37層 異常発生 ベイビードラゴン戦

 最初は地鳴りだと思った。頭上から小石が落ちてきたのでロビンはテオを側に寄せた。この小さな行いがパーティーの今後を左右した。

 断続的に地鳴りが続く。しばらくして地鳴りが曲がり角の先からするとわかる。

 この時に引き返せば良かった。そうすれば誰も傷つくことがなかった。

 曲がり角から尖った口先と牙が見えた瞬間だった。


身体強化バイゾーダリタィ!」


 ビクトリアは鑑定ではなくバフを選択したのは正解だった。全員に満遍なくバフを配る。

 ドラゴンは勇者たちの姿を確認するやいなや、口の中に炎を焚いた。


「ウォーター!」


 マチルドが得意なアイスアローを捨ててウォーターを放ったのも正解だった。彼女のひ弱な氷の矢では幼体のドラゴンといえど傷一つつけられない。

 ベイビードラゴンのフレイムブレスが放たれる。一晩で森一つを焼け野原にすると言い伝えられているドラゴンの一撃。人間がもろに浴びればひとたまりもない。

 咄嗟の水魔法は一応威力を殺すことはできたが半減とまでは行かなかった。

 全員が炎に包みこまれた。圧倒的力は幸運やタンクの健闘によって無傷で守られてきた後衛にも容赦なく襲い掛かった。

 地面になぎ倒され、すぐさま立ち上がれるものはいなかった。

 その中でビクトリアが倒れながらも杖を動かす。


「ヒール……ヒール……」


 ビクトリアはまず自分を回復させた後にテオを回復させた。彼女が最初に動けたのはドラゴンから一番離れていたこと、そして咄嗟にマチルドが庇ってくれたためだ。ビクトリアを庇った彼女は気を失っていた。象牙の杖が無力にも地面に転がっている。庇うために苦労して手に入れた戦利品だったのに躊躇いなく投げ捨てたのだ。


「師匠! おい、師匠!」


 テオは自分に覆いかぶさったまま動かないロビンの胸を叩く。前衛にいたテオだったがビクトリアよりも軽傷で済んでいた。レベルを上げていたこと、勇者特権で防御力が上昇していたこと、そしてタンクのロビンに守られていたからだ。

 一方でタンクであるロビンが最もダメージを受けていた。盾で防げなかった箇所は全て重傷の火傷を負っていた。これでも炭になっていないだけマシ。鑑定でステータスを覗けばHPは0になっているだろう。

 いくつもの奇跡が重なってロビンは意識を保っていた。最後の力を振り絞ってテオに伝える。


「……に、げ……ろ」


 そして力が尽きる。


「師匠!! 師匠!!!」


 テオは必死のメッセージを無視して力のない身体を揺らす。


「馬鹿テオ……逃げろつってんでしょ……」


 まだ危険は去っていない。


「……ぐるるる」


 ベイビードラゴンは特段腹を空かせていたわけではなかった。こうして特に理由のない暴力は内なる狩猟本能がそうさせたからだ。生まれて間もない子猫が視界に入った動く物体にとりあえず飛びつくように。

 テオたちは幼体の遊戯によって全滅しかけていた。


「……一か八か」


 ビクトリアは立ち上がり杖先をドラゴンに向ける。


「……ぐるる?」


 ドラゴンがビクトリアの目を見る。


「……使えるか……? 今のレベルなら一撃程度なら」


 強敵と目と目が合ってもぶれずに杖先に魔力を集中させる。大魔法を発動するための予備動作だ。ビクトリアにとってドラゴンと対面したのはこれが初めてではない。かつては地上で一度は対峙し撃退したこともある。

 詠唱しようと息を一飲みした時、


「師匠! おい師匠!! ししょおお!!!」

「っつう!?」


 集中が途切れる。テオの涙交じりの叫びが耳障りだった。声変わり前の男児が発する高音は時に猿の鳴き声のように聞こえる。


「うっさいわよ! 馬鹿テオ! さっさと逃げろって言ってんでしょう!!」

「でも師匠がああ! ビクトリア! ヒールをしてくれ、たのむよ!」

「もう間に合わないのよ! 諦めなさい!」

「まだ息してる! 師匠は、俺を置いて死んだりしねえ!」

「あっそ! じゃあロビンを持って逃げなさい! 邪魔だから!」


 テオはロビンの身体を担いで運ぶ。レベルが上がったために青年の男性を運べなくもない。しかしファイアブレスのダメージを少なからず受けた彼は俊敏性に欠いていた。

 もたもたとよたよたと揺れながら避難する二人。ドラゴンの目はいつしかそちらに向いていた。


「ああーもう! 耳障りだけじゃない! 目障り!」

「うお!? 急に身体が軽くなった!?」


 ビクトリアは溜めていた魔力をバフとして消費する。


「さっさと逃げる! ついでにマチルドもね!」


 避難を促し、これでようやく魔法に集中できるかと思いきや、


「ビクトリアは!? お前はどーするんだ!?」


 テオはまた足を止める。


「ああクソガキ! ああ言えばこう言う!! どうしてあんたはいつも私の思い通りに動かないの!!」


 ドラゴンはゆっくりと歩み、尻尾をふるう。振るった尻尾が壁にぶつかる。

 それだけで身体が浮かびあがるほどにダンジョンは揺れる。

 頭上から握りこぶし大の拳が落ちてくる。


「ぐっん」


 運悪くビクトリアの頭に直撃する。当たり所悪く一瞬で気を失ってしまう。彼女の幸運ステータスはFランクと能力値最低。


「ビクトリア!?」


 気付けば頼れる仲間はみな倒れていた。


「みんな……みんな……」


 ついさっき、本当についさっき死を覚悟したつもりで冒険すると宣言した。それなのに一気に心細くなった。家に帰りたくなった。


「ぐるるる!」


 幼体ながらも魔物ながらも感情を持ち合わせていた。ビクトリアの頭の上に石が直撃した光景が面白おかしく映ったのだ。身体を揺らして楽しい感情をあらわにする。

 その姿を見て、急に怒りが湧く。


「なにが、なにが……! おもしろいんだよ!!!」


 テオをロビンの身体を下ろすと剣を抜いた。


「決めた! 俺は逃げねえ! 俺は神託を受けた……勇者だからな!」


 跳躍する。すると一瞬にドラゴンの鼻先にたどり着く。


「この力……そうか、ビクトリアのバフか!」


 その時のテオはそのようにして自分を納得させ、戦いに集中した。


「でやあああ!!」


 力の限りに剣を振り下ろす。全身を鉄のように硬い鱗に包まれたドラゴンの鼻先をそぎ落とした。


「キャアーーー!!」


 ドラゴンの両目が一瞬にして血走る。

 テオが着地した瞬間を狙って踏みつぶそうと足を下ろす。


「こんにゃああろおおお」


 テオは剣で受け止める。力の拮抗は二秒。徐々に力で押されていく。


「くっそおおお!!」


 バックステップで足の下から脱出する。


「ぐるああああ!!!」


 ドラゴンは回避した瞬間を狙って全身を回転させて尻尾をふるう。

 尻尾はテオを捉えるが、


「どおおおりゃああああああ!!!」


 テオは気合で尻尾に刃を立てる。鋼鉄の鱗に切れ込みが入る。


「やった!?」

「ぐるあああああああああ!!」


 切れ込みが入る前にドラゴンはテオの身体を壁に叩きつける。

 大ダメージが入り、激痛に思わず叫ぶ。


「キャアアアアアア!!!」


 尻尾の切断面から深紅の血が噴き出す。

 切断された尻尾が主を失った後もまるで生きたようにびちびちと動く。


「へへ、やってやったぜ……」


 壁に打ち付けられた痛みは今までで受けた何よりも痛かった。グランマのゲンコツ、ビクトリアの股間蹴りよりも痛いものがあると初めて知った。

 頭がふらふらする。視界がぼやける。視界の端に倒れた仲間たちが映ると一気に靄が晴れる。


「みんなを助けるんだ……今度は……俺が……俺の手で……!」


 小さな身体から吹き上がる紅いオーラ。聖なる勇者から放たれるオーラとはかけ離れた、真逆の禍々しさがあった。

 ドラゴンは初めて味わう痛みに動揺していた。生まれてから血を流す経験など一度もなかった。

 それが運命を左右した。

 この機を直接関与せずとも戦いの傍らから見続けていたテオは見逃さない。

 剣を頭上高くに掲げる。


「テオ……」


 紅いオーラは剣をも包み始めた。

 幼きドラゴンは痛みの理由を思い出す。目の前のはるか小さな、虫に等しき生物。小癪。小癪。小癪。


「ぐるあああああああ!!!」


 怒りに任せた突進。

 テオは逃げない。目の前の敵を打ち滅ぼそうとする一心で剣を振り下ろす。


「クラッシャアああああああああああああ!!!!」


 目に見えなかった衝撃波に色が付いた。血に似た深紅色の衝撃波。


「ぐら」


 衝撃波はドラゴンの巨体を丸呑みし、一瞬にして消滅させた。


「へへへ、やった……俺……みんなを……」


 膝から崩れ落ちる。身体を支えようと剣を地面に突き立てるが真ん中からぼっきりと折れてしまう。


「あっ」


 テオもついに地面に伏す。バフも切れて指一本動かす力も残っていない。


「目覚めたら……すぐにビクトリアに……」


 側頭部はちょうど地面に触れていた。耳が地面を通して遠くの音を聞いた。


「待てよ……おい……」


 力が残っていたら悔しさで拳を握っていただろう。力が残っていたら目から流れる涙を拭き取れただろう。

 また地鳴りが起きる。あの同じ足音が聞こえる。


「ぐるるる……!」


 そしてやけに耳につく鳴き声も。

 同様の姿のドラゴンがもう一匹姿を現した。

 ベイビードラゴンは双子だったのだ。


「ぐるああああ!!」


 今度のドラゴンは弟であり一匹目の兄よりも一回り小さい。また腹を空かせ、すでに狂暴化していた。食料になる獲物は先を行く兄に奪われていたためだ。

 ようやく得た獲物。ネズミ一匹だろうと見逃さないだろう。


「くそう、くそう……!」


 ドラゴンは口を開けてテオを食べようとする。


「ようやくみんなを守れる力を手に入れたのに……」


 牙がテオの身体を貫こうとした時、


「おんどりゃああああああああ!!」


 黒い影がドラゴンを突き飛ばす。


「よく耐えた。が来たからにはもう安心だ」


 テオの前には黒い甲冑に身を包んだ謎の大男が立っていた。

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