黒幕と決戦と裏切りと

 吹き飛ばされながらもリチャードはマジックマントに手を突っ込み、中からマンドラゴラ万能薬を取り出して瓶を握り割って浴びる。皮膚の火傷だけでなく同時に魔力も回復する。


「ふん!」


 回復した魔力を鎧に注ぎ込み修復に入る。

 

「ぐぅっ!!?」


 皮膚から鎧の破片が突き出てくる痛みに熟練の戦士は呻き声を上げる。

 砕けた鎧の一部の破片はリチャードの身体に深々と突き刺さっていた。自動修復は一定の大きさと形を保っていればそのまま再利用される。その法則は体内に残った破片にも適用される。

 怪我を負いながら怪我を防ぐ鎧を修復する。矛盾にも思える交換だったが鎧は高速で元の形に戻る。

 血を流してまでも防具の修復を急ぐ理由、それは一つしかない。


「……なんだ、今の魔法は」


 ただの炎魔法ではない。詠唱もなければ魔力の動きも直前でしか感知できなかった。魔法の祖である妖精ですら魔力の動きは隠せない。

 わからないことだらけでも一つだけわかることがあった。それは魔法の主。すなわち敵だった。


「ほう、朕の魔法を食らって生き延びるとは」


 不意打ちしたにも関わらず姿を見せた。正面から堂々と、なんなら拍手も加えて。


「あの一瞬で自らにバフをかけたな? さすがはダンジョンの主なだけはある。しかし朕の敵ではないな」


 敵は男だった。頭の上に耳が生え、尻にはインク瓶に浸けたように黒く、筆のように細い尻尾を垂らしている。


「朕……? ふざけた一人称だ、名前を名乗れ」

「この高貴なる朕を先に名乗らせるか」

「フン。挨拶もせずに不意打ちする男が礼儀を語るか」

「まあよかろう。今は朕が客人か。朕の名はノワール。貴様の言うところの66層の時空の歪みからお邪魔させていただいたよ。ここは良い場所だな。マナが豊富で……何より人間が少ないのが良いな」

「……やはり66層でこそこそ動いてたのはお前だったか」

「おっとつい朕ばかり話してしまったな。挨拶が遅れたな。尻尾をなくした下賤な者よ。貴様の名は?」

「……リチャードだ」


 ノワールの黒い尻尾が上下に揺れる。


「尻尾をなくした……つまり敵を前にしながら背を見せ、尻尾を巻いて逃げたのだろう? そのくせにリチャードか。ふふふ、名前が泣いているぞ」

「ふん、自分の力で戦わず他力本願の戦法を取るお前に言われたくはないな」

「聡いな、バレていたか……」


 壁が、地面が、ぐにゃりと歪む。次第に歪みは鶏の形になる。

 一見ただの鶏だったがリチャードはすぐさま鑑定を発動し正体を見破る。


「コカトリスか……!」


 コカトリスはただの鶏ではない。蛇よりも強い猛毒を吐く魔物。中には見たものを石化する能力に芽生える固体も。ひとまずは毒を吐くだけのコカトリスだがそれが十羽もいる。充分な脅威であり警戒を怠ってはならない。


「おや、エキドナにいないはずの魔物を知っているか。それどころかこの大陸にも生息していないはず。どこで得た、その知識」

「教えてほしければそれなりの礼儀を弁えたらどうだ、客人」

「ははは、ここのダンジョンの主はずいぶんとのんびり屋だな。だから尻尾も切り落とされたか? とっくに話し合いは奪い合いに変わっているのだぞ」


 今度はノワールの背後から地を引きずる音。


「ダアア……!」


 泥の大蛇ダーペントが低く唸る。近くにいるノワールではなくリチャードに敵意を見せていた。


調教師テイマーか……面倒だな」


 テイマーは魔物を使役し戦う。ここはダンジョン。使役する魔物が山ほどいる。状況的にノワールはドラゴンを使役するほどの領域に達している。


「調教師? 無礼者め、朕は王だ。動く物全ての生殺与奪の権利を握る王なり」

「やれやれ、そういうやつか……やはり面倒だな」

「面倒なものか。一瞬で終わる」


 ノワールは優雅に右手を上げる。


「そういう意味で言ってるんじゃないのだがね」


 リチャードは勇猛に剣の柄を握る。


「狩れ、下僕ども。生け捕りできれば魅力的だが強敵だ。二羽の兎は追わぬ主義ゆえ直ちに殺せ」


 手を下げて号令を出す。


「ダアアア!!」


 一番槍はダーペント。


「10層のボスなど取るに足らん! ウォーター!」


 リチャードは定石通りに弱点である水で攻める。


「朕の布陣に穴はない」


 地面がまたも歪み始める。現れたのは間欠泉。


「いや、スライムか!」


 これもまたただのスライムではない。池の水ほどの量の大きな水の塊ビッグウォータースライムだった。ダーペントの前で盾となり水を吸収する。


「くそ! まずはスライムを無効化するか! アイス!」


 手のひらに氷塊を構築させる。


「ふふん、本当にそれでいいのかな?」


 ダーペントはこうしている間も加速し続けている。その前にはスライムがいる。止まるなり迂回するかと思われた。


「スライム、道を開け」


 ノワールが合図をするとスライムはどてっぱらに穴を開き、輪の形になる。

 ダーペントは減速せずにスライムの輪っかをくぐり突進する。火の輪くぐりならぬ水の輪くぐり。


「なんだと!?」


 ダーペントに氷は通用しない。放っても泥の皮膚に弾かれてしまう。


(魔法を中断し回避するか……いや!)


 リチャードは氷魔法の構築を止めなかった。むしろ、


「アイス!」


 加速させる。


「物量で押し切るつもりか? 氷山が来ようとダーペントの前進は止められんぞ!」


 聞く耳持たずに巨大な氷塊を放つ。その直後に新たな魔法を唱えた。


「ファイア!」


 追いかけて炎魔法。

 二つの魔法は空中で重なり、後発の炎は氷を溶かし絶妙に水だけを残した。


「ダアアアア!?」


 ダーペントは顔から大量の温水を被り形が崩れる。


「今だ! リチャードブーメラン!」


 ブーメランと言いつつも大剣を投げる。大剣は回転しながら防御力が下がっていたダーペントの巨躯に当たると粉々に砕く。


「まずは一匹!」


 大剣はスライムにも向かっていく。


「見立ては正しければ当たる」


 大剣はスライムの身体をも貫通する。次の瞬間には破裂して洞窟内に雨を降らす。


「よし、核を貫いた! 二匹目」


 歴戦の戦士ともなればスライムの体内の流れを見て核の位置を当てられる。


「三匹目は……!」


 大剣はまっすぐとノワールへと向かっていく。


「虫けら、朕を守れ」


 今度はソードアントが現れた。大剣を弾こうとはせずに身を挺して忠義を尽くす義理のない主を守る。

 投擲された大剣はついに力尽き、ノワールの手前で突き刺さる。


「攻めあぐねたな、尻尾なし」


 リチャードをコカトリスが包囲していた。白目を剥き、今にも猛毒を吐きだそうとしていた。


「鎧をも溶かす猛毒だ! さらばだ、臆病な簒奪者! このエキドナは朕が頂戴する!」

「ふん、無礼なノワールめ……吾輩の手元に武器がないからといって勝てると思うなよ」


 リチャードはマジックマントに手を突っ込む。


「新たな武器を出すか!? 間に合うものか!」


 手を出すよりも先に毒は吐き出される。


「エア!」


 そう詠唱すると周囲につむじ風が舞う。

 毒は一瞬だけ動きが鈍る。しかし武器を抜くにはその一瞬で充分。


「双剣アントジョー!」


 双剣アントジョーはソードアントからごく稀にドロップするレア武器。装備をするだけで武器の加護で筋力と素早さが上がる。


「そーれぃ!」


 身体を一回転させると毒を払うだけでなくコカトリス十羽の首を刎ねる。


「もう貴様に駒は残っていないぞ、ノワール!」


 一気に距離を詰めるリチャード。彼は勝利を確信していた。厄介な炎魔法があったがスライムの雨が降り注いでいた。湿気があれば封じられると思っていた。


「勘違いするなよ、雑兵ぞうひょう。朕が真の王にして最強なのだ」


 ノワールは素早い剣戟をかいくぐり、後ろへ跳躍する。


「逃がすかっ」


 追撃するもまたも取るに足らない魔力感知。位置は足元。


「ははは、雨が降ってると油断したな! 死ねい!」


 得体の知れない炎魔法は雨が降っていても封じられずに発動する。

 

 ドオオオオン!!!


 光が瞬く間にも黒煙が広がる。

 煙と一緒にリチャードが装備していた鎧の破片が散らばる。


「ふははは! やった、やったぞ! これで朕は王に──いや、なんだ、この足音は!」


 ノワールは煙の中で気配を察知する。


「いいや油断したのはそっちだ!」


 リチャードは生きていた。五体満足で剣を握り駆けていた。


「馬鹿な! どうやって我が爆発魔法から生き延びた!?」


 リチャードが走るたびに身体にまとわりつくどろりとした液体が零れ落ちる。


「貴様!! 鎧の下にスライムの液体を忍ばせておいたか!」


 これもまたドロップアイテム。体内に取り入れてもHPもMPも回復はしないが火傷を冷やすときに役立つためにマントの中に常備していた。

 鎧とスライムの液体を組み合わせる一度限りの奇策。しかし完璧に爆発魔法は相殺できずにHPは3割まで削り取られていた。顔まで覆う兜は起爆点から離れていたために無事。背中のマントは見た目以上に頑丈で無事だった。


(いける! 距離を詰めれば奴もあの炎魔法は使えまい! 自身も炎に巻き込まれてしまうからな!)


 勝利は目前。なのにどうしてか、妙に胸騒ぎがした。ノワールの耳や尻尾を見るたびに頭の中にモヤがかかる。


(ええい! とにかく貴様を殺せば全て解決スッキリするのだ! 戦闘に集中しろ!)


 狙うは首。種族の縁を感じるも躊躇いなく落としにかかる。


「さらばだ、裸の王様! 一人で何もできぬお前に座れる王座はない!」


 またも地面の歪み。それもノワールの前に現れる。


「勘違いするなよ、尻尾なし。朕にはまだ駒が残っているぞ」


 笑うほどの謎の余裕を見せる。よっぽど次に現れる駒に自信を持っているようだった。


「何が来ようと関係ない! それごと貴様の首を落としてやる!」


 リチャードはそう断言した。

 しかし先に結果を述べると首は落とせなかった。

 それどころか駒にも傷一つ付けられなかった。

 直前で刃が止まった。


「どうした? 朕の首を落とすのではなかったか?」


 現れた駒、それも女性の後ろで王は嘲笑う。


「……どうして、どうして君がここにいるんだ」


 彼女は普段から感情の起伏に乏しいがこの時はより無感情でリチャードの刃に目を向けた。


「シロくん!」


 留守番を任せたはずのシロが今、目の前の敵の盾のように立ちはだかる。


「シロくん! そこをどけ! 訳は後で聞こう!」

「……」


 シロは返事をしなかった。じっと刃に目を向けていた。


「シロ……? 違うよな、君はそういう名前じゃない。なあ、ブラン」

「……はい、


 ブランと呼ばれた彼女はしっかりと返事をする。声も彼女そのもの。幻や偽物ではない。


「よおし、良い子だ。君だけは朕の足を引っ張らない忠実で最高の駒だ。ではその忠実さを目の前の男に見せてやれ。朕の首を狙う剣をどけてくれないか?」

「はい、我が主」


 躊躇わずに刃を素手で握る。手のひらから血が流れ、刃に伝う。


「なにをしているシロくん!」


 リチャードは慌てて剣を引っ込めて距離を取る。


「ははは! 可哀そうに怪我をしてしまったな! どれ、朕が舐めて直してやろう」


 ノワールは彼女の手を取るとベロベロと舌を這わせる。


「……」


 彼女は黙ってされるがままだった。


「貴様ああああ! 吾輩がいない間にシロくんを洗脳したか!?」

「あーははは! 驚いてる驚いてる! 惜しいな! 兜がなければ滑稽な顔も見られたのに!」

「答えろおお!! ノワール!!!! よくも吾輩の腹心に手を出したな!!! 万死に値するぞ!!」


 ノワールは耳をぴこぴこと動かす。


「うーん? 何か勘違いしてるな? そもそも君の物になった時間など一瞬もないのだ。彼女は密偵だったのだよ」

「……密偵だと」

「おかしいと思わなかったのか? 低レベルなのに女性一人がダンジョンでさまよっていたり、助けられた恩義といって部下になるなど……ああ、気づいてはいたが見て見ぬふりをしていたか」


 一人称に似合わぬ下品な哄笑。


「ひゃーははは! 仕方ないよなぁ!? 男一人穴倉に百年引きこもったところに若い近縁種の女が現れたのだ! そりゃあ後ろの尻尾も前の尻尾も振ってしまうようなあ!?」

「……」


 リチャードの剣の柄を握る力が強くなる。あまりの怪力に柄はぐにゃりと曲がってしまう。


「おっと後ろの尻尾はとうに失っていたか。しかし惜しかったな? 一年も一緒にいたというのに一度も手を出さなかったようじゃないか。もしや前の尻尾も失っていたか? なんてな! ひゃーはははは!!」


 全ては漏れていた。ありとあらゆる情報が、生活すらもノワールの元に渡っている。そして66層の時空の歪みは隠匿されていたのだ。


「しかし待たせよってからに。ようやく、ようやくだ。貴様が時空魔法を使う時をずっと待ちわびていた」


 ノワールのレベルは80。時空魔法で飛ぶ前のリチャードは98だったので逆立ちしても勝てないレベル差だった。


「弱体化する瞬間を指がなくなるまで齧ってずっと待っていたわけだ。君もたいがいのんびり屋じゃないか」

「いいや? 朕の命とて有限ぞ? 時間を無駄にするはずがないだろう」

「……まさか」

「お、もしや気付いたか。おおかた貴様の予想通りだろう。そう、ダンジョンの外で村を襲ったのは朕だ。しかし村一つ消えたところで国と言うものは動かん。だから噂も流した。エキドナの最奥には伝説の秘宝が眠っていると。国は怠慢ではあるが欲望には忠実だ。餌で吊ればあっさりと動き始めたぞ」

「……やはり愚かだな、人間は」

「気が合うな。ちょっとしたら大義を用意してやったらまんまと乗っかってきたからな。見え見えの欲望を包み隠せると思ってな。でもまあ朕とて意地悪ではない。餌は幻ではないのだろう? 貴様の所有する武器一つ一つが地上では国を動かすに値する伝説級なのだからな」


 魔力を込めれば自動で修復する鎧、命以外ならなんでも仕舞い込めるマジックマント、どんな怪力で扱っても壊れない大剣。世界は広くとも地上では手に入らないレアアイテムばかり。


「ふん、意地悪に変わりはないだろう。マナの薄い地上に出れば何の変哲もないガラクタに変わると知って噂を流したな」

「……さて、時間稼ぎはもう充分か? 地上のことなぞどうでもいいくせして、よく喋るじゃないか」


 そう、リチャードは地上については一部を除きどうでもいいこと。優先すべきは変わらず目の前にいる腹心のみ。


「なんだ今さら気付いたのか? 騙されたふりして自尊心を保つつもりか?」

「いいや。何も知らないまま死ぬのもかわいそうと思ってな、哀れみだよ。かわいそうにな、かわいそうにな……ずっと朕の手のひらの上で踊らさえてるとも知らずにな……そして最期は、惚れた女に殺される」


 ノワールは傷が塞がっていない手に剣を握らせる。


「シロくん! やめろ! 君とは戦えない!」

「命を落としてでも奴を仕留めろ」


 二人の男に従った女は片方の命令で短剣を握った。


「はい、我が主」


 俊敏な動きでリチャードの距離を詰める。本気の殺気を漂わせている。


「くそ、どんな形であれ、君を傷つけたくなかったのだが! 仕方あるまい!」


 リチャードは腹心の剣戟を躱しながら玉形のアイテムを取り出す。


「させるな、ブラン!」

「はい、我が主」

「許せ、シロくん!」


 剣を握る手を正確に蹴る。血が滲んでいたこともあり、容易く剣は零れ落ちる。


「役立たずが!」


 ノワールは小さくぼやく。


「聞け、ノワール! 光はお前だけの物ではない!」


 聴覚を集中させた後にアイテムを地面に叩きつけて割る。


 キィィーーーーーン!!!


 耳をつんざく高周波の音が響き渡る。


「ぐああああああああ! なんだこの音はああああ!」


 光を警戒して目をつむったノワールはまんまと策略にはまっていた。本当の狙いは聴覚をつぶすこと。


「うううう! くううう!」


 ブランもたまらず耳を抑えてうずくまる。耳からは血が垂れていた。


「来い、シロくん!」


 リチャードは腹心を抱くとノワールに背を向けて走り出す。彼の耳からも軽量の血が垂れていた。直前に耳を塞いだおかげで軽傷で済んでいた。


「ちと手荒くなったが聴覚を無効化した! これであいつの声も、命令も聞かなくていい! あーなんて説明しても聞こえないか!」

「……さま」

「耳はあいつを倒したら治す! 大丈夫! 吾輩を信じろ!」


 今はともかくノワールと離れなくてはいけない。そうでないとまた新たな命令が下されて彼女を傷つけることになる。


「君は嘘をつかないと知っている! そんな君が一緒にいると約束しろと言ったんだ! だから吾輩は君を信じるぞ! どんなことがあってもだ」

「……おう、さま」

「ん? なんだ、吾輩に話したいことがあるのか?」


 走りながらも耳を傾ける。

 シロは耳元で囁く。


「まおうさま……しん……て……さい」


 そして言葉を紡ぎ終えると肉を抉るような咬合力で肩に歯を立てた。


「ぐあああああああああああ!!!???」


 歯は肉を通過し骨に達そうとしていた。リチャードは激痛に耐え切れず転倒する。シロの身体も投げ出される。

 驚くべきは痛覚だけでない。


「な、なんだ、今、力が抜け……!」

「ひゃーっははっは! その女のことをなーーんもしらねーーーーんだなーーーーー!!」


 ノワールが後ろから追いかけてくる。


「その女にはユニークスキル、経験値喰いレベルイーターがあるんだよ!!!」

経験値喰いレベルイーターだと……!」


 初耳のスキル。


「立て、ブラン! そいつにお前がどんな女か見せてやれ!」

「……はい、我が主」


 足を引きずりながら主と呼ぶ男の元に戻る。


「シロくん! 君、足が! 待て、今すぐ治してやる!」

「さあて哀れな尻尾なし。これを見ても、シロくんと呼べるかな」


 ノワールはブランの尻に手を回す。尻尾ごと背中を何度も撫でる。


「舌を出せ。朕の物は朕の物。貴様の物は朕の物。持つもの全てを朕に返却せよ」

「……はい、我が主」


 そして二人は第三者がいながらも堂々と舌を絡み合わせる。顎からぽたぽたと涎が垂れ落ちる。


「ああああ、力が、力が漲ってくる!」


 舌を絡ませるだけでノワールのレベルが上がっていく。80から81、81から82……最終的には85で止まる。


「馬鹿な……レベルが上がっただと……!」


 男女が交じり合い魔力を回復する房中術は知識にあった。しかしレベルの上昇の知見は地下の書物庫にもなかった。


「……これは我が種族の間だけで許される秘技経験値共有レベルシェアだ」


 ノワールは取り繕うように布で上品に口元を拭く。機嫌がいいのでブランの口元も拭いてやる。


「時間はかかったが思わぬ拾い物をしたな」


 よく見ると布はハンカチにしては大きすぎる。リチャードはそれに見覚えがあった。


「シロくんまででなく吾輩のマントまで……!」

「ひゃーははは!? めでたいなー!? まだこの女に未練があるのか!! だがこの女は吾輩の物だ! 見るんじゃあない! 減ってしまうからな! ひゃははは」


 腕を回しながらダンジョンの奥へと連れ込む。


「返しやがれ……! この下種が……!」

「ご苦労だったな、尻尾なし。なんやかんやで君は朕にとって家畜のような存在だったよ。生かされているとも知らずに最後には全てを朕に差し出す。忘れたか? 朕は王なのだ。命だけでない、財産までもが我が手中にあるのだ」

「女の手柄を横から奪っておいて何が王だ!」

「勉強が足らんな、脳なし。百獣の王は普段の狩りは雌にさせ、その間に己と牙と爪を研ぐものよ」

「滑稽だな! 己の血を誇らずに他種の栄光に縋るか! やはりお前に王座は似合わん!」


 ノワールは血相を変える。


「調子に乗るんじゃあないぞ、敗北者! そこまで死を望みならば良かろう、直ちに我が爆発魔法で消し炭にしてくれる!」


 微かな魔力反応を感知する。それはノワールの方向からやってくる。しかしやはりこれだけでは正体が見抜けなかった。全貌も神髄も見抜くには情報が足りない。


(ここまでか……!? あと一分でもあればいいのだが……!)


 時間を稼いだが足りなかった。秘密兵器がたどり着くまでまだ時間がかかる。


(どうにか時間を稼がねば……! 吾輩はここで死ぬわけにはいかない……! 守らないといけない約束があるのだ……!)


 その時、運は味方する。祈りでも願いでもない。リチャードの覚悟に呼応するように。

 両者の間に突然現れる影。しつこい断末魔と大量の羽毛をまき散らしながら駆けまわる。


「コケー!!!」

「コケー!!!!!」

「コォー!!!!!!!」


 影の正体はコカトリスだった。首を刎ねられて時間が経つのに何故か鳴いて動いていた。

 すると何故か途端に魔力の動きは止む。


「貴様らああああああ!! 死してなおこの朕を足を引っ張るかああああああ! 頭が高いんだよおおお!!」


 ノワールは頬に額に羽毛を張り付けながらヒステリックに叫びながら暴走する鶏を蹴とばす。

 魔力を引っ込めたこと、コカトリスに気取られたこと、これが世界の命運を分けた。


「ノワール!」


 リチャードは屈辱の撤退を開始した。


「認めよう! 貴様は陰謀張り巡らせ我が財宝全てを奪った! しかしそれは瞬く間、ほんの一瞬に過ぎない! すぐに吾輩は奪い返す! そして宝を奪い傷つけた報いを必ず受けさせる! 覚えておけ!」


 座った態勢のまま高速で移動していた。彼と地面の隙間には大量の茶色い毛。


「眷属のジリスか!! 全て殺したはず!!」


 この大量のジリスは66層よりも浅い層にいたジリス。集合に時間がかかった。


「……シロくん」


 腹心が遠のき見えなくなる。一緒にいると約束したのに離れていく。


「くそ……何がダンジョンの主だ、何が魔王だ……」


 茶色のベッドに横たわると満身創痍の身体を柔らかく温かく包み込まれる。

 彼の敗北はこれが初めてではない。しかし涙を流すほど悔しかったのはこれが初めてだった。

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