青春破綻者たちの事件簿【解決編③】

「その場合、ミノは自分が模倣犯だとバラさなきゃいけないから嫌だったんだ?」

 アスマから何気なく放たれたその言葉にあたしは足を止める。アスマもやや遅れて立ち止まり、身体をこちらに向けてきた。

 誰もいない渡り廊下にて、あたしたち二人は向き合う格好となる。

「アスマはあたしが模倣犯……つまり、今日の望月と神谷の告発書はあたしがばら撒いたって言いたいわけ?」

「え、違うの?」

 きょとんと首を傾げてくるアスマ。

「そう考えた理由を訊きたいのよ」

「この後に及んで説明しろと……? はあ……」

 面倒くさそうにため息を吐いたアスマはバッグから今日の告発書を取り出す。折りたたんでいたそれを開き、

「私たちは麻騒動のときこの二人がイチャついているのを見たけどさ、この写真はそのときとシチュエーションも二人の服装も違うよね?」

 麻騒動の際は車の中で二人とも夏服を着ていた。けれど写真の舞台はどこかの教室であり、望月はカーディガンを着ている。

「ええ、そうね。それで?」

「中心人物さんの格好的に、まだ寒い冬か春先に撮られたものだと考えられるよね。つまり、麻騒動以前に撮影されたものってこと。あれは六月だったし。記憶力抜群のミノのことだから憶えていると思うけど、駐車場で二人の情事を目撃したとき私は訊いたよね。『写真を撮って醜聞コレクションに加えないの?』って。それに対してミノは『必要ないわ』と答えた」

「そんなこともあったわね。それがどうかしたの?」

 よくまあそんなことまで憶えているわね。流石、大体のことは思い出そうと思えば思い出せると豪語するだけのことはある。

「私はそれを醜聞コレクションを辞めるという意味で捉えて会話を展開して、ミノもそれに合わせてくれたけどさ……あれって本当は、、って意味だったんじゃない?」

 あたしはしばし黙り込み、

「そうだとしても、その写真を撮ったのがあたしということにはならないでしょう。学校の中でイチャついていたなら、他にも撮影できた者はいたはずよ。それだけじゃあたしが犯人ということにはならないわ」

 アスマはあっさりと頷く。

「うん。これは今さっき思い出したことで、ちょっとした確認みたいこと。……ミノが犯人だとわかったのは、青春破綻者というからだったんだ」

 彼女はバッグからあたしが先ほど押し付けた昨日の告発書を取り出して胸の前に掲げた。

「こっちの狛人くんのやつでは、青春を毒という悪いニュアンスで使ってるんだよね。青春は悪いもので、それによっておかしくなっちゃったのが青春破綻者ということになってる。ミノの提唱する青春破綻者の定義の中では、青春は良いもののはずなのに」

 続いてアスマは今日の告発書を胸の前に突き出す。

「で、こっち──『そしてクラスの中心人物であり、他にいくらでも選択肢がある中、よせばいいのに教師と付き合っている望月綾女はどうしようもなく愚かな青春破綻者である!』……こっちは、青春を謳歌してたのにもったいないなあ、的なニュアンスを感じるよね」

 アスマは二枚の紙をバッグへしまった。

「青春破綻者とは、青春を十分に謳歌しているのに、その事実だけで満足できず、青春の崩壊を招きかねないことに手を出す愚か者の総称……だったよね? 文脈的に今日の告発書とぴったりじゃん。ここで注目すべきは、。纐纈さん、狛人くん、夏目さん、蕨野さんにはミノの造語としか説明してない。四人のリアクション的にも、最初に聞いて以来、ミノから意味の説明を受けたなんてことはなさそう」

 喋りすぎて疲れたのか、彼女はやや口調を遅める。

「刑事さんたちがやるわけないし、佐渡原先生も青春破綻者の意味を知らないはず。あのときあの人、ミノが説明する前にいなくなっちゃったから。そうなると単語の意味を知るのは私とミノに絞られるわけで、私はやってないからミノが犯人ってことになるの」

 アスマは私が口を挟む前にさらなる説明を開始する。

「それを踏まえて考えると、最初の告発書の犯人が私たちじゃないことを証明できなくはないんだよね。初めてあれを読んだ時点で青春破綻者が誤用されていたからミノが犯人ではないんだろうなとは思ってたけど、それでも仮にミノと……まあ私が犯人だったとしたら、相手──私orミノのことね──に犯人を確定させないためにわざと誤用したと考えられる。お互い以外に正しい青春破綻者の意味を知ってる人がいないんだから」

 アスマはここで一旦言葉を区切り、再度口を動かす。

「で、私たちのいずれかが犯人の場合、最初はお互いに悟られないよう青春破綻者を誤用したにも関わらず、次の告発書では正しく使うという、相手に犯人だとバレかねないことをしているんだよね。明らかに行動が矛盾してる。犯人だとバレてもいいなら両方とも正しい意味で言葉を使ってもよかったはずで、それをしていないのなら少なくとも最初の告発書の犯人は私たちじゃないんじゃないかなあ……と、こういうことになるのです。でもよく考えてみると青春破綻者の単語の意味を知ってるのが私たち二人だけだから、他人に証明はできそうもないね」

 そういえば、アスマは自分たちの無罪の証明ロジックが気になったから、語り始めたんだったわね。忘れていたわ。

 あたしはじっとアスマを見つめながらしばらく黙っていた。アスマの方も普段と変わらない気の抜けた顔をこちらに向けている。

 もう喋ることはないらしかったので、あたしは昂る動悸を抑えながら言う。

「まあ、別にそれでいいんじゃないかしら」

 暗に認める。望月と神谷の告発書をばら撒いたのは確かにあたしだ。去年の二月頃に中庭を歩いていたときにカーテンの隙間から生徒指導室の中が視界に入った。当時は望月とクラスメイトで、彼女が学園生活を存分に楽しんでいるのは知っていた。教師と関係を持つなんてとんでもない青春破綻者である。あたしは即座にスマホで撮ったのだ。

 昨日、アスマが柘植の自作自演説を持ち出したときにやってみようと思いついた。わざわざコピー用紙を買って複数のコンビニで大量にプリントして、今日の朝、こそこそと校舎のあちこちにばら撒いたのだ。

 アスマの次の言葉を待つ。意外と鋭い彼女にあたしの感情の機微を悟られないために、表情を無にして身体をできるだけリラックスするよう努めた。

 やがてぬぼっとした顔のままだったアスマが口を開いた。

「あ、そう? それじゃあ帰りましょう帰りましょう。もう五時過ぎちゃうよ」

 身を翻して渡り廊下を奥へと進んでいく。彼女のその背中を見ながらあたしは、どこか呆然としたような、張り詰めていた緊張の糸が切れたような感覚を抱いていた。

 口が反射で言っていた。

「あたし、図書室に用事があるのを思い出したわ」

 アスマは立ち止まって振り返ると不思議そうに首を傾げる。

「あ、そうなんだ。じゃあお先に」

「ええ」

 アスマの背中と足音が離れていく。校舎に入った彼女が角を曲がると、もうどこにも遊間薫子の痕跡を観測できなくなった。


       ◇◆◇


 青春破綻者無許可使用事件が解決された翌日の放課後。担任のホームルームが終わって、クラスのみんながダラダラと立ち上がって教室を去っていく中、私は天井を仰いだまま硬直していた。……気づいたのだ。教室が結構涼しいということに。

 今はもうエアコンは停止しているけれど、授業中ずっと点いていたのでまだ人が生存できる室温に保たれているのだ。とはいえ、どうせすぐ暑くなってしまうのは目に見えている。しかしそのときには既にミノが部室のエアコンを稼働させているため、そこそこ冷えた部室に移動すればいいってわけです。……私、賢すぎない?

 ……と、思っていたのだけど、エアコンが切られて三分も経たずに教室が暑くなってきた。夏の暑さを、太陽の強さを、私が見誤っていたというの?

 私はもういいやとばかりにバッグを手に教室をあとにする。上手いだらけ方を閃いたと思ったのになあ……。

 がっかりしながらとぼとぼと歩く。蒸し暑い廊下を突き進んで、閉ざされていた部室の扉を開けた。瞬間、私を優しく出迎えてくれる涼風……あれ? 部室に入ったというのにまるで気温の変化を感じられず絶望してしまう。

 またエアコンが点けられたばかりかとため息を吐きかけて、うるさい駆動音が聞こえないことに気づく。何なら、そもそもミノがいない。たまーにある私が一番乗りのパターンらしい。

 吐きかけた状態で止めていたため息をしっかり吐き出して、エアコンのもとへ異動して電源を入れた。いつもミノが座っている席に腰掛ける。ミノより先ならエアコンの正面にあるここに座れるのは素晴らしい。

 机に突っ伏してやかましいエアコンから吹き出される涼風を独占する。この暑さだと私がよく座っている席では眠れないけど、ここなら風のおかげで眠れそう。でもミノが入ってきたら佐渡原先生かと思って反射的に飛び起きちゃうんだろうなー。

 そんなことを思いつつも私の身体と意識は微睡みの中に溶けていって……そして──。

 がらりと開いた扉に反射的に飛び起きた。ほらね。

 佐渡原先生が鼻歌を歌いながら部室へ入ってきた。……あれ、本当に佐渡原先生じゃん。ミノより先にきちゃったよ。

 何となく壁掛け時計を見やると四時半過ぎ……。私は結構寝ていたらしい。というかこの時間になってもミノがこないなんて珍しいこともあるものだ。学校を休んだのかな? 健康優良児のミノさん的にそれもまた珍しいけれど。

 私はバッグを手に立ち上がる。

「ミノは部活欠席ですかね」

 やれやれと肩をすくめながら言うと、淡水魚の水槽の前に立った佐渡原先生が思い出したように振り返った。

「あ、退。陸上部に転部するとよ」

「……はい?」

 予想外の発言についそんな言葉が漏れてしまった。しかし佐渡原先生は私に構わず続ける。

「確かに陸上部はグラウンド三周するだけで帰っていいそうだが、夏休み直前のこの暑い時期に転部するとは……あいつも物好きな奴だ」

 私はしばらくの間、驚愕とともにその場に立ち尽くして淡水魚に餌をやる佐渡原先生の背中を見つめていた。そしてこの時間の無意味さに気がついて、佐渡原先生に別れの挨拶だけ告げて部室をあとにするのだった。

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