……」


 高度な認識障害魔法で姿を隠しているため敵に補足される配はないが……悠長にもしていられない。地面に足立つ彼らは今、逃げ場のないに囲まれている。

 吹雪いても、弱まらずに吹き上がる炎。

 これを生み出したのはトニョでもマチルドでもない。

 60階層のボスだった。


「60階層のボスはアイスマンモス……知っていたはずなんだ……これは僕の失態だ……知っていたはずなのに……! エキドナは一瞬の油断も許されないダンジョンだと……!」


 強敵はフロアの中心に鎮座している。通常の象の倍ある体格につららのように尖った牙。呼吸するたびに鼻先から握りこぶし大の雹が噴き出る。

 万物の源マナをも凍てつかせる凍厳郷とうげんきょうでもこのような巨体はいない。その巨体を支える槌のような足は永久凍土を踏み砕き、また踏み固めるに足る。

 しかしそれは右半身の話。もう片方の左半身はまるでその真逆。

 ちょうどその左半身にめがけて成人男性の背丈ほどの巨大なつららが落ちる。しかしその鋭利な先端が皮膚を突き刺すことも分厚い毛皮に水一滴が届くこともない。

 厳冬の60階層、唯一の熱源ホットスポット。マンモスの左半身は火炎を身に纏っていた。


「……どう対処したらいい」


 トニョは眉間にシワを寄せると未だに治らない凍傷と火傷がじわりと痛む。

 60階層は環境、敵もこれまで以上に過酷で初見殺し。

 マンモスは非常に狡猾だった。一行はまんまと先手を取られた。

 吹雪に見舞われた一行ははぐれぬように固まって動いているところに山のようなマンモスが体当たりで襲い掛かってくる。これを魔法で迎撃するもそれはまさかの氷像。

 本体は足元にいた。勢いよく立ち上がることで一行は避ける間もなく宙に舞う。空中で身動きが取れなくなったところに巨大なアイスボールを発射。

 トニョがすぐさま炎攻撃で対処するもここで想定外の出来事。溶けたアイスボールの中からファイアーボールが現れた。

 マチルドが水魔法を放ち迎撃したがそれも罠だった。

 さらにファイアーボールの中からまたもやアイスボール。水を浴びたことで巨大化する。

 最終的にトニョがファイアーアローで迎撃したがアイスボールは爆発四散。水蒸気爆発が起き、熱と一緒に氷の塊に襲われたのだった。


「まるでスフレオムレツの中に目玉焼きが入ってるようなめちゃくちゃな魔法だ……」


 氷を炎で閉じ込め、さらに氷を閉じ込める。トニョもやろうと思えばできなくはないが、形を維持するためには膨大な魔力を要する。それにしたところで意味がない。無駄に魔力を浪費するだけだ。


「それではひとまず……ウォーターアロー! セプテット!」


 水の矢をマンモスに降り注ぐ。特に半身、それもに。

 マンモスは天井から落下するつららと同様に脅威と捉えずに避けようともしなかった。

 受けても表情一つ変えなかった。水が氷を突き抜けられるはずがない。


「もう一度やっておきましょう。ウォーターアロー!」


 トニョも笑顔を崩さないままに水の矢を氷の半身に当てる。

 ダメージは入らないものの、耳元で蚊が飛ぶような鬱陶しさ。マンモスは迎撃しようと身体を動かそうとするも地面に引きずられる。


「マンモ?」


 ようやくトニョの意図に気付く。氷の半身との地面の間は大きな氷柱が出来上がっており、地面との境が曖昧になっていた。


「氷には氷を……ここに年代物のつららがありますね」


 マンモスのちょうど頭上に大きく育ったつららが垂れていた。


「ウォーター! アイス! ファイアー! エアー! グラビティ!」


 天然物のつららをより巨大、より先鋭なに加工し、重力で加速させて落とす。


「マモー!!」


 身動きの取れないマンモスに質量兵器は直撃する。

 辺り一面に白煙が舞う。氷、雪、そして水蒸気。


「……やはりエキドナ。これで落ちはしませんね」


 トニョは白煙の中に巨大な魔力反応と熱を感じ取っていた。


「マンモー!!!」


 マンモスの絶叫と共に白煙は消し飛ぶ。

 白煙が舞う前とは姿が異なっていた。


「なるほど、全身を炎に纏うこともできると」


 メラメラと舞う炎の中でも体毛は激しく毳立っていた。足元の氷は解けると同時に蒸発する。

 今までの姿がアイスファイアマンモスならば今の姿はファイアマンモス。


「マモ! マモ! マモ! マモ!」


 全身が炎を纏うと性格も変わり、気性が激しくなる。何度も足を地面に踏みつける。いつしか分厚い氷が解けて洞窟の地面に辿り着く。それでもなお足踏みは止まらない。


「マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ! マモ!」


 ぐらりぐらりと60層全体が揺らぎ始める。


「なんだ、揺れているだけじゃない……ほかにも異変が……」


 ぽたりぽたりと雨がトニョの頭の上に落ち始める。


「……雨? 違う、これは……!」

「マモー!!!」


 マンモスは飛び上がり、四本足で地面を踏む。クレーターができるほどの衝撃が60層全体に走る。

 その衝撃は地面、壁、そして天井へと伝わる。


「いけない!」


 トニョは急いで箒を走らせる。

 天井中のつららが落下を始める。彼の力量であればマナ濃度の高いダンジョンでも避けられる。

 彼が真に危ぶむのは地上に残った仲間たち。


「氷はセーフ! 氷はセーフ! 氷はセーフ!」


 ロビンは自分を言い聞かせて自慢の盾を上に向けてつららを弾く。


「雪を切ってるみたいでキリがねえ!」


 テオも素早く動き、巨大なつららを選んで剣で砕くも間に合わない。


「この寝坊助! いつまで寝てんの! 早く起きなさい!」


 ビクトリアは危機的状況下でも諦めずに治癒を続け、


「……」


 マチルドは気を失ったままだった。


「マモー!」


 四人の場所はマンモスに特定される。声や姿形は認識障害の範囲だが、その周辺の物体は別。空中で砕ける氷はマンモスからも良く見えた。


「マーモー!」


 マンモスの全身の炎が引いたかと思うと巨大な炎の壁が噴き上がる。

 ファイアーウォール。本来の用途は防御魔法だが炎は炎。発動したまま動かせば生身の人など容易く焼き殺せる。

 炎の壁は城壁のように長く高く、走ってもジャンプしても逃げられない。


「皆さんご無事ですか!?」


 トニョが箒で四人の元に駆け付ける。


「おい、トニョ! その箒に全員は乗るのか!?」


 ロビンが必死の形相で詰め寄るもトニョは首を振る。


「乗れなくはないですが……ダメです。頭上からは今もつららが降り注いでいる。僕一人でなら避けられますが全員となると保証はできません」

「じゃあ炎の壁はどうにかできねえのか!?」

「正直これほどの大きさの炎の壁は初めてです。完全な消失は不可能です。詠唱が必要です。ですがそんな時間はありませんけどね」


 59層に撤退も不可能。出入り口は炎の壁の向こうにある。


「なあ、炎の壁は魔法なんだよな? だったらよ……」


 テオが提案しかけるも、


「ダメに決まってるでしょう!!」


 ビクトリアがすぐさまに否定する。


「まだ何も言ってない……」

「どうせテオクラッシャー使うつもりでしょ!」

「でもそれが一番手っ取り早いし……」

「使わなくてもいいの! そうでしょう!? トニョ!」

「あはは、ここで僕に丸投げですか……まあ僕も彼女の意見に同意です。彼のあの技には頼るべきではありません」

「じゃあどうするってんだよ!」


 トニョは眼鏡の位置を直した後に、


「一か八かですができなくはありません」


 魔法を詠唱する。


「ウォーターウォール。セプテット」


 七重の水の壁を作り上げる。幅や厚みがないがその分頑丈である。


「この中に避難してください。炎の壁をこれでやり過ごしましょう。下手したら一分間以上はいることになるかもしれませんが」

「……やるしかないわね」


 ビクトリアの決心は早く身支度を始めた。布巾を濡らして気を失ったマチルドの顔に巻く。口の中への水の侵入を防ぐためだ。


「……俺、正直あんまり泳ぎに自信ない……」


 テオは弱弱しく手を上げる。


「素直に苦手なことを自己申告出来てえらいですね。顔に水はつけられますか? 目と口を塞いでいたら後は僕が手を引いてあげますよ」

「うん、頼む」


 テオもおっかなびっくりながらも覚悟を決める。

 誰もが一か八かの賭けに覚悟を決める中、


「おい、どうしても水に潜らなくちゃいけないのか……」


 ロビンだけは乗り気ではなかった。


「もしや……いい年して泳げないのですか?」


 ニヤニヤと笑うトニョ。


「違うわい! 盾の心配だよ、盾!」

「心配してる暇があったら皮や衣類でぐるぐる巻きにしたらどうです? 丸焼きになりたいのなら止めませんが」

「わかってるつーの! わかってるけど心配なんだよ! わかれよ!」


 水という唯一の弱点は意外にも不便。ロビンは必要以上に布でぐるぐる巻きにする。

 呼吸するだけで喉がやられそうになるほどに炎の壁は迫っていた。


「皆さん準備はいいですか?」


 トニョはテオの手を引き、動けないマチルドをロビンが肩で担ぐ。


「気を失ってるからって変なところ触るんじゃないわよ。後で言うからね」

「こんな緊急事態にしねえよ! ところでビクトリアは大丈夫なのか?」

「は? なにが?」

「俺で良ければ手を引くぜ」

「子ども扱いしないで。私はテオと違ってお姉さんなんだから。ちょっとくらい泳げるわよ」

「そうかい。無理するなよ」


 そう言うとまずは水の壁の中にロビンが入っていく。どんな時でもタンク。炎の壁を潜り抜けた後も考えて前線に立つ。盾が心配なだけで水泳は幼少期から生きていくうえで必須な技術として叩き込まれている。


「それではレディ。お次はあなたです」

「テオのこと、よろしくね」

「はい、任されました」


 次にビクトリアが水の壁に潜り込む。


「喉が痛いでしょうが入る前になるべく息を吸ってください。水の壁を張ってる間はエアなどで手助けはできません」

「うん、わかった!」


 テオは大きく息を吸ってから水の中へと飛び込んだ。


 炎と水が触れると激しい破裂音が鳴る。水面が激しく泡立つが水温は急激に上がることもなく水の壁としての形を保っていた。膜を石で破るようなもの。結果は見えていた。

 トニョをいまいち信用していなかったロビンは前かがみで進んでいたが安定していることを確認すると恐る恐る頭を上げて歩く。

 水の中は重く、思うように進まなかった。流れがないはずなのに歩くと反発されるようでまるでゼリーの中を歩くような感覚。


(炎に耐えられる強度を保つためとはいえ調整をミスしたようですね……! 計算よりも息を止める時間が長くなる……!)


 再調整するならば一度魔法を解除しなくてはいけない。無論そんな暇はない。

 青年のロビンやレベルが上がったテオであれば問題なく進めるのだが……。


「んんん! んんん!」


 ビクトリアはそうはいかなかった。途中までは良かったが半分を過ぎたところで押し戻されるようになってしまった。60層に入る前にバフをかけていたが運が悪く水中で効果が切れてしまったのだった。


(悪いですがレディ。あなたを助けるのは後回しだ)


 トニョはすぐには助けに行かず先を急いだ。最悪のケースを考慮しての即断だった。

 補助魔法を失うよりも最大の攻撃火力、つまりテオを失うほうが生存率は下がってしまう。最悪ビクトリアを失っても回復と補助はトニョでも賄えるからだ。


「っ!?」


 水中では目を開けられないテオは、さらに瞼に力がこもる。急に手を強く握られたためだ。

 

 先頭のロビンは一足先に水中を脱する。


「ぷはっ!? マンモスの野郎は!?」


 盾越しに見る周囲は未だに雪原。炎の壁は積雪の表面を溶かしたに過ぎない。濡れた身体を拭けないまま、戦闘は続行する。


「いた! 氷山の上か!」


 小高い雪の丘の頂にマンモスは座り込んでいた。魔法攻撃では威力が半減する遠く離れた位置。ほとんど平坦だった雪原が炎の壁の熱で高低差が生まれ、間には急な斜面になり登るには難しい。

 炎の壁を出しているためか、体面はただの毛むくじゃらになっている。

 危機を脱したロビンたちを見ても慌てる様子はなく、あくびまでしてのんびりとしている。


「あんにゃろう、ちょっと地の利があるからって余裕な顔しやがって」


 寒さでガタガタ震えながら盾を構える。背中には弓がありロビンの腕前なら届く距離であり攻撃する絶好の機会であるが今は防御に専念する。


「マンモー……」


 マンモスはおもむろに立ち上がり、


「マンモー!」


 雄叫びと共に後ろの二本足で立ち上がった後に前の二本足で雪を叩きつける。


「またつらら攻撃か!?」


 天井の上にはもうつららは残っていない。炎の壁で溶かしてしまったからだ。


「じゃあ一体……っておいおいおい!? まさか!?」


 マンモスが放ったのは魔法ではない。雪の足場を崩し敵に流れ込ませる地の利を生かした攻撃、雪崩なだれだった。

 ちょうど雪崩が発生した頃に、


「ぷはー! こんなに呼吸止められたの初めて!」

「お疲れ様です」


 トニョとテオが水中から顔を出す。


「トニョ! やべえぞ! マンモスの野郎、雪崩をぶち込んでくるぞ!」


 ロビンは呼びかけるとトニョの表情が険しくなる。


「まだ水の壁の中にビクトリアがいます。解除はできません」


 炎の壁は依然そびえたったまま。今から引き返しても水の壁ごと雪崩に飲み込まれてしまう。


「じゃあどうする!?」

「賭けの上にまた賭け……やるしかありません。テオ君を頼みます」


 トニョはテオをロビンに預けると水の壁へと戻ってしまう。


「お、おい! くっそう!」


 言いたいことは山ほどあるが、今は生き残るために最善を尽くす。


「テオ! 今すぐしゃがみ込め!」

「わかった!」

 

 テオは師匠の言うことなら疑わずにすぐに実行する。


「そんで鼻や口に雪が入らないように両手で顔を覆え! そんで口の前に空気を確保できるように空間を確保しろ!」

「よくわかんないけどやってみる!」


 テオはすぐさまその場で言われたように丸まる。


「ちょいと重くなるが我慢しろよ!」


 ロビンはその上にマチルドを被せた。

 するとテオが叫ぶ。


「師匠!」

「なんだ!?」

「セ、背中に、すごい柔らかい感触がー!」

「このラッキースケベめ! いい思いしやがって!」


 ロビンはさらにマチルドの上に覆いかぶさる。背中に亀の甲羅のように盾を置く。


「頼むぜ、ターテント! 仲間を、守ってくれ!」


 まもなくして雪崩は到達する。ロビンたちは水の壁共々、雪に飲み込まれた。

 轟音が過ぎ去った後に辺り一面は静寂な平らな雪原と化した。


 マンモスはこれでしまいにはしない。炎の壁を解除し炎に纏う。時間にして十分ほどテオたちが埋まった地点を中心にぐるぐると周回する。


「マモ! マモ! マモ!」


 息が止まり身体が冷え切ったと見て炎の足で雪を掘り始める。

 パーティの中に自分よりも強い脅威がいた。その者を自らの牙で心の臓を貫くまで油断はできない。

 雪は次第に融解し始め、水気が増していく。もう少しで底に達すると思われた時、


「マモ?!」


 マンモスは自分の足場が急に熱くなると同時に急激な魔力反応を感知。

 逃げるのでは間に合わない。身体に熱い炎の鎧を纏い防御する。


 分厚い氷層の下より舞い出でしはマグマ、否、鳥の形を成した炎。


「マモー!!」


 マンモスは身体を転がしながら鳥の中から脱出する。自ら放つ炎以上の熱に焼かれ、体毛は焦げ、むき出しになった皮膚は火傷を負ってただれていた。



 羽が生えた炎は籠の中も空のように羽ばたいて回り雪を溶かし雪原を消し去ると火の粉となって消えた。

 溶けた氷の底から炎の鳥の魔法の主は顔を出す。


「おや、なんと運が良い……いや勘がいいのですね。あの一瞬で氷ではなく炎で身を固めるとは弟弟子にも見習ってほしいセンスです」


 トニョはトレードマークである眼鏡を傾かせながらも笑顔を見せる。


「おー! また雪上だ!」

「やれやれ、また死にかけた……これで何度目だ、死にかけるの。癖になったらどうするんだ」


 テオとロビンもマチルドを背負って氷の穴から這い出る。

 そして最後に、


「そうやってぼやけるのも私のおかげってことを忘れないように」


 ビクトリアがロビンに手を引かれて穴から脱出する。


「一瞬たりとも忘れるもんですかって。ビクトリアさんは俺らの勝利の女神ですよ」

「ふん、次はせいぜい死にかけないことね」


 褒められたビクトリアはまんざらでもなさそうに


「おかげで助かりました、レディ。あなたは九死に一生を得る幸運を引き寄せるようだ」

「幸運? 馬鹿言わないの、これは実力よ。今まで忌まわしい封印のせいで本領が発揮できなかったほうがおかしいのよ。どこかの頭のおかしい魔法使いのジジイのせいで」


 水の壁に戻ったトニョの賭け、それはビクトリアにかけられていた封印を解くことだった。

 これが全員を助かる唯一の道だと信じ、そして賭けに勝った。


「レディが防御魔法に長けていて助かりました。ほんと一時はどうなるかと思いました」


 水の壁を解除してはビクトリアを救えない、水の壁を解除しなくてはテオたちを救えない。

 このジレンマを解決するにはビクトリアに強力な防御魔法を発動してもらい自分を含めて全員を守ってもらえばいい。


「まあ白々しい。どうせ知ってて封印を解いたのでしょう」

「……まあそれについては後ほど詳しくお話ししましょう。嘘や隠し事は苦手なのでようやく肩の荷が下ろせます」

「嘘や隠し事、陰謀が得意そうな笑顔してよく言うわ」

「陰謀だなんて……物騒なマネできませんよ」


 そう言いながらも底が見えない笑みを見せる。


「マモーー!!!」


 マンモスは雄叫びを上げると左半身が氷、右半身が炎のアイスファイアマンモスに切り替わる。


「さてここからが本番ですよ。レディ、準備はよろしいですか」

「誰に向かって物言ってるの? 私はあなたが生まれる前から魔法使いやってるんだけど」


 二人はマンモスをまっすぐに見据える。


「マンモーーー!!!」


 マンモスは鼻先に冷気を集め巨大なアイスボールを形成し始める。


「げえ!? あの技は!!」


 すでに見るのも嫌になった攻撃。初見殺しの必殺技。

 雪原が消えた今、走って回避できなくもないがマチルドは気を失ったままでは俊敏な動きはできない。


「僕が撃ち落とし……くっ」


 トニョが前に立とうとするが突然膝を崩してしまう。そして地面に這いつくばる手を見て、ようやく自分の身に何が起きているか把握する。


「これしきで戦意が喪失するような僕では……」


 不屈の闘志でなおも立とうとするが身体がついてこない。


「マモー!!」


 アイスボールは充分な大きさに達し発射する。

 

「ちくしょうがよ!」


 ロビンが布を剥いで盾を構え、トニョの前に立つ。


「なぜ……僕はあなたに冷たい態度を取ってたというのに……」

「本当だよ!! 俺だって命を張るなら美人のお姉さんにしてえよ!」


 悪態をつきながらも防げるかわからない氷の球を睨む。


「はいはい、熱くなってるところ悪いけど邪魔するわよ。防御魔法、マジックミラー」


 ビクトリアが唱えると白い光の四角の壁が現れる。

 アイスボールが衝突するとギリギリと削れる轟音。アイスボールに加わっていた回転がぴたりと止む。


「……マチルドの借り、きっちりと返させてもらうから」


 アイスボールは元来た軌道をそっくりとなぞり、マンモスの元へ。


「マモ!?」


 初めて見る魔法に一瞬怯む。それが仇となる。

 巨大なアイスボールがマンモスの眉間に直撃する。衝突の瞬間に氷と中に潜んでいた炎が爆散する。


「マモー!!」


 氷と炎のダメージを同時に受けたことで身体を覆う氷と炎が消える。


鑑定スーチカ!」


 マンモスの残りHPを確かめる。


「まだまだ7割ってところね……ちょうどいいわ。30年積もりに積もった怒り、あんたにぶつけさせてもらうから!」


 マチルドは意気揚々と呼吸を荒らげながら魔法を唱える。


「食らいなさい、セラフィックライト!」


 セラフィックライト。ありとあらゆる物質、そして闇にも影響を与える光属性の高位攻撃魔法なのだが、


「あ、あれ……?」


 何も起こらない。杖はうんともすんとも言わない。


「もういっちょ! セラフィックライト!」


 しかし何も起こらない。


「も、もしかして、久しぶりだから詠唱が必要? えーっとえーと詠唱なんだっけ」


 まさかの事態にてんぱってしまうビクトリア。さっきまでの格好良さが台無しに。


「あのレディ。気分がいいところ申し訳ありませんが言わなければいけないことが一つ」

「何よ! 手短にね!」

「封印は全部解けたわけではありません。せいぜい半分といったところです。防御魔法は完璧に出せるとなると」

「はあ? それってつまり……」

「ご想像の通りだと思います。はい、攻撃魔法は未だに封じられたままかと」

「もーーーーーーー!!! あのクソじじい!! しち面倒な封印かけやがって!!! 今度会ったら杖でボコボコに殴ってやる!!!」


 ビクトリアが感情任せに地団駄を踏んでいるうちに、


「マモー!!」


 マンモスは再び氷と炎を纏う。


「今の攻撃の隙だったんじゃないか? もったいなー」


 テオがなんとなしにぼやく。

 あまりに正論だったためにいつもは怒るビクトリアが、


「……っ~」


 悔しそうに杖を握りしめる。


「隙なんていくらでも作るわよ! どうせまたアイスボールなんでしょう! いくらでも跳ね返してやるわよ!」


 そう意気込むもマンモスはまるで違う攻撃を見せた。


「マモ~~~~!」


 魔法のような小細工一切無視の体当たり。鋭利な牙をちらつかせながら突進してくる。


「ははっ、野郎! 魔法が効かないからって破れかぶれで体当たりしてきたぞ! やってやれ、ビクトリア!」


 ロビンはビクトリアの後ろでいい気になるものの、肝心の彼女の表情は浮かない。


「そうね、あれをやるしかないわね……」


 ビクトリアはこの状況を乗り越えるためにある魔法を唱えた。


「クイック!」


 それは素早さに特化した補助魔法。自分を含め全員にバフをかける。


「あのビクトリアさん、クイックをかけたってことはつまり……」


 ロビンの問いかけにビクトリアは答える。


「各自バラバラに逃げなさい! 私は一足先に逃げる!」


 純粋な暴力に太刀打ちできる防御魔法は持ち合わせていない。先ほど発動したマジックミラーは魔法の反射に特化した防御魔法であり、ただの体当たりには効果はない。


「そりゃないぜ、ビクトリアさん!!」


 ビクトリアは本当に一足先に仲間を置いて逃げ出した。彼女は現状パーティの中で唯一の回復役。失えば一気にパーティは瓦解する。


「おい、ビクトリア! 待て!」

「悪く思わないでよ! これもみんなで生き残るためなんだから!」


 ロビンの呼びかけを振り払って逃げに徹するビクトリアであったが、


「違う! マンモスが、そっちに向かって行ってるぞ!」

「大丈夫、致命傷を負ってもすぐに私がって──はあああああああ!?」


 ロビンの言う通り、マンモスはコースを変えてビクトリアを追いかけていた。


「……現状マンモスにとっての最大の脅威はレディ、あなたですよ。回復役でありダウンも取ってくる敵。それが孤立したら狙いに行くのは至って普通の考えです。初歩的なことですよ」

「うっさい! マウント眼鏡! あんたが不甲斐ないからこんな目にあってるんでしょう!」

「返す言葉もございません」


 トニョは申し訳なさそうに微笑む。


「しゃあねえな! 俺が行くまで待ってろよ、ビクトリア!」


 テオが剣を構えて走り出す。


「マモ~!!」


 クイックで加速してもマンモスの全力疾走からは逃げきれない。


「もう誰でもいいから助けて! 追いつかれるー!」


 ビクトリアは藁にも縋る思いでテオの助けを求めるが、


「うわ~!?」


 テオは氷に足を滑らせて転んでしまう。


「えへへ、転んじゃった」


 尻もちをつきながら舌を出す。


「えへへじゃないわよ!!!!!!!! 氷に足を滑らすとか緊張感なさすぎ!!!!」


 ビクトリアはぶちぎれる。


「おい怒鳴ってないで! ちゃんと足元見ろ!」


 ロビンの言葉もむなしく、


「うげ!?」


 ビクトリアも足を滑らせて後頭部を強打する。


「マモ~~!」


 ここぞとばかりに踏みつぶさんとマンモスは加速する。


「くそ、一か八か……」


 ビクトリアは視界が明滅しながらもしっかりと杖先をマンモスに向けて集中する。マナの流れをしかと肌で感じ取る。


「今度こそ……セラフィックライト!」


 しかし何も起こらない。彼女が攻撃魔法を放つためには条件をクリアしないといけない。それは命の危機でも変わらない。


「あ、あの、じじい……化けて出てやる……!」

「マモ~!!」


 彼女の過去、事情などマンモスには関係ない。


「ビクトリアー!」


 テオが全力で走るも間に合わない。幼馴染の彼でも彼女の窮地は救えない。


「ウォーターアロー! アイスアロー!」


 その時、彼のすぐ横を水の矢と氷の矢が飛んでいく。

 二本の矢はマンモスには当たらなかった。マンモスとビクトリアの間の地面に順番に着弾する。

 次の瞬間には大きな氷面が完成する。


「マモ~!?」


 その氷を踏んだ瞬間、マンモスの巨体は宙を舞う。彼もまた足を滑らせたのだ。


「伏せなさい、ビクトリア!」

「……っ!」


 ビクトリアは頭を伏せる。マンモスの巨体は背中を掠めて転がる。


「ふん、いい気味ね。あたしのビクトリアちゃんに手を出そうなんて百年早いのよ」


 ビクトリアの窮地を救ったのは、


「……お寝坊さん。ようやくお目覚めね。そんなにロビンの背中の寝心地が良かったの?」

「まさか。寝違えて最悪よ。二度とごめんだわ」


 首と肩を回しながら軽口をたたくのはマチルドだった。


「この流れでどうして俺がディスられなきゃならないんですかね……トニョさんよ、ひどいと思いません?」


 同情を誘うロビンであったが、


「さぁ? タンクなんですからこれくらいで泣き言を言わないでください」

「ほんとお前可愛くないな!?」


 トニョも気さくに会話する。


「マ、モ~……」


 マンモスは立ち上がると全身を氷で固める。


「あーら? 弱点をさらしちゃうの? ファイアアロー! ファイアアロー! ファイアアロー!」


 マチルドは今までの仕返しとばかりに炎魔法を打ち込む。

 マンモスは避ける様子もなく受け止める。


「……どういうこと? ダメージは入ってるのに避けようとしない……?」


 急激な魔力反応を感じ取る。背筋も凍るような、いや実際に背筋や身体の末端を冷やす冷気が60階層に満ちる。


「させるかあああああ!」


 なおも打ち込み続けるが決定力に欠けた。

 マンモスが先に仕掛ける。


「マーモー!!!」


 全身の冷気を放出する。マンモスを中心としたブリザードが巻き起こる。


「マジックミラー!」


 全員を庇うように防御魔法を展開するもブリザードの範囲はあまりにも広い。


「ふせ、ぎ、切れない……!」


 視界を白くするブリザードは一分ほど続いた。逆に一分が過ぎれば吹雪は嘘のように消えた。

 結果を先に言うとテオ一行、全員がひとまずは無事だった。

 しかし危機的状況に変わりはない。


「う、うごけない……!」

「これは一体……!?」


 全員が腰から下が白く染まっていた。その正体は氷。


「こいつ、びくともしねえぞ……!」

「まるでアイスモンスターですね……レディが防御魔法を展開しなければ全身やられていたかもしれない」


 男性の力でも氷を破壊することができない。

 ただ一人を除いて。


「ふん! ふん! お、なんとかなりそうだ!」


 テオは身体をよじると分厚い氷の塊が砕け落ちる。


「マ、モー……!」


 マンモスは未だに氷を纏っていた。そして再びブリザードを放とうとしていた。この状態でブリザードを食らえば最悪の場合は顔まで氷が覆い、呼吸が難しくなる。そうでなくても氷に身を包まれていれば体温を奪われていく。


「うおお! 急いでみんなを助けなくちゃ! まずは師匠だな!」


 テオは一番近かったロビンの元へ行き、剣で氷を削り取ろうとするが、


「テオ!! 俺はあとでいい!!」


 ロビンは彼の肩に手を置いて説得する。


「今がチャンスだ! マンモスを倒せるのはお前しかいない!」

「で、でも、マンモスの体力? はまだ半分残ってるぞ? ただの攻撃で倒せるか……」

「何言ってる! お前にはとっておきがあるだろうがよ!」

「おお! あれを使う時だな!」


 テオは得意げな顔して走っていく。

 テオクラッシャーで敵を葬るために。

 ただでさえ低レベルでも強力だったかの必殺技がレベルが上がったことでどれだけ強化されたか、本人すら計り知れない。

 テオクラッシャーは強力であり有効な手段だ。使わない手はないのだがトニョは違った。


「やめなさい!! あなたがその技を使う必要はない! 僕が、ファイアバードでみんなの氷を溶かせばいい! 戻ってきなさい!」


 ビクトリアも同調する。


「そうよ! 馬鹿テオ! あんたが出る幕はないわ! 今度こそ私のマジックミラーで跳ね返してみせる! だからあんたはすっこんでなさい!!」


 テオは聞く耳を持たなかった。彼自身、自分の力がどれだけ高まっているか興味津々だったからだ。


「ファイアアロー」


 しかし彼も聞きざるを得なかった。

 彼の足元で爆ぜる炎の矢。足を止める。

 放ったのは、


「……マチルド? どうして今、俺に向かって」

「ごめんなさい、テオ。あなたに攻撃する意思はなかったの」


 炎の矢を放ち、テオの足を止めたのはマチルドだった。彼女自身、背景や事情はまるでわかっていない。しかしビクトリアとトニョの必死な説得を聞いて、止めなくてはいけないという結論に至った。


「あの魔法使い二人が必死で止めてるのよ、絶対にただ事じゃないわ……だからテオ。ひとまず剣を置いて」

「なにやってる、テオ! 今もこうしている間にマンモスは力を溜めてるんだぞ!」


 彼を後押しするのはロビンだった。


「お前がやらなきゃみんなやられる! やれ、やるんだ、テオ!」

「あんた! 何も知らないくせにしゃしゃり出てくるんじゃないわよ!」

「愚かなことを……」


 意見は二分する。


「テオ……お願い……よく考えて……」


 マチルドは懇願する。


「マチルド……」


 テオは足を止めて一度考えた。

 そして、


「……ごめん。俺は、みんなを助けたい」


 彼は剣を握った。


「テオ!」


 ついにマチルドの声も彼には届かなくなった。


「マアアアアアモオオオ!!!!」


 マンモスは命を燃やして冷気を作り出す。死なばもろともの精神。


「……俺は勇者だ。みんなを助けるためにここに立っているんだ」


 テオは力を溜める。


「テオ……」


 紅いオーラが身体を包み込む。


「マアアアアアモオオオオ!!!」


 先に仕掛けたのはマンモスだった。一度目より冷気も範囲も上回るブリザードを放つ。

 しかしテオは強かった。強くなっていた。

 レベルが上がったために、チャージ時間が短縮され、すぐさま必殺技を放った。


「……クラッシャアアアアア!!!!」


 マンモスが放った一撃が上から襲い掛かる雪崩とするなら、テオの一撃は下から湧き上がる津波のようだった。

 テオクラッシャーは以前の何倍にも範囲、威力、そして凶悪度が増していた。


「──」


 マンモスは余韻も残さずに消滅した。

 テオの強力過ぎる一撃はマンモスだけでなく60階層の半分をも破壊した。

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