時限爆弾、赤を切るか青を切るか

見切り発車P

本文

 こんなふうになっちまうんだよな。ノアは半ば呆れながら納得した。

 そもそも自分という人間は、どこか流されてしまう性質があって、そして不思議なことに、流された先はたいてい最悪の選択肢なのだった。

 今回ノアがマザーコンピュータの内部の爆弾を解除するはめになったのも、状況に流されたからだ。

 ノアには、サロメという恋人がいたが、ある日突然、彼女はノアに別れを告げた。クリスマスプレゼントの日に贈ったネックレス(−294℃というブランド品)が、チャチな作りだと炎上していたのを見たとかの理由だった。きっとそれは、本当の理由ではないだろう。積もり積もったものがあるのだろう。しかしノアには、何が彼女を怒らせたのか、理解できなかった。そのネックレスはノアにとってはかなりの値段を払って買ったものだった。つまるところ、生活レベルの不一致だ。ノアはギリギリ2級市民だったが、ノアの父親のエイブは3級市民だった。サロメは生まれついての1級市民だ。そもそも、価値観がかなり違った二人だった。

 そんな別れのあと、傷心のノアは自暴自棄になって、マザーコンピュータの整備をする仕事に応募した。マザーコンピュータとは、つまり、ノアやサロメや、エイブやマグダレンといった、すべての市民の思考をシミュレートしているコンピュータだ。マザーコンピュータの整備は、すべての市民の生活がかかっている重要な仕事だ。誉れ高く、また、賃金もそれ以上に高い。唯一の問題は、マザーコンピュータの整備をするためには、メモリ上でシミュレートされた状態から、肉体を帯びた状態にならなければいけないということだった。マザーコンピュータは『ガニメデ』という星の衛星軌道上にあるが、その人工衛星の中に、本物の肉体を持って入らなければならない。シミュレートされた状態になれてしまった現代っ子にとっては、相当な抵抗がある。何と言っても、肉体は『死ぬ』こともあり得るのだ。

 とはいえ、ノアは自暴自棄になっていたので、あっさりと応募してあっさりと採用され、あっさりとガニメデに飛ばされていた。そして、マザーコンピュータのパーツを交換したり、デブリをレーザーで撃ち落としたりといった日々の業務に励んでいた。『肉体持ち』も悪くないなと思い始めたころ、マザーコンピュータに爆弾が設置されたことを知ったのだった。当然、解除する仕事は肉体を持つ彼がやらなければならない。

 だいたいのところは、マザーコンピュータ自身や、先輩エンジニアのマグダレンが行うことができる。すなわち、犯人のテロリストを突き止めるのはマザーコンピュータが、テロリストの人格をコピーするところはマグダレンが、それぞれ行ってくれた。しかし爆弾そのものは『実物』なので、肉体を持つノアが解除しなければならなかった。情報はマグダレンが送ってくれた。

「爆弾を仕掛けてある場所を吐かせた」

 マグダレンが通信で言った。

「やはり中枢部か?」

 ノアが尋ねると、マグダレンの映像は首を振った。

「いや、補助記憶装置の保管されている倉庫だ。中枢部は高熱を発しているから、爆弾をしかけるのは難しい。それに、中枢部が仮に破壊されたとしても、記憶装置が生きていれば、データをサルベージできる可能性もある。だが、補助記憶装置が破壊されたら、マザーの持つほとんどすべてのデータは破壊され、消える」

「つまり犯人は、マザーコンピュータというよりは俺たち市民を狙っていたんだな」

 ノアが言うと、今度はマグダレンもうなずいた。

「そうだ。まだ尋問中だが、様子からみると犯人は5級市民。5級の生活は、君も触れたことは無いだろうが……」

「悲惨だとは聞いている」

 テロリストは、市民のカースト制に疑問を持っていたのだろうか。ノアは考えに耽りながら、補助記憶装置の保管倉庫に向かった。

 暗闇の中で、ロボットたちのLEDがチカチカと光っていた。彼らは暗闇でも十分に用事をこなせるが、人間はそうはいかない。ノアは電灯のスイッチを入れた。

 何列にも並んだ記憶装置の棚のちょうど真ん中に、不自然にもダンボールが置かれていた。これが爆弾なのだろう。

「マグダレン先輩、それらしきものを見つけたが」

「こちらも確認した。それが爆弾だ。マザーと私の言う通りの順序で作業してくれ」

 ダンボールを持ち上げ、天地を逆にする。

 ダンボールの継ぎ目を、カッターで切り裂く。

 出てきたのは3つの小箱。

 黄色い小箱は離れたところに置く。

 赤い小箱と青い小箱は、離れないように気をつけて床に置く。

 赤い小箱を開け、中にはいっていた砂時計を反対にする。

 青い小箱を開け、中にはいっていたパズルピースを所定の場所にはめる。

 そして黄色い小箱に手を伸ばす。

 黄色い小箱を開ける。

「ワイヤーが見えるはずだ。そのワイヤーを切ることで、爆弾の起動を止められる」

「待ってくれ、ワイヤーは2本ある」

「2本――だと?」

 ノアはワイヤーを見つめながら、通信で話した。

「赤いよじれたワイヤーと、青いカールしたワイヤーだ。どちらを切ればいい?」

「……、待ってくれ。もう一度尋問してくる」

「その必要はない! 直接説明してやる!」

 別の声が通信に入った。どうやら、テロリストの声らしい。

「では、話せ」

 マグダレンが冷たい声で言うと、テロリストは興奮気味に、

「まず言っておくが、そのワイヤーを両方切ることは許されない。通電が完全に無くなると、その場で爆発する仕組みだ」

「分かった」

「そして、ワイヤーを切らないでおいておくと、爆弾はまだ起動可能だ。設定では20分後に起動する」

「どちらかを切るしかない、ということだな。どっちだ?」

「それは、俺にも分からない」

「はっ?」

「その爆弾には重力時計が入っている。起動までの残り時間を測るための時計だ。そして、その残り時間の下一桁が、ゼロかイチかによって、どちらのワイヤーを切ればいいかが決まる。ちなみに、ゼロなら赤だ」

「……その下一桁とは、どの単位上の話だ?」

「なかなかいい質問だ。それは、1970年からの経過ミリ秒だ。ただし、2進法で表現されているがな」

「ミリ秒……、1000分の1秒か。つまり、1000分の1秒経つごとに、正解が変わってしまうということか」

「その通りだ。私のアジトには、その爆弾と対になる重力時計があり、それをうまく利用すれば、正解のタイミングでワイヤーを切ることは、可能だろう。しかし、こちらの美人のエンジニア氏がいくら急いだとしても、ガニメデにいる君にそれを渡すには、間に合わない。だから君は、今どちらかを切るしかない」

「ゼロなら赤、イチなら青……」

 ノアはワイヤーをじっと見つめた。

「待て! こんなやつの口車に乗ってはだめだ!」

 マグダレンが叫ぶように言った。

「きっと何か方法があるはずだ! マザー、何かアイデアは無いのか?」

「私は切ることを勧めます。2分の1の確率で、我々は助かります。このまま手をこまねいていれば、20分後には確実に死にます」

「マザー……」

 マグダレンは落胆したように言った。

「3級……、いや、2級市民か? 君は?」

 テロリストが尋ねた。

「2級だよ」

「大きな責任を負わされたものだよなあ。俺が見たかったのは、君のような下っ端が、どう爆弾に対処するのか、だったんだがな。

 それによってカーストを巡る世論は変わる、はずだった。

 まあ、君がビビってワイヤーを切れなかったら、世論どころじゃなくなるんだけどな」

「……」

「話している間に10分は経ったぞ、さあ、どうするんだね、2級市民?」

 ノアは、ワイヤーを見つめたまま、顔を動かさずに言った。

「俺は、生まれてからここまで、流されてばかりの人生だった。そんなだからこういう、他にどうしようもない状態にまで、追い込まれてしまったんだろう。だが、今回ばかりは、決断ってやつが必要なようだ。俺は、赤を切る。ゼロを切ってイチを残す」

「そうか。それでいい。俺は、君の決断を尊重する」

 テロリストが言った。

「違う! 君がそんな責任を負う必要はないんだ!」

 マグダレンが言った。

「なお、イチを切ってゼロを残した場合でも、確率はフィフティー・フィフティーです。しかしながら、このまま爆弾の起動を待つのは、確実な死を意味します」

 マザーコンピュータが言った。

 ノアは、赤いワイヤーを切った。市民たちの命がかかっている割には、あっさりと切れた。


*


「……何も起こらない」

 ノアは呟いた。

「おかしいな、解除されたら解除されたで、アラート音が鳴るようにしておいたはずだが」

 テロリストも状況がつかめないようだ。

「発言をお許しいただけますか」

 マザーコンピュータが言った。

「なんだ?」

「赤いワイヤーを切ることで、爆弾は『起動待ち』状態になりました。しかし、重力の計算が違っていたため、我々には20日の猶予があります」

「しまった……、重力時計……! 地球とガニメデの重力差によって、時計の進み方が変わってしまったのか……」

「その通りです、テロリストさん。さらに付け加えるならば、ガニメデ付近には木星の超強力な重力場があります。これらによって、時計は想像できないほどカオティックに進みます」

「20日、まだ時間があるんだな! よし、ノア、本格的な爆発物処理班に『肉体』をまとわせることができるぞ! 我々は助かるんだ!」

 マグダレンが喜び勇んで言った。

「ま、待ってくれ。俺の人生を賭けた決断は、無駄だったってことか?」

「そうですね。あなたが切った赤のワイヤーは、外れだったのは確かです」

 マザーコンピュータが言った。

「せっかく気合を入れて切ったのに……」

「ほ、ほら、挑戦することに意義があるって言うだろ」

 マグダレンが引きつったような表情で言った。

「一緒にテロでもするかい?」

 テロリストが慰めるように言った。

「人生とはそういうものだと、私の辞書にあります」

 マザーコンピュータが明るい声で言った。

 ノアの人生は、まだもう少し流される方向で進みそうだ。ただし、今回は、自分で決断したことによって、流される方向が変わったような気がした。

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