マチルドの過去とテオの覚悟

 夕食ディナー前だと言うのに空気が重い。疲れが溜まった時は無言ではあったものの、食への楽しみがあった。今は準備からして喉が詰まっているようだった。


「今日の飯は……魚にするか、肉にするか……魚にするか、肉にするか……」


 料理長のロビンはメニュー決めに悩んでいた。なお彼の頭は別のことでいっぱいなので一生決まることはない。


「……」


 マチルドはあれからずっと無言だ。こうしている今もテオが起こした焚火をぼんやりとうつろ気に見つめている。


「なあ、ビクトリア。師匠とマチルド、二人に元気ないよな」


 担当している火起こしを終えたテオは離れた場所で探知魔法で警戒しているビクトリアに尋ねる。


「そうね、そう見えるかもね」


 彼女は興味はない、面倒なことに頭を突っ込みたくないという態度を取ったつもりだった。


「……なあ、どうしたらいいと思う?」

「へえ。あんたも少しは周りに気を配るようになったんだ」


 毒が強すぎる嫌味。

 でも幼馴染の言葉もなんのその。


「……俺は二人にいつも通りに元気になってほしい。そしてまた冒険を続けたいんだ」

「……やっぱりワガママね。二人はそれを望んでないかもしれないわよ。こんなところに来るんじゃなかったって後悔しているかもしれない。今すぐにでもおうちに帰りたいと思っているかもしれないじゃない」

「……二人がこんなところで諦めるとは思わない。師匠は仇を取るって言ってたし、マチルドはお金が欲しいって言ってた」

「いいことを教えてあげましょうか? 人間なんて口ばっかよ。追い込まれた時に本性が出るもの」

「本性か……」


 テオはしばらく逡巡する。命の危険が迫る死線を思い出したのちに、


「……うん。やっぱり、俺は何をするべきだと思う?」

「えぇー……今の流れでまたそこに行き着くわけ? というかそもそも私に聞かないでよ」

「ビクトリアがどうしたいか聞きたくってさ」

「人の心なんて知ったこっちゃないわ。それにどうせ私の意見聞いたってあんたは好き勝手するんでしょう?」

「俺、そんなに好き勝手にしてる……?」

「はあ、自覚なし……付き合ってられないわ……」


 ビクトリアはしっしっと犬を追い払うように手を払う。


「探知魔法の邪魔。あっち行ってて」

「俺、とりあえずやれることをやってみるよ。話聞いてくれてありがとうな、ビクトリア」

「礼を言われるようなことなんてしてないわよ、馬鹿テオ」


 テオは幼馴染に見送られると早速動く。

 焚火を見つめるマチルドの元に行くと、


「なあ、マチルド。あのジャックとどんな関係なんだ?」


 ド直球に聞く。

 同時に鍋や杖が転がる音。


「……大将、それはいくらなんでも」

「……もうちょっと回り道しなさいよ、馬鹿テオ」


 こっそりと聞き身を立てていたロビンとビクトリアが漏らす。


「……聞いてどうするわけ?」


 マチルドは焚火を見つめたまま返す。


「力になりたい」


 テオはマチルドしか見ていなかった。


 パチリ。


 焚火が火の粉を吹き出し燃え上がる。


 マチルドの答えは早く帰ってきた。


「……わかった、話すわ。でも聞いたところで面白くないわよ?」

「面白い面白くないじゃないよ。俺はマチルドのことが知りたいんだ」

「そう? 聞いてきたからには途中で寝ないでちょうだいよ?」


 少しばかりのいつもの調子を取り戻していく。


「聞き耳立ててる二人も側までいらっしゃいな」


 それは抜け目のなさも。


「バレてたか……」


 ずっと手を止めていたロビンは隠さずに焚火に寄る。


「……探知魔法は私がやっとくから好きなように語って」


 ビクトリアも焚火に寄るが警戒は怠らない。


「ありがとう、ビクトリアちゃん。でもそんなに長くはならないから安心して頂戴。お腹空いてるでしょうに」


 マチルドは長くはならないと言いつつも、それからなかなか語り始めなかった。

 火はまだ燃え上がっているというのに自らの手で薪一本追加したのちにゆっくりと語りだした。





 マチルドと自称する女は裕福でもなければ貧しくもない、ごく普通の街のごく普通の家に生まれた。父親は大工、母親は針子。姉が二人の末っ子だった。母親は娘に対して多くは望まなかったが唯一日ごろから口うるさく早々に嫁ぐように伝えていた。しかし娘の展望は違った。彼女には唯一家族にはない魔法の才能を秘めていたからだ。いずれは魔法に関する職業に就きたいと考えていた。どこかの魔法使いに弟子入りし、魔法の研究をしたかった。

 とある年の誕生日に母親に将来の夢を打ち明けた。応援は当初から期待していなかった。せいぜい適当に流される程度だと思っていた。しかし想像はまるで違った。母親から猛反対を食らった。


「魔法なんて覚えたら行き遅れるじゃないか!」


 娘は娘で勝気な性格だった。母と家が傾くほどの喧嘩を繰り広げた。が通じないと判断した娘は家に隠してあった貯金を盗み、住んでいた家を、暮らしていた街を飛び出して都会へと向かった。

 反省や後悔はなかった。ここから人生が始まると信じていたがすぐに希望は絶望へと転じる。


 現実は非情だった。


 高名な魔法使いの元に弟子入りしようにも本人に会うことも敷地に入ることも叶わなかった。何度挑戦しても門前払いに終わった。

 特出した才能も、多額の資金も持つわけでもない身元不明の小娘をわざわざ面倒を見るような親切な者がいるはずもない。この時代は魔法を習得する場合は高い金を払って家庭教師を雇うか、高い金を払って魔導書を購入し独学に励むことが常識だった。漠然とした夢を抱いていただけの彼女はそんな常識も知るはずもなかった。

 ここで潔く魔法の道を諦め、実家に帰る道を選ぶことができた。しかし貯金を盗んだ手前、帰ることはできなかた。

 途方に暮れていると優男が声をかけてくる。なんでも知人に弟子を募集中の魔法使いがいると言う。紹介料を払えばすぐに教えるとも。

 困り果てていた彼女はその話に乗ってしまい金を払ってしまう。無論詐欺だった。詐欺師の優男はありもしない待ち合わせの時間を伝えると姿をくらます。彼女は約束の時間が過ぎても約束の場所に立ち続けた騙されたと気付いたのは日が変わった時だった。

 この時から彼女は変わってしまう。

 魔法使いになるには手段は選んでいられない、とより自分を追い込んでいく。

 以前より耳にしていたダンジョンの存在を思い出す。そこでは地上よりも魔法の成長が早まる分、危険が伴うとも。

 すぐさまダンジョンへと歩いて向かった。入口に着いても単身で乗り込むような無茶はしなかった。彼女は聡くなっていた。ずっと狙っていた。魔法使いのいるパーティを、それも女ととんと縁のなさそうなむさ苦しい男だけのパーティを。

 なんでもした。うだつの上がらない男に匂わせも媚びもした。魔法のため、夢のためなら涙を流す以外ならなんでもした。

 汗だくの男の腕の中で時折思い出す。


 自分の夢ってなんだっけ。




 マチルドは長いこと話していた。

 焚火はいつしか消えかかっていた。


「そこからはいろんなパーティを転々としたわ。トラブルが起きそうになったら雲隠れ。名前も何個も偽装したわよ。幸い鑑定魔法スーチカって文字の名前はバレないからね、偽装は何度だってできたわ。さっき会ったジャックも今までうちの一人よ。あいつは騙しやす……とても純粋だった。あたしってばそっちのほうの魔女としての素質はあったのかもね、あははっ!」

「つまりあの男、加害者というよりも被害者だったってわけね」


 ビクトリアが久方ぶりに喋る。重苦しい過去を聞いた後でも彼女の毒舌は変わらなかった。


「そうね、ああ見えて中身は少年なのよ。あと意外にも料理が美味しかったかしら」

「……」


 ロビンは苦味が舌に残り続ける薬を飲んだような顔をしたまま無言を貫いていた。憧れていた女性の生々しい話はたとえ酒を飲んでいても気やすく笑い飛ばせない。


「なあ、マチルド」


 テオも口を開く。


「結局、ジャックとの間に何があったんだ?」


 子供向けに直接的な表現を避けてぼかしていたために少年の彼にはいまいち全貌が伝わっていなかった。


「こら、馬鹿テオ! たまには黙ってなさい!」

「いいのよ、ビクトリアちゃん。あたしが悪いの。ちゃんとテオにもわかるように説明するわ」


 マチルドはかみ砕いて説明する。


「テオ。子供はどこから来るかわかる?」

「結局直球じゃない!」


 ビクトリアが横で騒ぐ。


「うん、孤児院のおばあちゃんグランマが男女の夫婦が仲良くなるとできるって」

「あたしとジャックはね、夫婦でもないのに仲良くしちゃったの。ジャックはあたしのことが好きだったけど、あたしはジャックのことはそうでもないのにね」

「それは怒られるようなことなのか?」

「たくさんの人があたしのことを怒るでしょうね。ジャックも怒るでしょうし、グランマもさぞかし怒るでしょう。ビクトリアもロビンも……テオだって未来ではとっても怒っているかもしれない。でも、あたしはそれをどうこうするつもりはない。否定をしなければ肯定もしない。たった今、そうするって決めた」


 打ち明けたことで気持ちの整理がつく。

 もう過ぎ去った過去が顔を出しても彼女は怯えることはない。罪を責められても糾弾されても騙されたほうが悪いと笑って返せる。


「ありがとう、テオ! そろそろ待ちに待った夕食にしましょうか!」


 湿っぽい空気はこれでおしまい。楽しい夕食の時間の始まりだ。


「ふうん、そっか」


 テオはなんてことなしに焚火に薪を投げた。


「じゃあ俺は怒らないよ。今もこれからもずっと」


 火の粉が一気に舞い上がる。


「……え?」

「だってマチルド、今にも泣きだしそうだもん」

「あたしが……泣きそう?」


 目の奥が熱い。でもそれは焚火の側にいたからに違いない。


「それとさ、マチルドは俺の仲間だ。また辛いことがあったらいつでも言ってくれよな」

「……また聞いてくれるの?」

「当然だろ!」

「あたしってば自分で言うのもなんだけど面倒くさいし重いというか」

「関係ねえよ! 辛い時こそ仲間と乗り越えるんだって! 師匠が言ってたぜ!」


 テオがロビンに満面の笑みを見せる。


「え、ここで俺!?」

「あれ、言ってなかったっけ?」

「言ってたけどよぉ! でも、まあ、うん、まさにその通りだ! よく俺の言葉を覚えていたな! えらいぞ!」

「えへへぇ。師匠にえらいって褒められちった」


 憧れの師匠に褒められて浮かれるテオ。


「……ほんとテオってば馬鹿テオよね……でもまあ、今回は上手くやったほうじゃない」


 テオ批評家のビクトリアも今回ばかりは合格点をやる。

 太陽の日も届かないダンジョンににわかに温かな光に包まれる。


「……知らなかったわ。パーティってこんなに温かいものだったのね」


 マチルドは仲間の目を盗んで零れた涙を拭いた。


「さあて気を取り直して飯にするぞ飯。魚か、肉、どっちがいい?」

「はいはい、あたしに決めさせて!」


 マチルドは無邪気に手を上げる。


「はい、元気になったマチルドさん!」

「酒!」

「魚か肉つってんだろ!!」


 今度はテオが元気に主張激しく手を上げる。


「はいはい、師匠! 俺にも俺にも!」

「んじゃあテオくん!」

「魚も肉もどっちも!!」

「魚か肉つってんだろ!!」


 今度はマチルドが無言で控えめに手を上げる。


「うん、まあ、答えはわかりきってるけど……ビクトリア」

「肉」

「ちょっと悩んだりは」

「肉」


 こうしてこの日のメインディッシュは肉となった。

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