図書室の青春

「なんかちょっと泣かれちゃったけど、もしかして私たち狛人くんと同類扱いされちゃってる?」

 蕨野がいると思われる図書室へ向かう途中、アスマが不服そうに呟いた。

「流石に同類とまでは思われていないでしょうけど、共犯くらいの立ち位置にはなったかもしれないわね」

「殆ど同じじゃん、それ……。まあいいや」

 渡り廊下を越えて階段を登っていく。図書室に近づいていくにつれて喧騒から遠ざかっていくような気がした。すると、再びアスマが口を開き、

「そういえば、ミノと蕨野さんって同じクラスだったよね。話なんて訊くタイミングはいくらでもあったんじゃないの?」

「あんたがやる気満々だったもの。二人一緒に訊いた方があたしがアスマに伝える手間が省けるでしょう」

「別に満々ってわけではないんだけどね」

 あたしたちは例によって新聞部の前を通り過ぎ──今日は纐纈の姿はなかった──、奥にある図書室の扉を開けた。

 カウンターに蕨野と吉村が座っているだけで、見える範囲に利用者は見当たらない。やはり殺人事件になってしまっただけあって、集まる者は少ないようだ。……いや、もともと人がいる方が珍しい場所ではあったのだけど。

 図書委員の二人と目が合った。あたしは図書室には似つかわしくないボリュームの声を発する。

「蕨野。ちょっと訊きたいことがあるわ」

 手招きすると、彼女は特に不満げな態度も取ることなく従ってくれた。廊下に出て端の壁際に三人で固まる。

「なんの話?」

 蕨野がやや首を傾げながら尋ねてきた。怜悧な瞳はあたしたちの用件に心当たりがないと告げている。

「諸事情で例の紙をばら撒いた奴を探しているの。協力してくれるわよね?」

「あの貼り紙を……ええ、まあ、構わないわよ」

 目を泳がせて暗い面持ちになる辺り、歓迎されていないのは明白だったが、あたしだってやりたくてやっているわけではない。文句は元カレに言ってもらおう。

「先日の事件の中であたしが青春破綻者という単語を言ったことを憶えているかしら?」

「それって……ああ、そうか。なんか知ってると思ったけど、あの言葉、桂川さんから聞いたんだ。確か、造語なのよね?」

 あ、またくる……っと身構えたが、

「つまり、自分の生み出した言葉が妙な輩に悪用されているから、その犯人を見つけ出したいということ?」

「……蕨野。あんた、察しが凄くいいってよく褒められない?」

「いえ、別に……」

 事実とは違うけどこの際もうそれでいい。アスマも謎に拍手をしている。

「その口振りからして、誰にも教えていないということでいいわね?」

「ええ。あの会話自体、今思い出した」

 となると、例によって容疑者リストに更新はなしか。

「じゃあ柘植との関係は誰かに話した?」

 この質問に蕨野は露骨に顔をしかめ、緩く腕を組んで廊下に視線を落とした。

「彼に言わないでくれって頼まれていたから……。理由をいくつか並べ立てていたのはそういうことだったのかと、今になって納得した」

「中心人物さんと神谷先生の関係は知ってた?」

 アスマが窓から裏庭を見下ろしながら尋ねる。蕨野はやや眉をひそめ、

「中心人物さんは望月さんを指しているってことでいいの? ……知っているわけがない。二人とも関わったことないから。そもそもあの写真が本物なのかも疑ってる。いくらなんでも生徒指導の先生があんなことはしないと思う」

 ところがどっこい、本物なのよねぇ……。

 他に質問はない。アスマとともにこの場を去ろうとしたところで蕨野が口を開いた。

「桂川さん、遊間さん、ありがとう」

 アスマと顔を見合わせてしまう。

「なんの話よ?」

「事件のお礼。二人に、まだ言ってなかったから」

「あれは蕨野さんが自滅しかかっただけじゃん。もっと早く話してくれていればあんな面倒なことにならなかったのに」

 アスマが頬を膨らませて若干責めるような口調で言った。蕨野はバツが悪そうに肩を落とし、

「それについては本当にごめんなさい。あの後、刑事さんにたっぷり叱られた」

「そういえば逮捕とかはされなかったんだね。偽証罪? みたいなやつで」

「偽証罪は裁判で嘘を吐いたときに発生するものよ」

 的外れなことを言うアスマにつっこんでおく。それから蕨野に向き直り、

「いくら犯人が友達だったからって、警察相手にあの嘘はあんたも神経図太いわよね。演技が苦手という話だったけど、十分に名女優だったわよ。佐川の穴はあんたで埋められるのは不幸中の幸いね」

「嫌なこと言わないで」

 何となく思いついた皮肉を言ってみたら、当たり前のように不快感を伴った低い声でつっこまれた。

 蕨野は自虐的にため息を吐くと、壁に背中を預けた。

「あのときは必死だったのよ。図太いとか、そういうんじゃない」

 彼女は力なく両手を下に垂らし、

「茉莉花を庇えば、逆にあの子がこっちの思いを汲んで罪を告白してくれるんじゃないかって、甘い期待をしていたの」

 それは何というか、本当に甘ったるい期待ね。

 蕨野は窓の外に目を向ける。もはや懐かしむような口調で、

「というより、自分の手で終わらせたくなかったのかもしれない。いつものように茉莉花と会話して、笑い合って、部活して……そんなを自分から捨てたくなかったの」

「青臭い幻想……。演劇部で脚本書いてるだけあって、詩的なこと言うじゃん。青春破綻者よりいいね」

 アスマが感心したようにしみじみと呟く。また脛蹴ってやろうかしら。

 蕨野は返答に困ったのかこの発言に触れなかった。

「結局、茉莉花は積極的に私を犯人に仕立て上げようとしてきて、あっさり幻想から覚めてしまったけど……。こんなことなら何も余計なことなんてせずに、最初から証言をしておけばよかった。そうすればきっと、まだ茉莉花を友達だと思えたかもしれないのに」

 蕨野は無駄な期待をした結果、友人のこれ以上なく汚い部分を見る羽目になって、おまけに避けたかった自分の手で佐川にトドメを刺すという結末を迎えることとなった。

 青臭い幻想、か。どういうわけかその言葉が妙に気になった。そのセンスに脱帽したとか、そんな理由ではなくて……。語感や何となくの意味合いが腑に落ちたというか。

 今度こそ話は終わりだろう。

「アスマ。部室戻るわよ」

「はーい」

 今一度、二人でその場を離れようとしたところ、

「ちょっと待って。私も二人に訊きたいことがある」

 夏目と同じように声をかけられたので振り向く。アスマが無視して去ろうとしたので後ろ襟を掴んで引き止めた。

「何かしら?」

「二人は狛人が私と夏目さんに二股かけてること……知ってた?」

「それはもう」

「ばっちりと」

 蕨野の表情が強張り、心の底から軽蔑するような声音で、

「最っ低……」

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