第14話 心に残らぬ芝居
人気役者、スタークの死は瞬く間にイーストエンド中へ知れ渡った。
ファンは嘆き悲しんだが、そこから始まったのは壮絶な死体蹴りだった。
圧倒的影響力を持つ彼が存命のうちは息を潜めていた記者たちがこぞってスキャンダルを取り上げ始めた。
真偽も確かめられない眉唾の噂から、実際の裏取りがされている真実まで、よくここまで調べ上げたと感心するほどの情報収集能力を発揮しスタークの裏を暴いた。
飛び火するように劇団ギャラクシアの団長カニスの“新人潰し”も明らかにされた。
養成所の元候補生だったり、元団員だったり、彼の毒牙にかかった者達が次々と名乗りを上げ劇団の闇を赤裸々に語った。
事態の鎮静化を図るためギャラクシアはその名を変え、団長は清廉潔白な人物が引き継ぐこととなる。
このようにスタークの始末は各方面に飛び火したものの、一か月後には別の芸人――人気漫談師の“ショウロ”が不倫をしていたというスキャンダルが発覚したことによって多くの人から忘れ去られることとなる。
人の興味はうつろいゆくもの。
結局のところ、スタークの芝居は人の心に残り続けることはできなかったのだ。
さて、ひと月も経てば大抵の怪我は治るものだ。
「――あーあ! ようやく仕事ができるぜ」
カレンの脱臼は無事に完治、癖になってしまったという事もなくきれいさっぱりと治り切っていた。
「それは何よりで」
つまり彼女への罪滅ぼしをしていたリリィが解放されることを意味する。
他人のために尽くすことは聖職者の本分だったが、負い目に付け込んでこき使ってくるカレンには辟易していたのだ。
「さて、と。んじゃまずは――脱げ」
「は?」
「いいから早く脱げよ」
唐突な命令にリリィは怪訝な顔をするも、無理にでも服を脱がそうとしてくるカレンを手で制すと自分で脱衣する。
「……嫌がらせ? もうこれ以上貴女の指図を受け取る筋合いはないのですけど」
「すぐ終わっから
脱ぎたてほやほやのワンピースを受け取ったカレンは手早く
その手さばきは怪我をする以前と変わらず、繊細な指さばきが失われていないことを意味していた。
「よし、着てみてくれ」
「……一体何、を」
訝しげにワンピースを身にまとったリリィは、あまりの快適さに目を見開く。
無理やりベルトで押さえつけられていた胸元にゆとりが生まれ、着心地が圧倒的に改善されていたのだ。
「……苦しく、ない」
「ずっと見てて気になってたんだよ。体に合わねぇ服着られるとどうにも手が疼いて仕方なかったっての」
カレンは自分の仕事ぶりに満足げだった。リハビリとしては上々だろう。
「て、事で――お直し代は1オーバルだ」
そして本命はこちらだった。自分の参加できなかった始末の頼み料を分捕ろうという算段だったのだ。
「は? 貴女が勝手にやったのにお金を取るんですの!? そんな法外な値段、どうして払う義理が」
「あーなんか肩が痛いなぁ」
断固、支払いを拒否しようとするリリィに対しカレンはわざとらしく肩を押さえて痛がってみせる。
「……今度こそ再起不能にして差し上げましょうか?」
「……往来で全裸になっちまうような直しにしてやってもよかったんだぜ?」
火花が散る。
なぜこの二人は流れるように喧嘩となってしまうのだろうか? 根本的に相性が悪いのかもしれない。
演芸の世界で如何にスキャンダルが起きようとも警邏隊は平常運転である。
「――ベルーガ! またお前は……」
スタークの一件ではめざましい活躍を見せていたベルーガだったが、普段はやる気のない昼行燈であることを忘れてはいけない。
彼は焼き菓子店、“ビッグマミー”の季節限定シュークリームを入手すべく列に並んでいた。無論、見回り中にである。
アリスは列に近づくにつれて漂ってくる強烈な甘い香りに決意を揺るがされながらも、ベルーガの腕を鷲掴みにする。
「ちょっアリスさん!」
「今は勤務中だろう!? 買いたいなら終わってからだ!」
「で、でも……季節限定は人気商品で帰るころには」
「うるさいっ! 駄目なものはダメだッ!」
ずるずると、未練がましそうに引きずられていくベルーガを列に並ぶ市民たちはくすくすと笑っている。
どこからどう見ても役に立たない、ポンコツ警邏官の姿がそこにはあった。
「……全く。あのやる気を普段から出してくれれば」
「え? 何のことです?」
全く身に覚えがないと言わんばかりにすっとぼけてみせるベルーガ。
アリスの中で彼の評価は地の底にまで落ちていた。
「はぁ……今度好きなだけ奢ってやるから、今はちゃんと仕事をしてくれ」
「……はぁい」
残念そうに店の方を見つめているベルーガ。
彼はアリスが嬉しそうな表情をしていることに気づくことはなかった。
「――ただいま帰り……こ、この香りは!」
勤務を終え、自宅に戻ったベルーガは玄関先にまで漂ってくる甘~い香りに目を見開く。
アリスに妨害され買うことができなかったビッグマミーの季節限定シュークリームの香りに他ならなかった。
彼は慌てて食堂へ向かうと、そこではメラニアが幸せそうな顔でシュークリームを頬張っているのが見える。
「あら、お義兄さま。遅かったですのね」
メラニアは意地悪そうに笑っている。
残されているシュークリームはあと一つ。だが彼女はそれに手を伸ばしている。
「ま、待った! 一口、一口でいいからください!」
「やだ! お義兄様には差し上げません」
でも、とメラニアは付け加える。
「チューしてくれたら、考えてあげる」
一体全体どこで覚えた駆け引きなのだろうか?
まるで悪女のような微笑にベルーガの心が揺れ動く。
いつもの定位置でコリーが冷たい視線を放っていたが、今回ばかりは効きが悪かった。
「ぐ……ぐぬぬ……」
「えっ……へっ?」
まさか本当にキスを決断されると思っていなかったメラニアは顔を真っ赤に染め上げている。悪女から年相応の少女に戻っていた。
「――ダメに決まっているでしょう」
「あっ」
しかしコリーは義兄妹の過度なスキンシップを許さず、メラニアが持っていたシュークリームを奪い取ると自分の口に運んだ。
ベルーガは恨めしそうに義母を見つめるのだった。
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