薺鷺とう短編集「ナズナにサギ」

薺鷺とう

1「放たれた虹彩の天使」

 時は3月、新卒で入社した俺もいよいよ社会人1年、来月には2年目に突入だ。

 年度末は忙しいと聞くが、俺の入った会社では何やら催しが行われるらしい。1年間の労いと、来年度に向けての気合入れを交えた飲み会なのか、単純にパーティーが開催されるのか。

 どんな催しであれ、俺は初参加だ。目立って上層の目に付くような、あっと驚く一芸を見せようと思う。

 俺は自宅マンションのベランダで毎日練習に励み、そして上司に芸を披露したい旨を伝えたのだった。


「ダメだよ。ダメ」

「何故です!」

「どこの会社に、懸垂をする為にオフィスビルの屋上を貸す奴がいる? 昨今は危険行為には敏感で、エクストリームスポーツなんかに会社の許可は下りないの、立場も命も落っこちていくの」

「自信はあります!」

「自信で社会は維持されないよ。ダメな物はダメ」

「じゃあ辞めます! 会社を!」


 俺は就職1年を目前に無職になった。

 会社をも飛び越えて、いずれかは世界に羽ばたくはずだったその第一歩、懸垂を披露するはずだったビルを後にする。


「くそぅ! こんな不条理な世界、滅んでしまえばいいんだ!」


 そう叫ぶと、俺の目の前に宇宙とそこへ輝く星々のような空間が現れて、1体の化け物が目の前に降り立った。


「呼んだ?」

「呼んでないです」

「いいや、呼んだね。」

「呼んでない……です」

「いやいや、お前、多分『死』とか『滅』とか『消』とか『豚』とか言ったでしょ? 叫んだでしょ?」

「はあ、まあ、滅んでしまえ、とは言ったような言っていないような。え、豚? なんで?」

「俺様は豚を食べちゃいけない的な宗教に入信しているのだ」

「あぁなるほど」


 化け物は禍々しいとは程遠い鮮やかな見た目で、目付きだけは鋭く俺を覗いてくる。はっきり言えば真っ黒よりも不気味だ。


「あの……悪魔かなんかなんですかね?」

「そりゃあそうだろう。見ろこの翼、悪魔にしか見えないだろう?」


 形だけは悪魔のような、クジャクもインド人もびっくりの鮮やかな翼を広げた。


「微妙ですね」

「お前節穴だな。悪魔を召喚するくらいだ、よっぽど頭も弱いと見た」

「失礼な悪魔だなぁ」


 俺は嫌になって、背を向けていた会社の方へ逆方向に歩き出す。

 目が節穴だって、俺は視力0.9もあるぞ。頭が弱いだって、俺は学生時代常にオール4を維持し続けたんだぞ。馬鹿にしやがって。

 歩いていると、いつまでも背後の気配が消えないのでまた振り返る。悪魔だ。


「何故付いてくるんです。放っておいてくださいよ」

「馬鹿お前、俺様はお前に召喚された悪魔なんだよ。滅ぼしたいとかそんな感じなんだろう? 豚とか」

「いや俺、無宗教なんで。それじゃ」


 今度は小走りで悪魔から離れると、鮮やかな翼を広げて空から追いかけてきた。

 あっという間に回り込まれて悪魔と目が合う。


「……えーと、どうしてそんな鮮やかなんです?」

「ああこれか? 最近パーマ屋さんに行って染めたんだよ。最初美容師さんが毛以外は染められない、って言うもんだから翼全体に毛を生やしたんだぞ。半年も掛かっちまった」

「違いますよ! なんで悪魔が黒くないんだ、って意味で聞いてるんですよ!」


 悪魔といえば黒だろう。

 そう言うと悪魔は、何故か呆れ顔でやれやれ、と憐れんだ目を俺に向けるじゃないか。


「お前何歳だよ?」

「え? 23ですけど」

「お前くらいの歳なら分かんないかよ? 今時真っ黒なんて通じる情勢じゃないだろう? 現代人らしく虹色を取り入れたんだよ」

「げ、現代、人…………?」

「お前頭悪いだけじゃなくて固いなぁ。日本語なんてそのくらい単語とか文章とか、言葉の綾だろうよ」

「あぁ、はぁ」


 この悪魔、現代人というより未来人だ。新しい物や流行は取り込んでも、新しい価値観まではそう簡単に取り込めまい。やるじゃないか。

 そう思っていると虹の悪魔は俺の目を覗き込んでくる。


「それで、質問は終わりか? 滅ぼすか、豚?」

「世界です」

「ああそうだった。世界ね、世界……はあ? お前23だろ? そんな先長い、うら若き歳で世界滅ぼしたいとか抜かしてるのかよ。まったく馬鹿だなお前は!」

「何歳で何思おうが個人の勝手でしょ!」

「ま、そうなんだけどな。だからこうして俺様が現れたわけだし」


 悪魔は俺に近付くと、上司への怒りで緩めたネクタイをきつく結んだ。


「衣服の乱れは心の乱れだ。ほら付いてこい、会社に戻るんだろう?」

「何言ってるんですか、戻りませんよ。俺は辞めたんですよ。世界滅ぼすんですよ」

「馬鹿お前、会社辞めちまったら滅ぼすもんも滅ぼせないだろう。第一お前、退職願出したのか?」

「出してないです」

「じゃあまだ会社員だよ。行くぞ」


 俺の腕を引っ張ろうとするので、引き剥がして声を荒らげる。


「なんで! どうして世界を滅ぼすのに会社に戻る必要があるんですか! 悪魔なんだから世界なんてあっという間に滅ぼせるんでしょ?!」


 悪魔は俺を掴んでいた腕を組んで、肩をすくめた。


「……はぁ。俺様が力を使って世界を滅ぼす、それって非合法だろう」

「は?」

「それに俺様が滅ぼしたんじゃ、お前自身は願いを叶えられてないじゃないか」

「いや、悪魔が滅ぼしてくれれば願ったり叶ったりで」

「俺様が滅ぼして、お前も会社の人間もみんな死ぬ。それでどうなるんだ?」

「え……普通に、人生が終わってあの世に」

「馬鹿!」


 虹色の翼で頭を叩かれる。めちゃくちゃ痛い。

 俺のおでこを突いて、目の前まで悪魔の顔が近付く。


「悪魔の力を借りた奴が黄泉に行けると思うな。それから、あの世も世界の一部だ。世界を俺様の力で滅ぼせばこの次元の全てが無くなる」

「次元ごと……。もしかして、他の次元を滅ぼしたことがあってそんなこと言っているんですか?」

「ああ、滅ぼしたよ。そうだな……お前に身近な物だったら二次元とかな」

「どうりで最近のアニメがCGばかりだし面白くないわけだ……」


 悪魔は顔を近付けたまま目線を外して、今度は俺の背広の乱れを直して、また鋭い目を合わせてくる。


「いいか、人間でないモノが世界を滅ぼしたら、それこそ不条理そのものだ。いいか、お前がもっと大きくなれ! 偉くなれ! そして、お前が未来に座る椅子から、世界を変えろ! 世界を滅ぼせ!」


 そうか、そうだったのか。

 俺はまだ23歳。社会人1年目すら終えていない。まだ社会の駆け出しで、人生はこれからまだどうにでもなる。

 そうだ、そうなんだ。

 俺が、例えば30年後。例えば53歳、会社を統べて更にその上へ行くことが出来れば、世界に少なからず影響を与えることが出来るかもしれない。もしかしたら世界を滅ぼすことが出来るかもしれない。

 そうだ、そうなんだよ。

 俺はまだ若いんだ。まだ何でも出来る、何にもなれるんだ。


「ふっ」


 俺の顔付きはその瞬間に変わった。悪魔の鋭い目に映る俺の姿は、未来、遠くを目指す男の物だった。

 それに気付いて悪魔は口角を上げたのだろう。

 悪魔、なんて憎い存在なんだ。


「ありがとう。俺、自分で世界を滅ぼすよ」

「良い表情だ。発声も良くなったな」

「悪魔は……お前は、この後消えるのか?」

「どうしてそう思う? お前が召喚した悪魔だ。お前の願いが叶うまで消えたりしないさ」


 それを聞いて俺は安心した。悪魔の言葉に安堵した。

 憎い存在の悪魔。憎めない性格のこの悪魔。俺は、この悪魔を好きになってしまったようだ。


「会社に戻ったら、社長を引き摺ってでも屋上に連れ出して懸垂を見せてやる。その前に腹ごしらえだ。お前、牛なら大丈夫なんだよな?」

「ああ、最近はお好み焼きが載った牛丼にハマってるぜ」

「そうか、じゃあそれ奢ってやる。付いてこい、悪魔!」

「おうよ!」


 俺は、俺たちは未来へ向かって走り出した。

 その第一歩は、寄り道して牛丼屋からだ。

 俺が世界を滅ぼした時、悪魔が隣にいれば良いと思うし、牛丼屋もあれば良いと思う。そんな滅亡を目指そう。

 これが俺の考えた「現代的なエクストリーム・エクスティンクション」だ。



      ◆

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