第103話 最強少年は運命を変える。 3 閑話 杠芸能プロ社長 鞍馬健吾



 俺はあのとき、港区のとあるタワマンの陰に身を潜めていた。


 北沢の女絡みの悪評はとみに有名だ。なにしろ奴自身が武勇伝のように周囲に語ってやがるからな。俺も酒の席で奴の下らねえ話に付き合う羽目になった時は反吐が出たが、今となっては貴重な手掛かりだ。一体何が幸いするか解らねえもんだな。

 あの野郎はこのタワマンを女を連れ込む為の部屋として使っているのだ。


 このタワマンは高級なだけあって警備は厳重極まる。エントランスには常時警備員が目を光らせ、その奥のエレベーターに続くドアにもコンシェルジュが駐在し外部の人間は中の住人がロックを解除しないと通れない仕掛けだ。


 つまり侵入者が容易に立ち入れないようになってやがる。

 だが俺はこの奥にいるウチのガキを連れ戻さなければならない。

 綾乃に続いて鈴菜まで傷つけさせてたまるか! 俺の命に代えても必ず助け出してやるからな。



「なあ、あんたが鞍馬社長か?」


 なんとかタワマンに侵入すべく離れた路地裏から身を屈めて様子を探っていた俺、鞍馬健吾は全く予期しなかった背後からの声に身を強張らせた。


「だ、誰だ!」


 これでも芦屋の下っ端としてかなりの修羅場をくぐった自負がある。そんな俺でも一切の気配を感じさせずに背後に立たれたことで緊張と合間って上ずった声が出ちまった。


 この声が相手の警戒感を生じさせない軽い口調じゃなかったら即座に臨戦態勢になってただろう。


 そこにいたのは金髪の外国人の少年だった。


 だが、なんだろうな。この原田よりも少し若いくらいの兄ちゃんは不思議な印象を俺に与えたんだ。だからか、鈴菜がどんな目に遭っているか不安でたまらねえってのにこいつと会話する気になった。


「なんだお前。その気配からするに俺を狙う芦屋の刺客って訳じゃなさそうだが?」


 芦屋を裏切った俺の首には賞金がかかっている。百万ぽっちなので御堂葵のように目の色変えて追いかけ回されることはねぇが、それでも数回狙われているので警戒はしている。

 だがこの兄ちゃんは全くの自然体だ。道に迷ったので尋ねてみたと言われた方が納得するくらいにな。 


「ああ。あんたに話があってやってきたんだが、どうやら取り込み中のようだな」


「ああ、悪いがお前さんの相手をしている暇は無え。こちとらこれから鉄火場なんでな」


 後から考えればどうやって俺がここにいることを突き止めたんだとか、疑問は山ほどあるんだがあのときの俺は鈴菜を助け出すことで頭が一杯だった。


 俺の不甲斐なさが原因で鈴菜を思い詰めさせちまった。

 どんなことをしても俺はあいつをあの場所から連れ戻さねえといけねえんだ。


「1人でか? それはなかなか大変じゃねえの?」


「んなこたぁ解ってる! それでも俺はやんなきゃならねぇんだよ」

 

 もしチャンスがあるとすればありきたりだが他の住人と一緒にロックされたドアを越えるこどだろう。


 だがそんな使い古された手口が通用するとは思えねえ。警備員だって闖入者には警戒するし、突然背後に俺が居たらここのタワマンの住人も驚いて距離をとるだろう。

 だから第一段階として、まずはこうして隠れながら他の住人らしき人物が見えたら交渉を持ちかけるしかねえんだ。



「そうすべきなんだろうが、次の機会を狙うほど俺もそこまで暇じゃなくてな。勝手に手伝わせてもらうぞ」


「な、なんだって?」


 突然変なことを言い出した金髪の兄ちゃんに俺は戸惑った。後にしろといったら手伝うと言われたんだから当然だが……どうするつもりなんだ?


「あんたの用事はあの建物の中にあるのか?」


「あ、ああ。俺のせいであのタワマンのどこかに身内が捕まってんだ。絶対に救い出さねえとならねえが、敵も素人じゃねえ」



 北沢もの人間だ。四大宗家の流れを汲む人間ではないが、油断はできない。

 俺も似たようなもんたが、芸能界に居られる程売れたわけでもないが、かといって術士として飯を喰える力があるわけでもない半端野郎がこの業界には結構蠢いている。

 奴もその1人だが、その中でも北沢は外道どもとの黒い噂が常に付きまとっている。芦屋も外法使いと揶揄されるが、それは使えそうな術式は何でもつまみ食いする悪食を貶されているだけで、本当の外道に比べれば可愛いもんだ。


 奴等は本気でヤバい。今となっては敵に回すことに躊躇いはないが警戒は最大限にしておくべきである。



「……なるほど。そういう事情なら俺も無関係じゃないな」


「あん? そりゃ一体何の話……おい!」


 そのままスタスタとタワマンに向かう兄ちゃんの背中を俺は慌てて追いかけた。警備員が張り込むエントランスに策もなしにカチ込んだらすぐに捕まっておしまいだ。


「待てっての。無計画で突っ込んでも通してくれるはずがねえだろ。冷静にチャンスを狙わねえとよ」


 この兄ちゃんが下手に暴走して警備員の警戒心がマックスになるのは避けたい。こいつが下手打つのは勝手だが、俺に害があるなら止めないとな。


「あんたの顔を見てりゃ、そんな悠長にしていられる時間があるようには見えないが?」


「…………」


 その通りだ。今この瞬間にも鈴菜がどんな目に遭ってるか想像もしたくねえ。

 白昼堂々襲われた綾乃は亘の奴を庇って一生ものの傷を負った。

 本人はこの子を守れてよかったとか言ってやがったが、1人になったときに聞こえてきたすすり泣きを俺は生涯忘れることはできないだろう。


 全部、なにもかも俺のせいだ。


 俺の見通しの甘さが綾乃を傷つけ、そして今度は鈴菜まで屑の毒牙にかかろうとしている。

 この兄ちゃんの言う通りだ。もう時間なんざねえ。

 どんなことをしても鈴菜を必ず助け出す。


「待て、俺が先に行く。兄ちゃんは関係ねえ、警察のご厄介なることに巻き込むわけにはいかねえよ」


「さっきも言ったろ。俺も無関係ってわけでもないのさ。俺はあんたに会いに来たが、結果としてこの状況はそう悪くない。まあ見てな」


 俺の制止も聞かず金髪の兄ちゃんはタワマン内部に入り込むと、なんと最も警戒すべき警備員に話しかけやがった。

 まずい、奴等に怪しまれたら中に入るなんて絶対に無理だ。

 同行者だと思われちゃかなわない。たまらず来た道を引き返した俺はタワマンのエントランスから距離を取ったんだが……


 しばらくしてあの兄ちゃんが出てくると周囲を見回して俺を見つけ、なんとこちらに手招きしたのだ。

 まさかと思い警戒を怠らず近付くとどういうわけか兄ちゃんと警備員が並んで立っている。突然乗り込んだ不審者が追い出されないのは何故だ?


「彼等と話はついたぞ。これから目的の部屋が何処なのか探ってもらう所だ。相手の名前とか知ってるんだよな?」


「な、なんだって!?」

 

 この個人情報保護が煩い時代だ、そう易々と住人の情報を教えるはずがない。まさかこの男、警察関係者なのか? 嘘だろ、下手すりゃ中坊にだって間違られる背格好だぞ?

 

「に、兄ちゃん、あんた一体何者だ? それにどうして俺にここまでしてくれる? 俺の事を知ってるんだ、どういう状況にいるかもわかってんだろ?」


 俺の問いかけにタワマンに常駐しているコンシェルジュと話していた兄ちゃんはこちらに振り向いたんだが……その碧い瞳を見た俺は思わず息を呑んだ。


 本当になんなんだ、こいつは!? こんな強い眼を二十歳前の奴がするなんて信じられねえ。かつて老境の名優が最後に見せた眼光を思い出したが、この兄ちゃんはそれ以上だ。



「俺は玲二の仲間だ。あいつがあんたに大層世話になったと聞いて礼を言いに来たんだが、取り込み中のようだからな。あいつの代わりに借りを返すことにしたのさ」


「は、原田の仲間、だと……」


 あの規格外の男の同類か。そう言われれば納得できるが、原田は霊力こそ人外の極みだが、それ以外はいたって普通の高校生だ。初めて乗り込んだこの場所で警備員を説得して警察の真似事なんて出来る奴じゃなかった。


 あまりの事態に圧倒される俺に兄ちゃんは怪訝な顔をこちらに向けた。


「おい、あんたはここに用事があるんだろ? 黙りこんでどうすんだよ」


「あ、ああ。すまねえ、目的の北沢修三って奴の部屋なんだが、その名義で登録してるかどうかは分からねえ」


 大人しくホテルでも取ってくれりゃあそこに押しかけるだけで済んだんだが、鈴菜

の奴はスマホの電源切ってやがるし、これ以外に情報はないのだ。


「ありました。4033号室が北沢様のご自宅となっています。こちらはマスターキーです、ご利用ください」


 ……なんだこれは? コンシェルジュが初見の奴相手に部屋の鍵まで渡すだと? 有り得ねえだろ、こんなの。


 だが俺は心中で湧き上がる疑問を理性で押さえつけた。今考えるべきことは鈴菜を無事に連れ帰ることだけ、それ以外は全部無視だ無視。


 どんな手口を使ってるのか知らねえが、この兄ちゃんは俺のために骨を折ってくれてんだ。事情を根掘り葉掘り聴くのは仁義に反するぜ。


「へえ、難航するかと思ったが意外とすんなり判明したな。手間が省けてなによりだ」


「ああ。お前さんの男気に応えるためにも、さっさとカチ込んでウチの阿保たれを連れ帰るとするぜ」



 

「……なるほど、面白いオッサンだ。玲二が気に入るはずだぜ」


 エレベーターに向かう俺に背後の兄ちゃんの声は届くことはなかった。




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