魔王と秘書
眷属を通し話を聞いていた主は、わなわなと震えていた。
「……めっちゃ正当な理由で戦いに来てる……」
「ようやく現実を見る気になりましたか」
「そうか、ロビンの村は魔物のせいで……しかし村を壊滅させるほどの量の魔物が……?」
基本的にダンジョン内の魔物はマナの濃いダンジョンでしか生息できない。ごくまれに一匹二匹程度がダンジョンの外に溢れ出る可能性はあるがそれだけで村を壊滅するとは考えにくい。
「いや、現実を見なくてはな」
主は首を振った後に呪文を唱えて次元の穴を作り出す。
「魔王様? いったい何を?」
「今すぐ彼らに会いに行く。誠心誠意謝罪を述べに行く」
「ため息が出るほどの誠実さですがお勧めはできませんよ」
「なぜだ?」
秘書は頭を指をさす。
「君の頭に何かついているのか?」
魔王はすさまじく天然だった。
「違います。ご自身の頭……耳ですよ」
魔王の頭には通常の人間にはない、獣の茶色の耳が生えていた。
「彼らは我々のような混血を決して受け入れません。姿を現したところで魔物と同一視され、事態はややこしくなるだけですよ」
秘書の尻には尻尾が生えていた。尻尾自体は細く尖っていて、先が絵具を浸したように白くなっている。
「で、では、帽子なり兜をかぶって姿を隠し、『ここの魔王は反省した。もう魔物は地上に出ることはあり得ない』と宣伝してみたらどうだろうか?」
「はあ……魔王様……いつも魔王様の眠りを妨げる魔物がもう寝込みを襲わないと信じられますか?」
「ぐぬぬ……」
91層で出現するドラゴンが92層の魔王寝室に侵入することはまれによくあること。そのたびに撃退しては尻尾を刈り取ってステーキにしている。
「シロくん……君の言うことは……一理ある」
魔王は説得に応じ一度開けた時空の穴を閉じる。
「……シロくん、君には礼を言わなくていけないとだな。やはり君は優秀だ。もしも吾輩一人であれば望まぬ結末にたどり着いていた」
シロの右肩に手を乗せる。
「君をヘッドハンティングした吾輩の目に狂いはなかった」
魔王と秘書は決して長い月日を共にした仲ではない。せいぜい一年に達したのみであったがそれでも時間は関係ほどに信頼は厚い。
「お褒めに預かり恐悦至極に存じます。私も魔王様に命を救われたあの日のことを今でも鮮明に覚えております」
二人は69階層で出会った。シロがドラゴンに食べられそうになっていたところを偶然通りかかった魔王が間一髪で助けたのが二人の出会いだった。
「吾輩もよく覚えている。まさかこんな辺鄙な辺境に同族と出会えるとは思わなかったよ。これからもよろしく頼むよ」
肩ではなく頭をぽんぽんと撫でると、
「フンッ」
シロは容赦なく手刀して上司の手を払いのける。
「魔王様。セクハラでございます」
「え、えぇ……ちょっと頭触れただけなのに?」
「女性がセクハラと感じればそれはセクハラでございます。もしも繰り返すようであれば出るところに出てもらいますからね」
「どこに出るかよく知らないけど……本気で怒ってるようだし……今後は気を付けるよ、すまなかった」
「わかればよろしいのです、わかれば」
秘書は乱れた髪をクールに整える。
「むう……一年が経とうというのにあんまり部下との心の距離が詰められていない気がするな……百年一人で引きこもった代償とも言うべきか……やはり心とは小説とは違うものだな」
魔王は叩かれてジンジンと痛む手を揉む。
「まあそれはおいおいやるとして、今はやるべきことをやるとしよう」
魔王はどこからともなくナイフを取り出した。
「よっと」
それを容赦なく掌に突き刺した。ナイフの先から大量の血が地面に零れ落ちる。
「出でよ、我が血を分けし眷属よ」
平坦に広がった血がにわかに吹き出す。泡が破裂したかと思うと次の瞬間には、
「チウ! チウ!」
生きた姿のジリスに変身していた。それも一匹ではない。一気に二十匹もの眷属が生まれていた。
「いつもながら素晴らしい魔法ですね」
命の恩人に対しても辛口を辞さない秘書もこの魔法に関しては正直に評価する。
彼女の足元で一匹がちょこまかと走り回る。しゃがんで手のひらを見せると自然と乗っかってくる。
「とても精巧な見た目です……魔法がなければ区別はつきませんね」
毛の一本一本まで細やかに再現されている。目を近づけても作り物だとはわからない。
「当然だ。我の血を直に分けているのだからな。どうだ、すごいだろう、吾輩の魔法」
「すごいにはすごいですが……満点ではありませんね」
視線を下に向けると、部屋に落ちていた小石を木の実と勘違いし、取り合おうと喧嘩が始まっていた。
「知性も地上に住む本物のジリスと変わりはないようですね。いやそれ以下?」
「そ、そこはリアリティ志向だから……でもきちんと指示を出せば言うことを聞くからね。これは自慢だが1層のジリスだって自分の指先のように操れるのだよ」
魔王は咳払いをしたのちに威厳に満ちた声を出す。
「眷属よ、ダンジョンに新たな出入り口がないか探ってこい」
そう命令すると争いの火種だった小石をあっさりと放り投げ隊列を組み一糸乱れない動きで部屋から出て行った。
「これで地上の魔物問題はひとまず様子見としよう」
魔王は手のひらからナイフを抜く。傷穴は広く、手のひらの向こうが見えた。
「魔王様。直ちに治癒魔法を施します」
「部下の手を煩わせるまでもない」
まるで手洗いした後の水しぶきを飛ばすように手を振る。一回、二回振るだけで傷口は塞がり元に戻っていた。
「恐ろしいほどの治癒能力。感服いたします」
「便利だけどねぇ、これ、お腹減るんだよね。シロくん、シチュー作ってくれる? ほうれん草入りで」
「かしこまりました。お肉はレバーに変えますか?」
「シチューをレバーで? ありえないよ。いつも通りポークでお願い」
「かしこまりました。直ちに取り掛からせていただきます」
「お願いねー」
秘書は退室する。しばらくすると調理とは思えない轟音が厨房のほうから聞こえてくる。
一人残った魔王は鏡の向こうの勇者一行を見守る。彼らはちょうど眠りにつくところだった。
「はてさて、どうしたものか……」
魔王は悩み、とても眠りにはつけなかった。
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