つれづれ
鞘村ちえ
つれづれ 本編
ことりは高校にあがってすぐに「つれづれ」というSNSを始めた。新しく開発されたばかりのスマホアプリは、瞬く間に女子高生のあいだで浸透していった。ことりは朝アラームを止めたあと、布団にくるまったままアプリを開くことが日課になっている。
「つれづれ」では知らない人の日常が淡々と文字で流れていく。一般的なSNSと違う特徴は言葉に焦点を当てているところだ。写真も動画も一切載せることができない。好きな言葉や、自分の脳内を言語化した文章を投稿したり、読んだりできるアプリだ。読んだユーザーは投稿に対してコメントを寄せることができる。言葉はときに優しく、ときに鋭くめぐる。
ことりは言葉が好きだった。それは母親の教育だった。幼稚園の頃からよく母親に図書館に連れていかれ、読み切れない量の絵本や児童書を借りては幸せを感じていた。中学や高校では新学期になるたび、国語の教科書に載っている小説を読み漁った。そうして言葉を好きになり、文章を好きになり、小説を好きになっていった。そんなことりにとって、呼吸をするように言葉を摂取することのできる「つれづれ」は他のSNSよりも自分に合っていたのだ。
「ねぇ聞いた? つれづれの新しいシステム」
「なにそれ」
「なんかネットで使えなくなるんだってー。誹謗中傷とか人を傷付けるコンテンツになってきちゃったから、それを変えたい! みたいな」
「へー。じゃあ今後はどうなるの?」
「手紙になるらしい」
「手紙?」
夏休みが始まる一週間前、期末テスト当日。突然「つれづれ」公式アカウントからお知らせがあり、教室はまるっきりその話題で持ち切りだった。「つれづれ」のスマホアプリ文章投稿サービス終了に伴うネットでの利用停止、新たなサービスである文通システムの提供開始。
新サービスは、手紙を出したい相手のユーザーIDを書いた封筒で「つれづれ」運営宛てに送ると、住所や本名を隠した匿名配送をしてくれるというものである。これまで繋がっていたユーザー同士はもちろん、今後は文通を通して繋がりたい相手を見つけることのできる機能が追加されることも発表された。
昨今のレトロブームに乗っかった「つれづれ」の新サービスは、利用者が減少傾向にある郵便局とタッグを組んだこともありネット上でも話題を呼んでいるようだった。しかし、直筆の手紙を書くという行為は従来のスマホアプリよりも手間がかかることで利用者の減少は透けて見える。とはいえ新サービスの本来の目的である「言葉により他人を傷付けるコンテンツをなくしたい」という旨は達成できそうであった。
ことりも勿論このお知らせを読んでいた。ことりは手紙を書くことが好きだった。ことりにとってこのシステムは心無い利用者とも呼べないような利用者を排除する絶好のチャンスだった。真の言葉好きだけが集まるアプリになるのだ。
学校が終わるとすぐに、ことりは駅前にある100円ショップに出かけた。とにかく早く新機能を試すために可愛い便箋を買いたいと、理科の実験中からずっと考えていた。ことりは鳥が好きだった。これも母親の影響だった。母親は幼い頃から鳥を飼っていて、今ではインコや文鳥の描かれた小物を集めるのがささやかな趣味だ。ことりもその影響を真っ直ぐに受けて育ち、文房具や小物はつい鳥モチーフのものを買ってしまう。結局、便箋は角がまあるく切り取られていて、罫線の上にちょこんと文鳥が乗っかっている可愛いデザインのものに決めた。ことりは家に帰ってからさっそく手紙を書くことにした。
「まめもちさんへ
お手紙では初めまして。いつも言葉を読んでいます、ことりです。
いつもネットでやり取りしていたから、何を話せばいいか少し迷います。つれづれがこれまでと違う仕様になって、私は意外と嬉しかったです。まめもちさんはどうですか? 私はお手紙を書くのが好きだし、手紙という媒体にそこまで心のハードルを感じません。周りの友達はみんな面倒だと話していたけれど、じっくり考えながらペンを走らせることができるから喋るのが苦手な私は助かりそうです。
そういえばこの前、まめもちさんが綴っていた自分の親に対する気持ちの文章を読みました。最近まめもちさんが自身の親に似てきていることに悩んでいる、という話です。私も同じことで悩んでいたのですごくわかります。
私は自分の好きなものとか興味のある分野は母親の影響を受けたものばかりで、それって根本的には自分の好きなものではないのかな、と思うことがあります。でも好きなものは好きだから変えることもできません。言葉を読むのが好きなのも、この便箋に乗っている文鳥が好きなのも、全部影響を受けて好きになったものなんです。言葉は私にとってなくてはならないものです。つれづれを開くたびに、私は言葉に触れる幸せを知っていてよかったと思います。難しいな。母親に教えてもらわなかったら知らなかった幸せもあると思うと、影響は受けていいのだとも思います。こうしてお手紙を書いていたら『自分がない』というわけでもないのかもしれないと思えてきました。
まめもちさんは自分が親に似ていることで具体的にどんな悩みがありますか? 嫌じゃなければ教えてくれたら嬉しいです。 ことりより」
ことりは書き終わって晴れ晴れとした気分で文字で埋められた便箋を見返す。頭のなかで考えていることを言語化するのはすっきりする。これはつれづれを始めてから気付いたことだった。封筒に切手を貼り、つれづれ宛てにポストへ投函する。
手紙のやり取りはゆっくりと時間が流れていくもので、忘れていた頃にお返事がくるものである。ことりはポストへ投函してから三週間の間、すっかり手紙のことを忘れていた。
「ことりちゃんへ
お手紙ありがとう。つれづれの新システム、とても新鮮ですね。誰かにお手紙を書くなんて何年ぶりか分かりません。時はあっという間に過ぎていくものです。ことりちゃんからお手紙をいただいてから、もう三週間が経ってしまいました。お返事を書くまでに時間がかかってしまったね、ごめんね。
読んでくれたんだね。ふんわりとしか書かなかったけれど、私には言葉遣いの荒い両親がいます。友達や仲の良い周りの人と喋っているときに、ふと、私も言葉が荒くなりかけるときがあって悩んでいるという感じかな。意識して変えていかなきゃいけないんだけど、感情的になる瞬間とかは、やっぱり難しいんだよね。
ことりちゃんは趣味や興味のある分野が他人から影響を受けたものだけで構成されているから、自分がないように感じているのかな。きっとみんな、最初は誰かに影響を受けているものだと思うよ。私にはことりちゃんは自己がしっかりしているように見えるから、そんな悩みを抱えているとは意外だった! 知らない一面を知れて嬉しかったです。確かことりちゃんは高校生だったよね? 今は夏休みかな、自分の思うままに趣味を楽しむお休みになっていることを願います。 まめもち」
「まめもちさんへ
お返事ありがとうございます。そうです! ちょうど夏休みの真っ只中にいる高校生です。今年の夏は一ヵ月もお休みなので、きんきんに冷房を効かせた部屋で布団にくるまり、たっぷり読書を楽しんでいます。まめもちさんは大学生くらいのイメージだけど、間違っていたらごめんなさい。大学生は夏休みが長いと聞いて、羨ましいです。夏は嫌いだけど、夏休みは好きだから。
この前珍しく昼間にテレビを流していたら、女の子は母親と娘という独特な関係性に縛られやすいものだという話をしていました。確かに母親と息子、父親と娘や息子という関係とは一線を引いて何かが違うような気がします。理想の反映と影響を受けることはとても似ているのかもしれません。そもそも影響を受けることが悪いことという先入観を持っていることがよくないな、とも思い始めました。偏見ですね。
まめもちさんに言葉遣いの荒い両親がいるなんて、想像もつきません。だって、いつも書かれている文章が繊細で透き通った水みたいだからです。私は本当にそう思っているけれど、もしかしたらこれは綺麗な文章への期待と捉えられてしんどくなってしまうでしょうか。文章を書くことは続けてほしいです、貴方の言葉が好きだから。 ことりより」
「ことりちゃんへ
お手紙ありがとう。私は実は大学生ではありません! もう少し大人です! でも年齢は秘密にしておこうかな、なんとなく。理由はありません。大人は夏休みという概念がなくなるので、ことりちゃんは学生のうちに休みを謳歌してね。
そう、すごく分かるなぁ。親子のなかでも特殊だよね。私も女の子として生まれたので必然的に母と娘という関係性を持っているけれど、やっぱり母親というのは自分の理想の娘というのを育てようとするものだと思います。それはピアノができる、そろばんができる、テーブルマナーを知っている、そういうものだけではなくて。優しい子に育ってほしい、愛嬌のある子に育ってほしい、素直な子に育ってほしい、そういう性格の理想もあるんじゃないかな?
幼い頃に求められていた理想を自分の子どもに託してしまうとか、あるあるですよね。ことりちゃんはそういう母親の理想を薄っすら感じていて、それの通りに自分が成長していると気付いて、敷かれたレールの上を走り続けていていいのかな、とふと疑問に思った。私から見たことりちゃんは、そんな風に見えます。誰だってふと疑問に思うことはあるから、これからも悩み続けていいと思います。悩んで後悔することはないからね。
私の言葉をそんな風に褒めてくれてありがとう。嬉しいな。ことりちゃんの言葉には色彩があるように感じます。情景だけではなく匂いや感覚まで伝わってくるような言葉を紡いでくれるので、私はとっても好きです。ことりちゃんも言葉を書き続けてね、その先に私の幸せがあります。時折、些細なことも気にしてくれる優しい性格が逆に心配になります。自分を大切にね。 まめもち」
「まめもちさんへ
お久しぶりです。蝉の声が耳に残るほど、夏がうるさく鳴いています。グラスに入っていた氷が溶け、麦茶が軽やかな音をたてて落ちました。連日熱中症に警戒するニュースばかりが放送されていますが、お元気ですか? 私は明日で夏休みが終わります。
明日で夏休みが終わるというのに、私は昨日母親と喧嘩してしまいました。原因は、私が飲み切った麦茶のボトルを冷蔵庫にそのまま戻してしまったからです。自分が悪いと分かっているけれど、謝るタイミングが難しくて仲直りできていません。私の母親はいつも優しいけれど、ときどき心臓を掴まれたような言葉で怒ってくるので余計に反発できず、謝れず、難しいです。まめもちさんは家族と喧嘩すること、ありますか? ことりより」
「ことりちゃんへ
喧嘩しているなかでお返事をくれてありがとう。実は私にはことりちゃんと同じくらいの年齢の娘がいます。ことりちゃんからの手紙を読むたび、悩んでいることや考えていることが似ていて面白いなと思っていました。隠していたつもりはないのだけれど、驚かせてしまったらごめんね。
私もこの前、なんと! まったく同じ理由で夫と喧嘩してしまいました! タイムリーな話題で少しにやにやしながら読んでいました。喧嘩はもやもやの破片が集まって塊になったときに起こるものだよね、きっかけは些細なことばかりで。そういうときはね、喧嘩した相手とおいしいご飯やお菓子を食べるといいよ。すぐに仲直りできます。それでも仲直り出来なかったら、そのときはまた相談してね。 まめもち」
「まめもちさんへ
高校生の娘さんがいるんですか! 手紙を読み始めた瞬間驚いて、もう一回冒頭から読み返しました。そうだったんですね、年齢が違っても同じ悩みを抱えていることがあるのだと知れて面白いです。言葉は対等に喋れている気がして、嬉しいです。
仲直りの方法、さっそく試してみました。私の母親はチーズケーキが好きなので、二人で紅茶を淹れて、ゆっくり時間をかけてケーキを食べることにしました。そうしたら心が落ち着いて、ちゃんと話し合えて、謝ることもできました。おいしいお菓子の効果は偉大です。教えてくれてありがとうございました! また何かあったら相談したいと思います。
もうすぐ秋になりますね。私はここ数日、毎日机に向かっています。そろそろ本格的に受験勉強を始めないといけなくなりました。つれづれの新サービスが始まって、スマホと向かう時間は減ったけれど、まだまだ受験に割く時間は足りていません。なので、これから返信が少し遅くなると思います。肌寒くなってきたので体調には気を付けてください。またお手紙書きます。 ことりより」
「ことりちゃんへ
受験で忙しくなるなか、私にお手紙をくれてありがとう。自転車に乗ったら風が心地よく感じられる季節になってきましたね。四季のなかで、私は秋が一番好きです。花粉症もないし、寒くも暑くもなくて、紅葉が綺麗で、読書をしたくなるから。
毎日机に向かっている生活は苦しいと思うから、私のこの手紙を読むことが息抜きになることを願います。娘も来年受験に力を入れ始める時期なんだけど、私はあまり勉強熱心なタイプではないから、頑張っている姿を見るだけで尊敬します。ことりちゃんはきっと国語が得意だと思うので、教科書に出てきた面白い小論文とか読解問題の小説があったらまた教えてください。学生のとき、夏目漱石とか太宰治とかたくさん読んだことを思い出します。読まされる、と、読みたい、で読んだ作品は違うよね。小説はどんなときも味方でいてくれるから、苦しくなったら読書をするのがおすすめです。
そうそう、つれづれのサービスが始まってからもうすぐ半年が経ちますね。気軽に始めた文通がこんなに長く続くとは思わなくて嬉しい気持ちでいっぱいです。文通相手がことりちゃんでよかったな。そう思うのは、ことりちゃんの言葉がとても繊細で聡明で美しいからです。
文通はゆっくりと時間をかけて、互いの人生に寄り添うものだと思います。だから、他に集中したいことがあるときはそっちに集中して、また書きたくなったら手紙を書く。そうして長い年月を経て仲を深めていけたら私は嬉しいです。少し年齢が離れていても、言葉は対等に私たちをめぐってくれます。
最後まで読んでくれてありがとう。身体と心を大切にね。 まめもち」
季節は廻る。秋と冬のあいだがきた。ことりの受験勉強に伴って、文通の間隔は少しずつ離れてきていた。久しぶりに手紙を書こうと思ったことりは、鮮やかな色のインコが罫線の上で踊っている便箋を選んだ。言葉をめぐらせ、封筒をのりで閉じる。
カーディガンだけでは寒い季節になったのだと、夕方の自転車に乗ってから気付く。秋もそろそろ終わる頃だ。途端、冷たく強い風が吹いた。手に持っていたはずの封筒が勢いよく飛ばされて、枯れ葉の散らばった歩道に滑り落ちる。
「これ! 落とされましたよ!」
同じ年くらいに見える高校生の女の子が封筒を拾い、ことりへ渡してくれた。駆け寄ってきた女子高生はいくつもの紙袋を腕にぶら下げている。
「ありがとうございます」
「つれづれ、やられてるんですか? すみません。見るつもりはなかったんですけど、掴んだ瞬間に宛名が見えてしまって」
「はい。お手紙書くのが好きで」
「実は私のお母さんもつれづれ、やってるんですよ! なんだか親近感感じちゃいました、今絶賛喧嘩中なんですけどね」
「喧嘩中なんですか?」
「そうなんですよー。困ったんで、お母さんが好きな豆大福、色んなお店のを買ってくることにして、だからこんなに紙袋が」
「えっ」
ことりは一瞬もしかして、と思う。けれど、何も言わないことにした。
「どうかしましたか?」
「いえ、荷物いっぱいなのに手紙拾ってくれてありがとうございます!」
「全然です! もしも私のお母さんと文通することになったら、そのときはよろしくお願いします!」
女子高生は屈託のない笑顔を浮かべて、すぐに去っていった。知らないことが多いほうが文通は楽しい。手紙を通した言葉の数々で、相手を想像できる幸せがある。徒然に悩むことがあっても、言葉はときに鋭く、ときに優しくめぐっていく。
ことりはまたポストに向かって自転車を漕ごうと思いつつ、振り返る。そこにはたくさんの優しさに包まれた背中が、柔らかくあたたかな夕日に照らされていた。
つれづれ 鞘村ちえ @tappuri_milk
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