決行は今日の夜

草森ゆき

決行は今日の夜

 杜田祥平もりたしょうへいは二学期の真ん中という中途半端な時期に転校してきた。黒板の前で自己紹介をさせられていて、クラスは少しだけざわついた。笑い声も聞こえた。何せ杜田の話す言葉は訛っていた、関東平野に立つ俺たちの中学校じゃ明らかに浮く程度には、地方の言葉遣いだった。

 笑っていたのは所謂ガキ大将で、クラスの中心人物の男子だった。そいつに合わせて周りもクスクスクスクス、うるっせえな……と俺は思ったが杜田も同じだったらしい。先生に席を示されたあと、そこには向かわず真っ直ぐにガキ大将へと向かっていって、無拍子で殴った。不意をつかれて椅子から転げ落ちたところに蹴りまで入れていて、中々すごい騒ぎになった。

 こうして杜田は転校初日で孤立した。

 最も、そんなことはどうでもいいらしかった。


 中学校の校舎裏には人がまるでいない。雑草が栽培された畑だったものがあり、錆び切った園芸用スコップが転がっている。校舎にもたれ掛かると正面にはフェンスとビルの壁が見える、大体は影に沈んだ寒々しいところだ。昔は不良が溜まっていたらしい。今もそう変わらない。

「永山」

 話し掛けられて顔を上げる。学生服を真面目に着ている杜田がいて、でも口には煙草を咥えているからちぐはぐだ。

 軽く手を上げると隣まで来た。差し出したライターを杜田は無言で受け取った。

「授業は?」

 わかっているのに聞いてみると、

「知らん。僕数学嫌いやし」

 淡々とした返事が来る。

「杜田ってさあ、その煙草どうやって手に入れてんだ?」

「おかんが渡してくる」

「でもライターはくれねえんだ?」

「マッチ派なんやと。逆にそんなもんどこで手に入れてんねんやろな」

「百均とかに売ってんじゃね」

 杜田はふっと鼻で笑い、やっと咥えた煙草に火を点ける。

 立ち上る煙を追っていくと青空に辿り着く。校舎とビルの間にうまれた部分的な青色を、俺の視線を追った杜田も見上げた。それを視界の端に認めながら、青はあんま好きじゃねえなあと声に出す。杜田は何も言わないまま煙を吐いた。

 チャイムが鳴っても俺たちはそこにいて、こんな学校生活を続けていれば将来が完全にまずいってことをわかっているのに、現状を抜け出すつもりがまるでない。


 杜田の喫煙はクラス内に知られていた。先生に指導されたことも何回もある。親も呼び出しがかったらしいが、あいつが来るわけあらへんやろと杜田は言い、実際に母親は来なかった。父親は死んだと校舎裏でヤニを吸う傍ら教えてくれた。教えてくれたというか、世間話のついでのように話した。転校の理由はその辺りみたいだったが特に突っ込んで聞かなかった。

「永山の、そういう周りのことどうでも良さそうなところ、親父に似とるわ」

 地面に吸い殻を押し付けながら杜田は言った。

「いつか、まあもうどうでもええか、と思うて死ぬんかもな、お前も」

 そう付け足して立ち上がり、昼にもなっていなかったが帰ると告げて何処かへ行った。俺は立ち去る後ろ姿を見送ってから空を見上げた。曇っていて、灰色で、暗かった。

 火事があったのはその日の夕方だ。燃えたのは中学校近くの商店街で、廃業したばかりの元自転車屋だった。立ち上る煙と炎は中学校からはっきりと見えたらしい。消防車が何台も来て、うるさかった。野次馬に紛れながら見上げた火は赤くて、綺麗だった。


 放火らしいと噂が立ち、犯人は杜田らしいと更に噂は深まった。恐らく喫煙者だからで、明らかに孤立しているからで、噂の出所はぶん殴られて蹴りつけられたガキ大将だった。杜田は否定しなかった。でも肯定もせず、困った教師に呼び出された母親はやはり姿を現さず、杜田は煙草を学ランのポケットから出しながら校舎裏の俺のところまでいつものようにやってきた。

「放火さあ、お前じゃねえなら、さっさと否定すれば」

 一応そう言ってはみたが、杜田は特に何も返さず、煙草を半分ほどで消すと何処かへ行こうとした。

 追い掛けた。校門から出て行く背中に追い付いて、隣に並んで歩いた。商店街の近くを通り過ぎる。燃え尽きた自転車屋はそのままで、黒ずんだ木材が巻かれたブルーシートの間に見えていた。杜田は何も言わないまま歩く。なあ杜田、帰んの。俺が聞くと横目だけがこっちを見た。帰るけど、ついてきてもええけど、やめたほうがええで。そんな言い方をされるとじゃあやめとくって逆に言えなくなって俺は杜田と一緒に粗末な造りの安アパートまで一緒に歩いた。古びた木造の外観は燃えそうだった。一階の一番端の部屋まで真っ直ぐに向かった杜田は、鍵を開ける前にほんの一瞬だけ躊躇った。

 でも開けた。その瞬間に反射で吐いた。玄関前のろくに掃除されていないコンクリートの上に、俺の胃液がぼたぼたと落ちた。

「やめたほうがええでって言うたやん」

 杜田は扉を大きく開け放った。鼻をついた異臭が更に膨らんで、また吐きそうになったけどどうにか堪えた。

 部屋の奥に目を向ける。狭い部屋の中、ゴミの散乱する異様な光景の更に奥、床に転がっている人型の影の周りを飛び交う蝿を何匹も確認してから俺は一回閉めてくれと杜田に言った。杜田は黙って扉を閉めた。

 転がっていたのは、杜田の母親らしかった。母親は寂しかったのか父親似の杜田に手を出そうとして、杜田は気持ち悪かったため近くにあった灰皿で殴り、そのまま殺してしまったそうだった。

「……杜田お前、大丈夫か?」

 俺が聞くと、

「お前こそ大丈夫なんか?」

 そう返って来た。

 さっき盛大に吐いたから心配しての言葉じゃなかった。

 あーこいつ俺が燃やしたって知ってんだなと理解せざるを得なかった。


 腐乱死体の転がる部屋はキツかったので、近くの公園に移動した。人は誰もいなかった。

 ベンチに横並びで座りとりあえずお互いの話をしたが、お互いにまったく大丈夫ではないとしか言えず、現状は深刻に詰んでいた。

「なんで俺が放火したって知ってんだ?」

 気になって聞いてみた。

「ライター、煙草吸わんのに持ってたから」

 当たり前のように返されて、それだけかよとつい笑った。杜田は無表情だったが、別に怒っているわけでもないともうわかっていた。懐から出した煙草は最後の一本らしい。母親がいないから、煙草を買うことが出来ないようだ。

「禁煙出来るじゃねえか、やったな」

「なんもようないねん」

「それはまあ、お互いじゃん。マジでどうしよ、……つうか杜田お前、俺が燃やしたって知ってたんならそう言っちまえば犯人扱いされなかったんじゃねえの」

「放火と殺人ってあんま変わらへんやろ。どっちでもええわ」

「あー、それはそうかも」

 杜田は溜め息をつき、俺に向けて掌を差し出す。その上にライターを置く。煙草の先端は燃やされて、赤く灯る瞬間はいつ見ても綺麗だ。赤色はいい、一番好きだ。そう話すと杜田はふっと煙を吐いた。

「なあ、永山」

「うん?」

「あのアパート燃やす気あらへんか?」

 ちょっと止まった。それから考えた。杜田は黙って煙草を吸い続けていて、フィルターだけになったところで俺は決めた。

「いいぜ、燃やすよ」

「そらおおきに」

「でもお願いがあってさあ」

「何?」

「火つけたあと、とりあえず俺と一緒に逃げて、一緒に死んでくれる?」

 今度は杜田がちょっと止まって、煙草一本分くらいは考えていた。


 まあもうどうでもいいか、杜田が嫌だって言っても諸々無理そうだし俺はさくっと死んでおこう。そう決めたところで杜田は顔を上げた。

「僕がお前殺したあとに、一人で首吊りするパターンでもええか?」

 真顔で聞いてきたから、俺は噴き出して笑ってしまった。全然おさまらなくてそのまましばらく笑い続けて、その間杜田はずっと俺のライターを、俺が未来ごと燃やしたライターだけをよすがのように握り締めていた。

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