88であること

かなやま ゆき

第1話

「なんでピアノの鍵盤は増えないんだと思う?」


放課後の音楽準備室、少し埃の被った背の高いピアノに寄りかかる君。

同じ校舎に数ある教室の1つと言えども、どこか隔離されたような、そんな空間。


私は読みかけたホラー小説のページをめくる手を止め、彼女に目をやった。


たしかに。でも考えたことない。そもそもピアノの鍵盤って88個あるんだ。知らなかった。


彼女はおもむろにピアノの蓋を開け、鍵盤をなぞる。音の出ないピアノは、なんだか音を吸収する塊のようだ。


「最初は54鍵だったんだって。そっから増えてって、今の88鍵。」


一番低いであろう音と、一番高いであろう音。

響きを感じながら考えを巡らす。


「なーんででしょう」


彼女はその単調な動作が気に入ったのか、しばらく88番目の鍵盤を人差し指で繰り返す。


「…手が届かないから」


必死に絞り出した結果は虚しく、彼女はにんまりと口角をあげ、こちらを見る。

なんとも癪に障るが、ダメージを受けてませんよ、とアピールするためにやっぱ違うかぁ、と呟く。


一旦離れた人差し指が、また鍵盤に触れる。

音が、振動に変わり、空間に消えていく。

ふいに、人差し指が鍵盤から離れる。

どうやら彼女は早く正解を言いたいようだ。


「正解はー、ここからここまでしか、人は音として認識できないの。」


また、一番低いであろう音と一番高いであろう音を鳴らす。


正解は、合理的な、無駄のない、美しさ。


私はピアノを弾けない。ピアノを好きでもないし、嫌いでもない。


ただ、彼女の得意げな顔を見たら。

ピアノが愛される理由を知った気がした。

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88であること かなやま ゆき @yuki00s1942

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