第2話 白い友達

「こ……だよ、こっ……。ニ……ンが……て……よ」


 遠くから声が聞こえる。頭がぼーっとしていて、上手く聞き取れない。一体、何が起きたのだろう。岩のように重くなったまぶたを必死で開こうと試みるが、なかなか上手くいかない。


 そのうち、段々と目が開くようになってきて、意識もはっきりとしてきた。無理やり体を起こし、周囲を見渡すと、信じられない光景が広がっていた。


 さっきまで古風な喫茶店にいたはずの僕は、見たこともない森の中で気を失っていたのだ!


「どうなっているんだ……あの店はどこへ?」


 身体に鞭を打って立ち上がり、困惑しながらきょろきょろしていると、何かが近づいてきていることに気が付いた。先ほどの話し声の主だろうか。陰は二人分あった。


「そうさ、ここで人間が倒れていたのさ」


「ふうん、嘘だったらたまごのサンドイッチを奢ってもらうからな」


 影が近づいて来て、その正体もハッキリと見えてきた。二人……いや、二匹の影だ。1mくらいはありそうな、大きくて真っ白な二匹のウサギが二足歩行でこちらへ向かってきていたのだ。

 一匹はネクタイをしていて、しきりに左腕に付けた時計を確認している。もう一匹のウサギは、ぐうぐうとお腹を鳴らしながら歩いていた。


「あ、いたいた。ほら、言った通りでしょう」


「でも、倒れてないよ。起きてるじゃないか。たまごのサンドイッチ奢れよ」


「なんだよそれ! ズルいぞ」


 二匹のウサギが喧嘩を始めた。それを見ながら、僕はぽかんと口を開けて突っ立っていた。夢か幻か、一体何が起きているんだ?


「君たちはウサギ……だよね?」


 二匹のウサギはきょとんとした表情を浮かべながら互いの顔を見合わせた後、まんまるい目を僕に向けた。


「喋れるんだ、ずいぶんと知能の高い人間みたいだね」


「じゃあ、ぼくたちの遊び相手にもなってくれるかな?」


 ウサギたちはぴょんぴょんと飛び跳ねながら近づいてきて、僕の手を握り、こっちだよと言わんばかりに引っ張った。ウサギたちの力は想像以上に強く、僕はただただ引っ張られることしかできなかった。

 二匹のウサギに連れられるまま歩き続ける。ウサギたちはチラチラとこちらを見るたびに、うふふと笑い合っていた。兄弟か、友達か。とにかく、二匹のウサギはとても仲が良さそうに見えた。

 

 森を抜けると、広大な草原に出た。遥か彼方のどこまでも続いていく雄大な草原地帯。山も川も建物も人の影も、何も見当たらない。

 唯一そこにあったのは、明らかにその場に相応しくないテーブルと、三つの椅子のみだった。テーブルの上には派手なテーブルクロスが敷いてあり、その上には、紅茶のポットとカップが三つ。そして、トランプが一組だけ置いてあった。


「人間さん、ぼくたちとトランプで遊ぼう」


「人間さん、ぼくたちに勝てたら何でも夢をかなえてあげるよ」


 ウサギたちは既に椅子に座っていて、トランプを配り始めている。気が付くと、僕も椅子に座っていた。手元には五枚のカードがあった。


「五枚ということは、ポーカー?」


「そう、よく知っているね。きみが勝ったら、ぼくたちがきみの夢をかなえよう。ただし、ぼくたちが勝ったら……」


 ウサギたちはそこで喋るのをやめ、唐突に紅茶をすすり始めた。


「君たちが勝ったら、僕はどうなるんだい?」


 何を要求されるのか想像もつかず、思わず息を飲む。


「ぼくたちが勝ったら、もうひと勝負だ。きみが勝つまでこの勝負は続いていく」


「それじゃあ、始めようか」


 そう言うと、右に座っているたまごのサンドイッチが好物らしいウサギが身を乗り出し、カードを三枚入れ替えた。続いて、左に座るネクタイをしたウサギがカードを二枚交換した。


 僕も慌てて手札を見たが、とても役を作れそうにない組み合わせだった。一か八かで総入れ替えを試みると、何とか5の“ワンペア”が揃った。


「もういいかい? じゃあせーので見せ合おう」


 負けにリスクも緊張感もない、ただのお遊びポーカーだ。最初はそう思っていた。しかし、その考えが甘い甘いリンゴのタルトよりも甘ったるいことに気が付いたのは、もっと後になってからのことだった。


「ぼくは“ツーペア”だ」


「ぼくは8の“ワンペア”だ」


 負けだ。まあ、今回は仕方ない。


「よし、ぼくたちの勝ちだから、もうひと勝負だね」


「やったね、まだまだ遊べるよ」


 次に配られた手札を見ると、五枚中三枚がクローバーのスートだった。少し間を置いた後、僕はクローバー以外の二枚のカードを交換した。


 恐る恐るカードを覗くと、なんと交換した二枚もクローバーのスートだった!


 よしっと心の中でガッツポーズを決める。同じ絵柄を五枚集めると完成する“フラッシュ”は、“役なし”を含めた十種類の役のうちで五番目に強い。“フラッシュ”以上の役が揃う確率を考えれば、勝てる可能性は非常に高い手札と言えるだろう。


「随分と自信ありげな顔をしているね。じゃあせーので見せ合おう!」


 そう言うと、ネクタイをしたウサギがどうだと言わんばかりのにやけ顔で、Kの“スリーカード”を出した。勝てるもんなら勝ってみろ、という表情だ。


「残念だったな、“フラッシュ”だ!」


 意気揚々とテーブルの上に手札を置き、勝利を確信してニヤリと笑ってみせた。ネクタイをしたウサギは、悔しそうに前歯をガタガタ震わせている。


「わーん、“フラッシュ”かぁ!やられちゃったなあ」


 そう言ったのは、たまごのサンドイッチが好きな方のウサギだった。ウサギは嘘臭い泣き真似をしながら、五枚の手札を裏返しにして、一列に並べ始めた。それを一枚ずつめくっていく。


 ハートの7、スペードの3、ダイヤの7、ハートの3。


「ほら、これで最後だよ」


 ウサギが五枚目のカードをめくった。クローバーの3だった。


「“フルハウス”だ。ぼくの勝ちだね」


 ウサギはぐうと腹を鳴らしながらカードをまとめ、シャッフルしてから再び配り始めた。


 その後も、同じような展開が続いた。ウサギたちに負け続け、もう何時間経ったのかもわからない。役が少しも揃わない酷い手札が連続して、イライラする場面もあった。


 西へ太陽が沈もうと、東から太陽が顔を出そうと、ウサギたちはポーカーをやめようとしなかった。別のゲームをやる気配もなく、ただひたすらポーカーを繰り返す。セミが鳴き始めても、紅葉が森を赤く染めても、雪が降っても、桜が咲いても、ウサギたちはポーカーの席から立とうともしなかった


 もう嫌だ、もうやめたい。元の世界に戻って、自由を謳歌したい。無限に続く退屈地獄を強いられていると、不思議と自分が本当にやりたかったことが見えてくる。

 自由を享受できる喜びに対する憧れと後悔で心が締め付けられる。今のままでは、ニ度とそれを手にすることはできないだろう。そんなのは嫌だ!


 そう願った時のことだった。これまでと同じように、ウサギの手で配られたカードを左から順に見ていく。


 左から、ハートのJ、スペードのK、ハートの10、ハートのK、ダイヤのK。


 Kの“スリーカード”だ。


 普通に考えたら、“スリーカード”で勝負を仕掛けるべきだろう。しかし、勝利に飢えた僕の頭には、別の選択肢が浮かんでいた。

 半端な手札では勝てないことはもうわかっていた。それならば、いくら確率が低かろうと、一番強い役を揃えにいくしかないのではないか。


 ――Kの“ワンペア”を捨てて、何の役も揃わなかったらどうする? 


 ――相手がワンペアやツーペア、弱いスリーカードだったら、後悔するぞ?


 様々な迷いが脳裏をよぎる。違う。今必要なのは、思考ではない。勇気だ。一歩踏み出す勇気を持たなければ、このポーカー地獄は無限に続くだろう。


 僕はスペードのKとダイヤのKを交換した。指先が震える。デッキから引いた二枚のカードを、ゆっくりと手札に加えた。目をぎゅっと瞑った後、恐る恐る片目を開き、一方のカードを見た。


 ハートのAだ!


 高まる鼓動を左手で抑え込みながら、もう一枚のカードを見るべく、反対側のまぶたをこじ開ける。


 僕が引いた最後の一枚は、まぎれもなくハートのQだった。


「よし、それじゃあせーので見せ合おう」


 ネクタイをしたウサギが出した手札は、4から8の“ストレート”だった。続いて、もう一匹のウサギは、Qを二枚と9を三枚の組み合わせで作った“フルハウス”を繰り出した。二匹のウサギは、僕の手元をまじまじと見つめながらクスクスと笑っている。

 二匹のウサギの顔をチラリと見て、僕は静かに口を開いた。


「ようやく勝てたよ。“ロイヤルストレートフラッシュ”だ」


 一列に並べたハートの10、J、Q、K、Aの五枚のカードをテーブルに叩きつけた。


「さあ、僕が勝ったんだ。約束は守ってくれよ」


 無意識に、語気が強まる。いつまでもウサギたちの遊びになんか付き合っていられない。とにかく、いち早く摩訶不思議な世界から抜け出して、自由な自分の世界へ戻りたかった。


 その時、耳を貫くような金切り声が突如として響き渡った。


「いかさまだっ! ズルしたんだ!」


 無様に騒ぎ立て始めたのは、たまごのサンドイッチが好物な方のウサギだった。


 何を言っているのだろう。カードを配ったのはネクタイをしたウサギだ。カードを受け取っただけの僕に、一体何ができるというのか。


「本当だ! 間違いない。彼はいかさましているよ」


 ネクタイのウサギまで同調し始めて、場の空気が張り詰める。


「カードを配ったのは君じゃないか! いかさまなんかしていないよ、素直に負けを認めてくれ。それとも、僕がズルをしたという証拠があるとでも言うのかい?」


 早口でまくしたてると、二匹のウサギは表情を一変させた。真っ白だった二匹のウサギは顔を真っ赤に染めながら勢いよく立ち上がり、椅子を蹴り飛ばしてぴょんぴょんと跳ねた。


「ハートのQだ! ここにハートのQなんか、あるはずないんだ! なのに、きみは持っている! そんなことは、決してあってはならない!」


「これは大問題だ! 森の友たちよ、集まれ! おきてを破る愚かな人間を断罪する時だ!」


 真っ赤な二匹のウサギが叫ぶと、森の中からぞろぞろとたくさんの動物たちが出てきた。リス、タヌキ、ネズミ、カメ、カエル、シカ、アヒル……次々と現れ、あっという間に囲まれてしまった。



 そして、最後に森の中から出てきたのは、不気味な笑みを浮かべた妖艶なネコだった。

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