20層先に倒されたボスとマチルドの因縁

 ロビンたちがなし崩し的に突入したころには勝負は決していようとしていた。


「ギャアアアア!!」


 男の背丈倍はあるオーガが膝をつきながらも絶叫する。緑色の肌に無数の傷が浮かび、青い血が流れている。武器としていたであろう木のこん棒は切り株のように上半分が切られていた。


「そらそら! ノロマがよぉ!!」


 双剣使いの男が目にも止まらぬ俊敏さで圧倒する。瞬く間に背中に十文字の傷が出来上がり、青い血が噴き出る。


「ギャアア!!!」


 目で追えないならとあてずっぽうに腕を振り回すも、


「ひゃははは! そんなんじゃ蚊すらも潰せないぜ!」


 嘲笑い、腕をかいくぐり、それすらも足場にして顔に目掛けて跳躍する。


「そーら! 片目もらい!」


 切りつけるのではなく目を貫通するように刃を立てて抉る。


「──!!!」


 鼓膜を破るような絶叫。


「ひゃははは! 痛いか!? 泣け泣け!! 目玉がない分涙がよく出るってな!! ひゃははは!」

 

 嗜虐的な笑いを漏らす。

 すると次の瞬間、オーガは自分の顔に対して容赦なく手のひらを叩きつけた。


「ぐおお……」


 顔から手を離すも肌の色が変色したあざしか出てこなかった。


「どこ攻撃してんだよ、バーカ」


 双剣使いの男はとっくに地面に降り立って行った。離れた場所から煽り立てる。


「ノロマなオーガさん、剣の鳴るほうへ♪」


 両手の剣を乱暴に叩いて音を立てる。

 双剣使いの男は強かった。強靭で巨躯のオーガも赤子同然。それだけレベル差が、実力差が開いていた。本来であれば一瞬で決着がつくほどに。

 あまりに戦闘が長引くために彼の仲間、箒を持ち眼鏡をかけた、見るからに魔法職の男が苦言を呈す。


「ジャック。いつまで遊んでいるのです。置いていきますよ」

「へいへい。そろそろ飽きてきたところだし、終わらせるとしますか」


 瀕死状態のオークは急に唸り声を上げる。するとすでに膨れ上がっていた筋肉がより膨張する。肌の色も緑から赤色に変化する。


「お、最後っ屁ってやつか? いいね、面白そうだ」


 ぺろりと唇をなめる。


「ぎがあああああああす」


 血相を変えたオーガが腕を振り回しながら猛突進。

 双剣の男はまた素早さを生かし避けるかと思われたが、その場を動かなかった。

 回避の動作も見せなかった。ただ、短く詠唱する。


「止まり木を燃やし炭にしろ、ファイアーバード」


 次の瞬間、彼の頭上で炎が渦巻く。雲のように形を変えたかと思うと巨大な鳥の形に変貌する。羽ばたくたびに多量の火の粉が舞う。

 炎の鳥はオーガを真正面から襲い、巨躯を丸々飲み込んだ。


「ギャアアアア!!」


 それが断末魔だった。

 炎の鳥が火の粉となって散り散りになる。残ったのは全身黒こげのオーガ。

 ずしん、と音を立てて巨躯が倒れる。そして死骸も最期にはマナとなって霧散した。


「おーしまい、っと。大した経験値にもならなかったな」


 勝者の名はジャック。双剣使いであり魔法の適正を持つ才能に恵まれた男。

 レベルは45だった。

 圧倒的な実力差でオーガをねじ伏せた彼は紛れもない強者だった。観衆がいればさぞ鳴りやまぬ拍手が送られていたであろうが生憎彼の仲間はそうではなかった。


「ジャック。最後のトドメはなんですか。必要のない、大掛かりな魔法。ファイアボールでも充分でしたでしょうに。マナの濃いダンジョンだからって調子に乗ってるといざという時に魔力が枯渇しますよ」


 自分でもほれぼれするような出来でやってのけた一仕事の余韻に浸っているときにぐちぐちと小言を言われると気分は悪いもの。それも理路整然とした正論だとなおさらだ。


「いちいちうっせーなー! トニョはよー! 師匠でもなんでもねーだろうがよ!」


 ジャックは剣をちらつかせるもトニョと呼ばれた眼鏡の男は全く動じない。


「そうですね、師匠ではありませんね。私はあなたよりも十年早く入門した兄弟子に過ぎません。そう、たかが十年です。十年は林檎が最大の実りを得るまでにかかる年月ですが果てのない探求である魔法の前では瞬きほどの時間でしょう。我々の間にはそれくらいの差しかありません。私も少し早く入門したからと言って先輩風を拭かせるつもりはありません。しかし今は運命を共にするパーティ。貴重な魔力リソースの管理方法に口を出すのも当然の権利であり──」


 むしろより攻撃ならぬ口撃が増す。ネチネチとした粘度も増す。


「あーあー! ほんとうっさいよなー! 剣では俺にかないっこないのによ!」

「こんな浅い階層で無駄な時間を過ごすわけにはいきません。さっさと次へ行きましょう」

「自分の言いたいことだけ言って切り上げるなや!!」


 二人の口喧嘩から少し離れた場所にテオは茫然としていて立っていた。


「すげえ……」


 品こそは足りなかったものの、圧倒的な力に惹かれない男はいない。先ほどまで繰り広げられていた戦いは少年の目にはまるでスケールの違う、夢のように見えた。


「む。どうしてダンジョン内に子供が? それも一人? 妙ですね」

「なんだ、変身した魔物か?」


 テオの存在に気付くトニョとジャックはそれぞれの得物を構える。20層は二人にとっては浅瀬だが子供一人で来れる場所ではないと認識している。


「ちょっとちょっとストップ! お二人さん、武器をおさめて! そいつはうちの大将だぜ!」


 駆け付けたロビンが説明し、事なきを得る。


「けっ、ダンジョンに子供連れかよ。ピクニックじゃねえんだぞ」

「魔物が多く潜むダンジョンに子供……感心しませんね……」


 ロビンはへこへこと頭を下げる。


「俺はロビンだ。んでこっちがテオってんだ」


 礼儀として最低限名前を名乗る。

 ジャックはじろじろと二人を見る。すぐに品定めをしているとわかる目だった。


「へえ、ずいぶんと貧相な装備でここまで来れるとは……運が良いんだな」

「運じゃねえよ、実力だよ!」


 即座にテオが言い返す。


「おや、元気な坊やですね。こんにちは。私はトニョ。こちらがジャックです」

「トニョ? 愛称みたいな名前だな、変なの」

「テオ、初対面の人に失礼だろう」


 子供の率直な感想にトニョは不快感は示さず笑って返す。


「そうだね。変わってるでしょう? 祖父が呪術対策のためにこうやって名乗れとうるさくてね」


 わざわざ箒を脇に挟んで、両腕を開いて見せた。

 本名の隠ぺいは悪魔よけのまじないとして古くから存在する。また本名を隠すことで自分の情報や人のつながりを遮断し、のろいの対策としても有用だが埃の被った古い手段とされている。


「あんたらは二人だけか? ほかにパーティは? ヒーラーとかタンクは? 先に行ってるのか?」


 ロビンはきょろきょろと首を回すが仲間らしい人物はいない。


「ああ? んなもん必要ねえだろうがよ」

「うおお、正気か? 二人だけで攻略なんて」


 通常であれば負担軽減のために人数をそろえて役割を分担する。二人だけでの探索は無謀に近い。


「正気? そりゃこっちの台詞だ。ガキをつれてくるなんてよ。魔物から逃げるときに囮にでもするつもりか?」


 我慢を続けていたロビンだったが今の言葉には反応せずにはいられなかった。


「ああ? 逃げるわけねえだろ? テオはれっきとした戦力だ」

「戦力~~?? ガキも数に加えてダンジョンに潜らないといけないくらい貧相なのか?」


 一山当てようとダンジョンに潜る者も少なくない。しかし常人が潜れるほどの深さに命を駆けるほどのお宝はない。それを知ってもなお潜ろうとする者は多額の借金を背負って追い込まれていることが多い。


「てんめ、さっきから言わせておけば……!」


 腰に下げた短剣に手を伸ばそうとする。


「へへへ、やるかい? 戦士の勝負は、その腰の剣を抜いたら始まるぜ」

「……ぐ」


 ロビンは怒りを抑え鞘から手を離す。


(ここまで二人で来た、そして20層のボスをほぼ無傷で倒したってことは相当の実力者だ……)


 レベルが離れている以上、勝ち目はないと判断した。


「へっ、煽られて剣を抜けないような腰抜けはそもそもダンジョンに潜ってんじゃねえよ」


 ジャックは完全にロビンから興味を失う。

 するとちょうど後ろから後衛の二人がやってくる。しかし二人ともどういうわけか側まではやってこない。警戒してか一定の距離を保っている。それだけでなくフードを被ったり、どこからか出したトンガリ帽子を目深に被ったりと顔を隠していた。


「マチルド……どうしたんだろう」


 テオは異常を察知する。特にマチルドは警戒というよりも緊張していた。警戒であれば目を離さないが、今の彼女は決して目を合わせようとしない。


「腰抜けのくせして女連れかよ。こっちは男所帯だってのによ。宝の持ち腐れじゃねえか。お? あっちの黒いの、なかなかにナイスバディじゃねえか」


 ジャックの声にびくりと身体を震わす。


「ん……? あの女、どこかで……」


 ジャックは素早く寄る。そして帽子を外してしまう。


「ひっ」


 マチルドは小さく悲鳴をこぼす。


「あー! やっぱり! お前、マリーじゃねえか!」


 マリー。そう呼ばれた彼女は、


「ち、ちが、あたあたし、そんな名前じゃ」


 いつもの悠々自適ながらも芯のある姿とはかけ離れていた。


「俺だよ! 俺! ジャックだよ! お前に魔法を仕込んでやった魔法使いだ!」

「し、知らないわ、あなたなんて」


 トンガリ帽子を取る手を払おうとするも逆にその手首を掴まれてしまう。


「お前が忘れても俺は忘れねえんだよ! 見ないうちにますますいい女になりやがって。でも耳の形は昔のままだな。背中のほくろの数は変わったか」

「離してよ!」


 本気で胸を叩くがまるでびくともしない。

 高レベルの魔物と遭遇してもほくそ笑む彼女とはまるで別人だった。


「ジャック。今の君は紳士とかけ離れていますよ」


 トニョはそう言いながらも傍観している。彼が介入するのはあくまで魔法や戦闘でのみ。個人のプライベートにはつっこみたがらない。


「……嘘だろ、マチルド……その男と……」


 ロビンは雷に打たれたようにショックを受けていた。彼にとってマチルドは憧れの女性だったからだ。知りたくない過去を知ってしまい、身体が硬直していた。


「なあ、お前の身体が忘れられねえんだよ。せめてよ、唇だけでも貸してくれねえか」


 ジャックはマチルドの顎を掴んで固定する。


「い、いや、やめ、て……」


 一人の女性が毒牙にかかりそうな時、咄嗟に動く男がいた。


「マチルドから離れろよ!!」


 テオだった。マチルドにしつこく言い寄るジャックをはねのけようと思いっきり両手で押すと、


「あん?」


 ジャックの身体は想像よりも遠く吹き飛んだ。


「なんだぁ、このガキ? バフを貰っていたにしてもこの俺を突き飛ばすとはよぉ」


 吹き飛ばされも冷静さは欠かない。すぐさま宙で身体を翻し、両足で着地する。


「いい度胸してるじゃねえか。運動が足りねえと思ってたんだ」


 左右対称の双剣を同時に抜く。

 攻撃を受ければそれすなわち喧嘩の始まり。子供のイタズラであろうとだ。彼が生まれ育った街ではそれが常識でありルールだった。それを一度として疑ったことはない。


「なにやってんだと言いたいところだが、よくやったぞ、テオ!」


 ロビンは盾を構える。


「馬鹿テオ。面倒ごと引き起こさないでくれる?」


 そう言いながらもビクトリアも杖を構える。

 皆に謝るや逃げるの選択肢はなかった。

 

 戦意を見せつけられたジャックは笑いながら、


「よかったぜ、腰抜けじゃなくて……これでお前らは、強者に喧嘩を売った間抜けだぜ!」


 もはや戦いは免れられない。そう思われたが、


「双方そこまでです」


 両者の間に巨大な氷山が落下する。地面に落ちた瞬間に足元にまで氷は押し寄せる。


「今すぐ頭を冷やしなさい。敵を見誤ってはいけませんよ。ここで戦って消耗しても何の得にもなりません」


 傍観を決めていたトニョが介入し、強大な力を見せつけて圧倒させる。

 驚異的なその規模だけでない。


(この大規模な魔法を詠唱もなく一瞬で……マナ濃度の高いダンジョンでもこれほどの魔法の発動は簡単にできることじゃない……)


 ビクトリアは冷気に晒せながらも汗をかく。

 視線に気づいたのか、トニョは彼女に向けて笑顔を見せる。


(おまけに疲れを見せずピンピンしてる…………)


 フードを引っ張って顔を隠す。


 瞬間的にできた雪原に足跡ができる。


「すげー! 雪降ったあとみてえだ!」


 テオはついさっきまで臨戦態勢であったにも関わらず、剣を忘れて走り回っていた。


「うお!?」


 そして足を滑らせて転んだ。


「あははは! 滑っちまった! かき集めればスキーもできるんじゃないか!?」


 転んでもなお笑顔を見せる。

 それを見ていたジャックは、


「……チッ。てめーだって無駄に力を見せびらかしてるんじゃねえよ」


 舌打ちをこぼし兄弟子に文句を言いながら剣を納める。

 こうして人同士の諍いはトニョの機転によってひとまず回避に成功した。


「さて皆さん。お腹は空きませんか? このあと親睦を深めるためにもお食事を一緒にどうです?」


 トニョはロビンとビクトリアに話を持ち掛ける。

 二人は自分の気持ちよりも仲間の気持ちを優先する。振り返って、彼女の意思を確認する。


「……」


 マチルドは無言で首を横に振った。


「というわけで連れがこうなのでお断りだ」

「そうですか、残念です」


 残念と言いつつもトニョは笑顔を崩さない。わかっていたという態度だった。食事を誘ったのは特別な狙いがあったわけではなく、社交辞令に過ぎなかった。


「冷凍した鴨ローストがあったんですけど」

「……鴨ロースト」


 ビクトリアは唾を飲み込む。


「ちょっとなびいてんじゃないよ」


 ロビンは鴨ロースに惹かれるビクトリアと雪遊びに夢中のテオを引っ張って21層へと向かった。

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