ささやかなこと

おりはらひなた

2023年 初夏

 2023年の6月初旬。高校の頃の友だち三人と、約一年半ぶりに再会した。

 二週間前だか、三週間前だか、とにかく事前に連絡をとり合って、ようやく導いた都合の良い日がその日だった。

 当日、目が覚めたとき、どうもそわそわしてしまって、一瞬だけ、ドタキャンしようかと魔がさした。予定が入っている日の朝は、期待と負担がせめぎ合って堪らない。

 それでも、なんとか化粧をして、お気に入りのTシャツとダメージジーンズを履き、朝ごはんに手づくりのパンを食べると、心の準備が整った。

 昼ごろになって、「もうすぐ着くよ」と、ひとりの友だちからメッセージが送られてきて、私はマンションの外へ出た。私以外の三人は、すでに車に乗っていて、私を迎えにくる最中だった。

 マンションの前に車が止まったとき、私は思わずどきどきした。

 止まった車のドアを開けると、なつかしい顔ぶれがあって、そのうち一人に至っては、運転席に座っている。高校の頃、さんざんに会っていた人間が、まるで大人のように(大人である)、運転をするなんて、にわかに信じられないことだった。

 後部座席に座って、車が動きだすと、私は頬がゆるんで仕方がなかった。だから、隣の友だちにばれないように、窓のほうに顔を向けて、景色を眺めるふりをした。


 行き先は、前に座るふたりが事前に決めてくれていて、これから山のなかのカフェに行くとのことだった。

 私は、流行りの場所に疎いので、そのカフェがどのような場所か想像もつかなかったけれど、スマホで検索した画像を見せてもらうと、順従に胸が躍るようだった。写真をみるだけでも、素敵な場所だとわかった。

 山道を車で走りだして、四十分もしないうちに、そこへはたどり着いたと思う。

 土や石が転がった、簡易な駐車場に車をとめて外へ出ると、自然のにおいを全身に感じた。そして、山とは全く反対なのだけれど、幼い頃によく行った、海水浴場の駐車場を思い出した。 

 とても、不思議な感覚だった。


 肝心のカフェは、かなり特殊なシステムで、事前に見た写真以上に凝っていた。

 私たちはまず、狭い(文句ではない)店内で、各自食べたいものを注文した。 

 ショーケースには、オーガニック風のカップケーキや、パイなども並んでいたと思う。しばらく待機をして、食べ物と飲み物を受けとると、四人で手分けして、折りたたみの椅子を運んだ。

 わずかな傾斜をのぼったそこは、四方いっぱい、木々に囲まれた場所だった。

 詳しく説明すると、崖(というほど危険ではない)のような、山々のくぼみのようなところに、点々とウッドデッキが設置されていて、秘密基地を優雅にした雰囲気だった。

 たしか、六組か七組分のスペースがあったと思う。私たちは、そのうち一番大きなウッドデッキの、横長の机に腰かけた。

 視界いっぱいに木々が立ち並び、ぐんぐんとそれらが上に生えている様子は、かなり非現実的で、今でもずっと忘れられない。

 私は、あんバターのホットサンドをセレクトして、二人の友だちは、惣菜系のホットサンドをセレクトした。もう一人の友だちは、たしかキッシュを頼んでいたけれど、どんな具材だったかは詳細に覚えていない。

 

 ホットサンドは、かなりの絶品だった。

 そのときすでに、昼ごはんの時間を過ぎていたし、お腹が空いていたせいかもしれないけれど、それでも、これまで食べたあんバターサンドのなかで一番の味だった。

 まず、こんがりと焼けたパンの表面と、プレスされてくっついた耳の部分から、本物の香ばしさを感じたし、粒あんにバターが溶けて絡まっているのも、悪魔的な調和だった。

 私たちは暫く、黙々と自らの食事にいそしんで、その間私は、木の葉のゆれる音や、風の気配を楽しんだ。

 食事をし終えると、恒例のおしゃべりが始まって、アルバイトのシフトのことや、新人への教育や、職場での上下関係の話が飛び交った。 

 実際には、飛び交ったといっても、私はほとんど聞き役にまわって、うんうんと頷き、たまに意見をした。

 私は、他の三人の話を聞きながら、終始、皆大人なのだな、と考えていた。

 私が、極端に社会経験が少ないので、尚更そういうふうに考えたのかもしれない。そして、このまま私だけ、大人になれないのかもしれない、とも思った。

 だけれど、不思議なことに、取り残されているとは感じなくて、三人の話を聞いているのは面白かった。三人といると、そのままの自分でいられる気がするし、たとえ着いていけない話が展開されても、全く苦痛ではなかった。だから、私は常々、彼女たち三人と仲良くなれて良かったと思う。

 二時間くらいしゃべり続け(うそではない)、気がつくと、辺りにはどの客もおらず、私たちだけが残っていた。本当の意味で、時間を忘れる、という経験は、あのときが人生で初めてだったのではと思う。

 おぼんや椅子などを返却し、片づけをすませると、私たちはウッドデッキを離れ、すぐそばの展望デッキに移動した。そして、そこでほかの山々を眺め、四人で写真を撮った。

 山にいるせいか、そのときは空や太陽がとても近くに感じて、さらには夕方に近い頃だったので、陽の光はかなり暖かかった。今思い返しても、6月であることをすっかり忘れるくらいの、快活で良好な天候だった。


 車に戻って、これからどうしようか、となると、ごく自然な流れで海へ行くことになった。

 海に向かう途中、車のなかから見た空は、日が落ちてきてピンク色になり、ほとんど夢のようだった。

 実に、その海に降り立つのは3年ぶりで、私はかなり、感極まっていた。

 砂浜をそれぞれが好きに歩いて、私はきれいな貝殻を集めまわった。白濁色の、端が割れたものや、ベージュの縞模様が入ったものまで、砂をざりざりと探って、それらを見つけ出した。あるいは、さざなみの煌めきを写真に撮ったり、水がすーっと砂浜に被さる様子を、動画に収めたりもした。

 友だちがフィルムカメラを持っていたので、海を背景に、私ひとりの写真も撮ってもらった。 

 縦と横、どちらの写真の向きがいいかと訊かれて、私は横がいい、と応え、なるべく自然なように微笑んだ。

 ちょうど、夕日が水平線に消えていく頃、私は少し泣きそうだった。

 

 海を離れて再び車に戻ると、夜ごはんの話になって、私たちは回転寿司に行くことにした。

 私は普段、家族としか回転寿司に行かない上に、そもそも外食に行くのも久しぶりで、内心どこか、緊張していた。近年は、注文から何から、スマホで済ませられることを知ってはいたので、そういう最新鋭なしくみに適応できるかも不安だった。

 某回転寿司チェーンに着くと、私は思っていた以上に面を食らった。

 店内がとても明るくて、お客は程々に多かったし、子どもがスマホを使って(おそらく)オーダーしているのを見ると、あまりに近未来的で驚いた。私自身、親の世代よりも、機械の事情に慣れているとはいえ、世間よりは遅れている自覚があった。

 私と、三人の友だちは、それぞれ五皿ずつ食べたと思う。いちばん記憶に残っているのは、サーモンとマヨネーズのなんとかで、こってりとした濃い味がおいしかった。

 幼い頃は、寿司などいくらでも食べられたのに、あのときは胸がいっぱいだったので、四皿目を食べ終える頃には少し苦しかった。

 

 店を出ると、外は真っ暗になっていて、完ぺきな夏の夜を迎えていた。

 車に乗って走りだすと、ひとりの友達がアイスを食べたいと言い出して、私たちはコンビニに寄ることにした。

 こんな夜に、高校の頃の友だちとコンビニに来ている。

 そう考えると、やっぱり慣れなくて、私は、やや浮かれた気分でチョコモナカのアイスを選んだ。

 時刻は21時を過ぎていて、私はかなり高揚していた。

 モナカのかすが、座席のシートに落ちないよう、慎重に咀嚼をすること。友だちの内の一人が、なつかしい氷菓のアイスバーを食べていること。そして何より、普段の私ならあり得ない時間帯に、暗い車内で友だちと過ごしていること。

 あの瞬間のすべての要素が、妙に私をドギマギとさせた。べつに、悪いことは何もしていないのに、まるで親たちにばれてしまうのではと、すっかり怯える子どもの気分だった。

 

 今日、2024年の1月7日。私はこの文章を書いている。

 つい先日、湯船に浸かっているときだった。

 ジップロックに入れたスマホで、次に流す曲を選んでいると、友だちの一人からメッセージが送られてきた。(車の後部座席に、私と隣同士で座っていた子である。)

 バナーの通知をタップして、アプリを開くと、「現像したよ」の言葉と共に、微笑む私の写真が添付されていた。

 私は、我ながら、「いい顔だなあ」と思った。もちろん、整っているだとか、そういう意味ではない。ただ純粋に、私らしかった。

 私は一気に、あの日の記憶がよみがえって、改めて、うつくしい一日だったと思った。もはや、欠けたところが何もなくて、幻だったのではないかとも感じた。

 私はしばらく、鼻の下ぎりぎりまでお湯に浸かって、写真のなかの自分を眺めつづけた。途中、水圧で肺が圧迫されようとも、そんなことはどうでも良かった。

 数分後、私はわずかに姿勢を伸ばして、「懐かしいね。ありがとう」と、返信した。そして、グッドポーズの絵文字も付け加えようとしたけれど、それは恥ずかしくて送らなかった。

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